「早かったね」
千紘にふふっと笑いながら言われると、凪は急に恥ずかしくなる。仕事中はあんなにも達するまでに時間がかかるというのに、千紘の時ばかり呆気なく果ててしまう。
普段は違うんだと言い訳をしたくても、それもできない。
「久しぶり……だから」
凪はようやくそれだけ答えた。触られたのも自分で触ったのもそんなに前のことではない。けれど、それくらいの嘘はついたってバチはあたらないと思った。
「久しぶり? 最近はお客さんとしてないの?」
「ん……本番はやめた」
「そうなんだ……」
千紘は軽く瞼を持ち上げたが、すぐに嬉しい気持ちが湧き上がってきた。凪には違反せずに正攻法で仕事を成功させてほしいと思っていた。頑なに本番は辞めないと言っていた凪がそれを辞めたのは大きな進歩だった。
しかし、単純に女性が苦手になってしまって挿入どころじゃなくなった可能性もすぐに想像できた。それが原因なら不憫に思うが、凪のことを愛して止まない千紘にとっては、原因がなんであれ他の誰とも繋がれなくなってしまったことが嬉しくてたまらない。
そんなこと、当の本人には言えないが千紘は口角が上がってしまわないよう必死に耐えた。
「まだまだ全然いけるよね?」
千紘は一応確認する。たった一度の射精で満足されてはたまったもんじゃない。まだ千紘は何の快感も得られてないのだ。
それに自分の快感はさておき、もっと乱れた凪が見たかった。自分の手で表情を崩し、喘ぐ姿を目に焼き付けたかった。
「全然って、ちゃんと手加減」
「わかってるよ」
夜は仕事だから手加減しろと言われた言葉はもちろん覚えている。ちゃんと仕事がこなせる程度には体力を残しておくつもりだ。
けれど、そのギリギリまでは責めたいと、千紘はまた凪に触れる指を動かし始めた。
浴室で一度だけシてから。千紘はそう言ったが、彼は一度だけではとても満足できなかった。仕事ができるギリギリまで。そんなふうに欲張ったものだから、もう少し、あと少しと考えている内に全く止められなくなってしまった。
「ぁっ、っ……いぁ……あぁっ……」
凪の声が浴室に響き、何度目かわからない絶頂を迎えた。千紘はぐったりとした凪を抱えてベッドへ向かい、その後も何度も体を重ねた。
それは本当に出会った頃の流れとそっくりで、2人はほとんど同時にその時のことを思い出していた。
ただあの時と違うのは、凪の腕が千紘の首の後ろに回されていたこと。抵抗しない凪が、やめろと言わないこと。
「はっ……あっ……千紘っ!」
あんなにも望んでいた名前呼びを体感できていること。キスをすれば凪からも舌を絡め、千紘が頬に唇を寄せればくすぐったそうに笑う。
まるで恋人のようなセックスだった。今まで2人が行ったどんな性行為よりも甘くて淡いものだった。
「……腰、いてぇ……」
ようやく満足した千紘が仰向けで凪の横に倒れ込むと、凪は唸るような声を振り絞った。
「俺も、明日筋肉痛になりそう……」
千紘も頑張りすぎた自覚があった。しかし、凪から誘ってくることなどこの先あるだろうかと考えると、このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「お前、全然手加減しねぇじゃん」
「するつもりだった。でもとまんなかったんだから仕方ない」
「お前……」
「凪だって受け入れたじゃん。やめろって言わなかった」
「言った」
「言ってない。今回に限っては絶対言ってない。俺の名前呼びながらもっと奥って言った」
凪はじとーっと千紘を睨みつけてから、顔を隠すように掛け布団を頭の上から被った。確かに今回は、あっさりと受け入れてしまった。
自分から誘ったこともあり、体が準備万端だったのだ。執拗とも思える千紘の愛撫を凪自身も何度となく求めてしまったのは事実だった。
「俺たち相性いいと思うんだよね」
千紘は、布団ごとギューっと凪を抱きしめた。中でモゾモゾと凪がもがき、ひょこっと頭を出す。酸素を欲するかのようにはあっと息を吸い込んだ凪は「……悪くはないと思う」と小さく呟いた。
千紘は子供のようにキラキラと目を輝かせた。人間に懐かない野生の猛獣がようやく自分の手から餌を食べてくれたような感覚だった。
「……なに」
「凪も俺とのセックス気持ちいいって思ってくれたんだなぁって感動して」
「……じゃなきゃ誘わねぇし」
やけに素直な凪に千紘は驚かされてばかりだ。汗と体液に塗れた2人は、それを拭う体力すらないがそれすらも心地よく思えた。
「またシようね」
「いつかな」
そんなことを言いつつ、凪は別にまたしてもいいけど……なんて心の中で呟いた。
「凪、今日はお客さんと会うんでしょ?」
「……予約入ってるから。でもこれでとりあえずは最後にする」
凪はこの後の仕事もきっと辛く感じるのだろうと思った。この気怠い体で行きたくないのもあるが、散々欲を放って既に賢者タイムだ。
普段でさえ仕事に行くのが億劫だと感じていたのに、今はセックスのことなど考えたくないほど満足してしまった。
今から他人を悦ばせなきゃいけないなんて、面倒臭い。そして、触れたくはない。そう思った。
触れたくないのだって、単純に汚いものを触りたくないような感覚とは違った。今触れられた千紘の感覚が他人に上書きされてしまうのが嫌だと思ったのだ。
なぜかはわからないが、数日はこの余韻に浸っていたいような心地良さがあった。この後千紘も出かけ、自分も帰宅する。
なんだか急に寂しい気持ちになって、凪は顔を伏せた。
「仕事何時まで?」
千紘はごろんと凪の方を向いて、軽く頭を撫でながら尋ねた。
「朝まで。泊まりだから」
凪はその手の感触を感じながら軽く目を閉じた。
「朝か。そっか」
「なんで」
「夜の内に終わるなら戻ってくるかなって思って」
「……戻ってきてほしいの?」
凪はゆっくり瞼を持ち上げて、千紘の目を見つめた。穏やかで温かい瞳に凪の顔が映った。その瞳がすっと狭まり、「もちろん。いつだって凪に会えたら嬉しい」という言葉が返ってきた。