「※この物語はフィクションです。実在の人物及び団体等とは一切関係ありません」
〈3話〉
生米が入った炊飯釜を手に、私は途方に暮れてしまった。
「……お米って、どうやって炊くんだっけ?」
虚しい問いかけに応える声はない。
洗剤で洗っちゃダメなのは知ってる。
でもどれくらいの力加減で、どれくらい洗って、どれくらいの水で炊くの?
「面倒くさいけど、コンビニでカトウのご飯買ってくるか……」
炊飯窯をテーブルに置いて、匂いに誘われるようにお鍋の蓋を開けた。
鍋の中には、いくらか冷めちゃった三柴特製のクラムチャウダーが入っていた。
三柴の料理の手際は鮮やかだった。
まず三柴は、火が通りやすいように小さくサイの目に切った材料をバターで炒めた。
それから小麦粉を入れて、少しずつ牛乳を加える。
計りもせずに調味料を入れて、シーフードミックスを入れてひと煮立ち。
これで完成。
「『隠し味に味噌を少し入れても美味しいんだ』」
三柴はそう言って、ちょっとだけ笑ってたっけ。
私は横に置かれていたおたまで、鍋の中をぐるりかき混ぜる。
「……私1人分には多過ぎでしょ」
――数時間前。
「オレを――オレを、ここに置いてほしい」
「そっちぃぃいいい!!?!!?」
「そっちってどっちだよ」
「あっち――じゃなくて。流れ的には告白っぽかったから。違ってて良かったけど」
もしかしたら、三柴は私が貼った同居人募集の紙を見たのかもしれない。
でも私が探してるのは、女の子の同居人だ。
実用だろうと観賞用だろうと、家にイケメンを置く気はない。
三柴は大して広くもないキッチンをじっくり見回した。
「……それなりに使われてた形跡のあるキッチン。なのに、今はコンビニ弁当の容器やらカップ麺やらが積まれてる」
「え?」
「冷蔵庫の食材は古くなってて、もうダメになってるのもあった」
「あちゃー……」
「使わせてもらった部屋、家具は大体あるけど生活感がない。だから同居人に逃げられたんだろうと」
「わあ、名推理。100点満点。王子やめて名探偵になったら?」
王子ネタはお気に召さないらしく、三柴はきれいな眉をきゅーっと 顰(しか)めた。
だけどすぐに持ち直して、口元に冷ややかな微笑みを浮かる。
「なんだ、同棲してた彼氏に逃げられたのか。可哀そうに」
「マイナス100点。とっとと出てけ、ヘボ探偵」
ドアを指さすと、三柴は声を上げて笑った。
私も別に本気で言ったわけじゃないから、おひたしの上のコーンを摘まんだ。
冷凍食品だから触感はイマイチだけど、ほんのり甘くて美味しい。
「オレ、結構役に立つと思うけど」
目を合わせると、三柴は思い切ったように口を開く。
「1日3食の上手い飯とおやつと、清潔な家を保証するから、ここに置いてほしい。家賃とか光熱費もきちんと払う。危害も加えない」
それから言うか言うまいか迷ったように、三柴は「お前の言うことも、きく」と付け足した。
言いたくないことを言ってるんだなあ、とわかるような声だった。
「はい。質問です!」
「なんですか、佐倉くん」
「なんで、うちなの?住むとこ探してるなら、不動産屋さん行けば?駅前に4軒、選り取り見取り、選び放題だよ」
「実は……先週、オレが住んでたアパートが燃えた」
「えっ!?」
三柴はポケットに入れてたらしいスマホを出して、私に差し出した。
スマホには「マジ火事現場―」って感じの写真が表示されていた。
アパートが木造だったのか鉄筋コンクリート製だったのかもわからないくらい、焼けちゃってる。
壁も床も清々しいまでに灰になって、熱で形をなくしたパイプがへばりついてた。
「ちょ、これ、三柴の家!?」
「ああ。思わず撮った。撮ったあとで我に返って、現代っ子の鑑(かがみ)だなって思って嫌になった」
「SNSにアップしてなかったらセーフよ。というか、よく無事だったね」
「泊まりこみで、友達んとこでレポートやってたからな。でもまあ、オレの部屋はまったく無事じゃない」
三柴は肩を 竦(すく)めてスマホをしまった。
「実家は?」
「ない。友達も実家暮らしだから連泊は……ちょっと、な」
「じゃあホテルとか」
「最初、漫画喫茶とかいたんだ。運悪く身分証求められて、未成年ってバレて追い出された。早生まれって損だよな」
ということは、ホテルはどこも厳しい。
バレなきゃ泊まれるけど、家が元通りになるまで三柴はホテルを泊まり歩くことになる。
きっと期間は1ヵ月程度じゃすまない。
「ウィークリーマンションとか」
「……保証人になってくれるような人がいない未成年だぞ?」
そういえば、さらっと実家はないって言ってた。
なんでもないように言ったけど、そんなはずない。
「火事でダメになったとこ、大家のばーさんが良い人でさ、特別待遇で住ませてくれてたんだ。建て直しが終わったら、また住めることにもなってる。だから……」
昨日、三柴が持ってたトートバッグを思い出す。
大きく思えたバッグが、今はとても小さく思えた。
人ひとりの生活を支えるには、あまりにも頼りない。
三柴はあれだけしか、持ち出せなかったんだ。
「三し――」
「やっぱ忘れてくれ。なし。今のなしなし」
そう言って、三柴は箸を手にした。
あっけに取られる私を放っておいて、むっしゃむっしゃとご飯を食べる。
「はあ!?困ってるんじゃないの!?」
「よくよく考えたら、お前の世話焼くの大変そうだ。よだれ垂らしたまま起きてくるような残念な女、御免蒙(ごめんこうむ)る」
「殴るわよ」
「いいぞ。ついうっかり反射的に強めに蹴り返すかもしれないけどな」
「ちょっと、今日1番イイ顔して言わないでよ」
「冷めるぞ。いいから、はやく食えよ」
私は三柴の顔を 時折 窺(うかが)いながら、朝食を摂った。
冷蔵庫の中身を持て余してる私を察してか、三柴は昼食にとクラムチャウダーを作ってくれた。
胃袋を掴む作戦かと思いきや、三柴は片づけが終わると帰り支度を始めた。
「え、一緒にお昼食べないの?」
「ああ。米くらいは自分で炊けよ。パンがよければ買いに行け。余ったのは夜に回せ」
「うん……」
三柴はトートバッグを手に、靴を履いた。
「佐倉、ありがとな」
そう言った三柴に「行く宛てあるの?」とは聞けなかった。
意味もなくクラムチャウダーをかき回していると、ふいに雨の音に気づいた。
ベランダのカーテンを開けると、まだ降り始めらしい雨が地面の色を変えていくのが見えた。
三柴のトートバッグに、傘入ってたかな。
キッチンに戻って、おたまについてたクラムチャウダーを指で掬って舐めた。
「美味しい」
一流の料理人が作るのとは違う、独身の男女の胃にガツンとくるような味がした。
「……カトウのご飯、買いに行かなきゃ。そう、ご飯。ご飯のためよ!」
でももし途中で偶然にも三柴と会ったら、傘を貸してやろう。
それにほら、1人分にしてはクラムチャウダーが多すぎる。
そう言い訳して、私は傘を2本持って家を飛び出した。
三柴の行き先に心当たりなんてなければ、連絡先も交換してない。
だって、私は昨日まで三柴の顔と名前すら一致してなかった。
とりあえず品揃えのいいコンビニ目指して、駅前まで出ようと決める。
だってほら、家から徒歩2分のコンビニはカトウのご飯売り切れな気がしちゃったから。
急いでるのに運悪く目の前で赤信号に変わってしまって、思わず足踏みする。
信号が変わって、駆け足で横断歩道を渡る。
2歩、3歩――。
キィィイイイッ!
雨を掻き消すようなスリップ音に振り向く。
バイクがtうkkおヴぁにあkjn――。
〈続〉
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