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#御曹司
うめぼっち

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鷹槻れん/鷹槻うなの

36,051
#白い結婚
夕凪ゆな
373
うめぼっち

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餅は、搬き上がったときが一番熱い。
深夜の工房で、ことはは手に水をつけて、餅を取った。源さんが搬いて、ことはが千切って、餡を包む。包んだものを木箱に並べる。父の箱。洗って乾かして、また使い始めた箱。
「見せるのは、ここだ」
ことはは、餡を餅で包み終えた手を、源さんに見せた。
「火は要らない。餅は店で搬いて持って行く。餡も炊いて持って行く。催事場では、包むだけ。包むところを、客に見せる」
源さんは手を止めずに言った。
「包むだけで、客が止まるか」
「止まります。わたしが止まるから」
子どものころ、工房のガラス窓の向こうで、父が包むのを見ていた。白い餅が指の間で丸くなって、豆の黒が透けて、餡が消える。何度見ても止まった。あれは、火よりも見せられる。
「柱の裏でもか」
「柱の裏でも」
源さんは、搬き上がった餅を臼から出した。湯気が上がる。ことはは手を伸ばして、熱いうちに千切った。
手の甲に、餅がついた。
熱い。払おうとして、払えない。餅は手の甲に貼りついて、剥がすまでに三秒かかった。皮膚が赤くなっていた。
「馬鹿」
源さんが水を桶に張って、ことはの手をつけた。
「夜中にやると、こうなる。寝てねえだろう」
「……催事まで、四週間しかないから」
「四週間、ことはが手を使えなきゃ、看板も何もねえ」
源さんはそれだけ言って、臼に戻った。ことはは水の中で手を開いた。赤い。明日の朝には、もう少し赤くなる。餡を練る手だ。これくらいなら、動く。
ガラス窓の向こうの店先は、暗かった。シャッターが下りている。朝になれば、母が上げる。常連が来るか、来ないかは、分からない。
◇
翌日、蓮田に電話をした。
「火を使わない実演を、します。餅で餡を包むところを見せる。火も、試食もありません」
電話の向こうで、蓮田が黙った。紙をめくる音がした。
「……規則には、ないです。禁止の項目に」
「はい。読みました」
「あの」
蓮田の声が、少し低くなった。
「課長に、報告します。報告しないわけには、いかないので」
「分かっています」
「それで、たぶん、課長は何か別のことを」
「はい」
蓮田はしばらく黙って、「すみません」と言った。何に対してのすみませんかは、言わなかった。ことはは、受話器を置く前に聞いた。
「蓮田さん。催事場の柱の裏、見てきました?」
「……見ました」
「どのくらい、人が来ない場所ですか」
「人は、通ります。奥のトイレに行く人が」
ことはは、それを頭の中に置いた。トイレに行く人が通る。通る人は止められる。止めるのは、手だ。
◇
午後、店先で、母を客にして試した。
台の内側に小さな板を置き、布を敷き、餡と餅を並べる。母は店の前の道に立って、腕を組んだ。
「はい、わたしは通りすがりのおばちゃんです。トイレに行きたい」
「お母さん」
「真面目にやってるのよ。ほら、通るわよ」
母が台の前を通る。ことはは手に水をつけて、餅を千切った。餡を取る。包む。白い餅が指の間で丸くなって、豆の黒が透けて、餡が消える。
母の足が、止まった。
「……止まったわ」
「見てた?」
「見てた。あんたの手、お父さんの手と同じ動きするのね。知らなかった」
母は腕を組んだまま、台の上の包んだ一つを見た。
「おばちゃん、十個」
「お母さん」
「冗談よ。でも、止まるわ。これは」
源さんが工房から顔を出して、母とことはを見て、何も言わずに戻った。戻る前に、一度だけ頑いた。
◇
夜、迎えの車が来た。
いつもは宇野が運転して、後ろの席に遼はいない。その日、後ろの席に遼がいた。
「乗れ」
ことはは乗った。遼は窓のほうを向いていた。
車が走り出してから、遼が言った。
「搬入の段取りは宇野から聞いた。餅を店で搬いて運ぶのか」
「はい。催事場では搬けませんから。布と木箱で、冷めないうちに」
「冷める」
「冷めても、包めます。包むところを見せるのが、うちの売り方です」
遼は、窓の外を見たまま、しばらく何も言わなかった。
「催事のことで、俺に頼むな」
「頼みません」
「宇野にも頼むな」
「……宇野さんが、勝手に」
「宇野は俺の秘書だ。宇野がすることは、俺がしたことになる」
ことはは窓の外を見た。宇野が持ってきた規則の束。私の判断です、と宇野は言った。それは遼がしたことになる。遼はそう言っている。そして、頼むな、と言っている。
「頼みません。わたしの店のことですから」
「そうだ」
遼はそれだけ言った。車は坂を上った。
手の甲が、少し痛んだ。ことはは手を膝の上で裏返して、赤いところを隠した。遼は、窓のほうを向いていた。
◇
部屋に戻ると、机の上に小さな箱があった。
軟膏だった。薬屋の袋から出して、箱だけ置いてある。やけどに、と箱に書いてある。
ことはは箱を持って、台所に降りた。芹沢が片付けをしていた。
「芹沢さん。これ」
「はい」
「置いてくださったんですか。手のこと、言ってないのに」
芹沢は布巾を畳んで、言った。
「坊ちゃまが」
「……氷川さんが?」
「お帰りになって、わたくしに、薬屋へ、と」
ことはは箱を見た。車の中で、遼はことはの手を見なかった。見なかったはずだった。
「芹沢さんが買いに行ってくださったんでしょう」
「わたくしは、言われたとおりにいたしました」
芹沢は布巾を棚に戻した。戻してから、ことはのほうを見ないで言った。
「坊ちゃまは、ことはさんがいらっしゃる前から――」
言葉が、止まった。
ことはは待った。芹沢は、布巾の端をもう一度直して、口を閉じた。
「前から、何ですか」
「……いえ。軟膏は、朝晩お使いください」
芹沢は頭を下げて、台所の奥へ行った。
ことはは、箱を持ったまま立っていた。いらっしゃる前から。いらっしゃる前から、何だ。
コメント
1件
第7話、読み終えました。深夜の工房で餅が手の甲に貼りつく場面、すごくリアルでひやりとした……熱さがこっちまで伝わってくるようでした。 「包む手」を見せるという商売の形、父の動きを受け継いだ手が母の足を止める流れが静かに効いていて、いいなと。そして遼が何も言わずに軟膏を届けるところ、芹沢さんの「いらっしゃる前から」の続きがすごく気になります。言葉が少ないほど伝わるものがある回でした。続きが待ち遠しいです。