かんしゃくを起こした孝次郎を宥めるのは容易ではない。言葉尻に発した藍子さんとは、自分の母親を意味している。
考次郎は、思春期の頃から母親を名前で呼んで、隠しごとも一切しなかった。
友達みたいな親子関係に、母子共に満足していたせいか、その異常性を認めようとはしないまま、長い年月が過ぎた。
靜子が母親に強く反抗出来ないのを知った上での、見え透いた嘘。
「藍子さんが後で来てくれるから…」
静子は、それはあり得ないことを知っていた。
何故なら、藍子は今頃、高樹や会長らを自分の店で接待しているからだ。
孝次郎は、大学生時代にモデルをしていた傍、演劇サークルの部長を務め、靜子もそこに所属していた。
作・演出をこなし、時には音楽も作り、それでいながらモデルとして活躍する孝次郎は、サークル内はもとより、学園内でも人気者だった。
後から入部した高樹も、当時は孝次郎を慕っていた。
3人で演劇論や創作論を語りながら、高田馬場のパブやバーで朝まで過ごし、孝次郎のマンションで雑魚寝して、大学の講義を受ける。
そんな生活が続いたある日、ソファーで眠る高樹を気にしながら、孝次郎と靜子は身体の関係を持ってしまった。
罪悪感の芽生えた靜子は、
「ダメだよ、やめてください…」
「大丈夫、あいつ相当飲んでたから起きないって」
「そうじゃなくて…」
「イヤなの?」
「イヤとかじゃなくて…」
「俺、こういうシチュエーションさ、今度の舞台でやりたいんだ、人間の本質さ…それに、興奮するだろ?」
「…」
「さ、目を閉じて、怖がらないで…」
靜子は、今になって思うことがあった。
あの時、拒絶していたらどんな人生になっていたのだろうと。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!