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雨がまた降っていた。
昨日よりも強く、まるで屋根を叩く音が「戻ってきた」と言っているようだった。
店を開ける前、私はいつものように玄関のマットを直した。
その時、ふと目に入った。
ドアの前に——濡れたコインが三枚、きちんと並んでいた。
「……また、これ。」
拾い上げた指先は冷たくもなく、妙にぬるい。
まるで、いま落とされたばかりのようだった。
私は胸騒ぎを覚えながら、カウンターへ戻る。
コインをキャッシュトレーに置くと、
小さな音で「カラン」と鳴った。
その音を合図にしたかのように、レジの画面が光り、
注文が自動で打ち込まれていく。
【ブレンドコーヒー(ホット)×2】
【三番テーブル】
「……やっぱり、今日も。」
外の雨脚が、少し強くなる。
昼を過ぎた頃、店のドアベルが鳴った。
カラン コロン
思わず肩がびくりと動いたが、入ってきたのは
見慣れた顔だった。
「……あっ、紗良先輩。」
夜シフトの前に、少し顔を出すことがある、
千紗(ちさ)さんだった。
「紗良先輩、なんか顔色悪いですよ。
寝てないんですか?」
「……まぁ、ちょっと。」
カウンター越しに、私は昨日の事を話そうか迷った。
でも、千紗さんは、私の様子を見ただけで、
何かを察したかのように、ため息をついた。
「3番テーブル…ですよね?」
「ーーえ?」
思わず息を呑んでしまった。
千紗さんは視線を3番テーブルへと向け、
静かに言った。
「……自分も、前に見たことあるんです。
夜の…雨の日だった。」
心臓が跳ねる。
千紗さんは、カウンターの上に手を置き、
小声で続けた。
「この店の前、事故があったんですよ。
十年前、被害者の男性が落としたのは… 」
千紗さんは、私の手元にある、濡れたコインを見た。
「それだったんです。」
私は、喉が詰まるような感覚に襲われた。
「じゃあ、あの音も……?」
「はい。たぶん、最後になった音。」
千紗さんの声は、だんだんと震えてゆき、
その瞬間、ドアベルがまた、
カラン コロン
と、鳴った。
私も、千紗さんも、反射的に、入口の方へと
目を向けた。
ドアは閉まっていた。
けれど、床にはまた濡れたコインが3枚落ちていた。
千紗さんは、顔をこわばらせて、
「2人……来てる。」
と、小さく呟いた後、
私達はしばらく動けなかった。
雨の音だけが、店の奥までしみ込むように響いていた。
「千紗さん、今の…どういう……」
震える声で問いかけると、千紗さんはゆっくりと首を横に振った。
「言うつもりは…なかったんですけど… 」
彼女は、コーヒーメーカーのそばに立ち、
いつの間にか持っていたハンカチで、
濡れたカップの跡を指でなぞった。
「十年前の事故、あの時、自分もそこに居たんです。」
「……え?」
「このカフェができる前、ここはただの交差点で…自分は高校帰りで、雨が強くて……
信号を待ってたんです。
向こう側に、カップルがいて、女の人が笑ってて、男の人が、傘を差し出そうとして……」
千紗さんの指先が震えた。
声が掠れて、続く言葉を吐き出すのに苦労しているようだった。
「その後…車がスリップして、
あの2人、弾かれるみたいに……」
コーヒーの香りが、何故が胸を締め付けるほど苦かった。
千紗さんは、私を見ずに続けた。
「私…あの音、ずっと覚えてて、
カラン コロン って、まるでドアベルみたいに。」
私は、息を呑んだ。
昨日も、今日も、確かにその音を聞いた。
千紗さんは、カウンターの向こうの3番テーブルを見た。
そこには、空の椅子が二つ、向かい合っていた。
「たぶん…あの人達は、まだ…待ってるんだと思います。」
「待ってる……?」
「はい。飲むはずだった、2人分のコーヒーを…」