「異世界に行くには、だいたい事故がキッカケなんだよ」
したり顔でうなずく星歌。
その視線は忙しなく左右に動いている。
青信号の車道を容赦なく通る車の往来を確認しているのだ。
数歩離れた位置でおもむろに腕を組んだ行人。
「フーン」と相槌を打ちつつ、遠い目を泳がせている。
それぞれ、パン屋と学校の帰り道。
別に待ち合わせをしたわけではない。
たまたま一緒になって、たまたまふたりで行人の家に帰るところである。
フード付きパーカーにチノパン、スニーカーという色気のない──いや、バイトに適した服装をした星歌、ついに車の流れに合わせて上体まで動かせ始めた。
どうやら、ひそかに「モノホン王子」と崇めていたパン屋のオーナーがゲイと判明したようでショックを受けたという。
時折、パン屋に迎えに来る行人を見て一目惚れしたらしいと、翔太が言いにくそうに星歌に告げたのだ。
「みんなそうなんだ! 世の中みんな私のことなんて見てもいないんだ。みんなみんな、行人やケイちゃんを美しいって褒めそやすんだ!」
ブツブツ言いながらも上体の揺れが激しくなる。
車道に飛び出す構えなのは見て分かった。
「異世界に行けば……異世界にさえ行けば、私だって何とかなるんだ! イケメンに囲まれて、働きもせず、良い暮らしをして、しかもチヤホヤしてもらえるんだ!」
上体の動きに合わせて右足を大きく踏み出す。
車の前に飛び出すタイミングを図っているのは明白だ。
何度か足を踏み出し、引っ込めて、そしてまた踏み出した。
それから、おもむろに向きを変える。
「って、止めろよ! 行人!」
腕組みをしたままの行人、白々しくキョトンとした表情をつくった。
「えっ、止めていいの? 異世界に行くんじゃないの?」
「バカ! うまく行けたらいいけど、気が付いたら病院のベッドの上かもって考えたら思い切れないんだよ。それって異世界転生の失敗だけじゃなくて、交通事故じゃないか! 大惨事だよ!」
したり顔で頷く行人。
「何より、轢いた車に迷惑をかけるもんね」
トボトボと、はた目にも憐れなくらいに肩を落とした義姉の姿に笑みをこぼす。
「まぁ、星歌が異世界に行くなら俺も一緒に行くから」
鞄からキーホルダーを取り出した。
夕陽の残照を受けて、キラキラと輝く星飾り。
星歌の腕にも同じものが。
壊れてしまったブレスレットを、行人が修理してくれたのだ。
バイト中は外していたものの、帰宅時にはすぐに身に付けるようにしている。
「べ、べつにこの飾りがあるからって確実に異世界へ行けるって保証もないからね? 第一、姉弟そろって異世界転生ってヘンじゃない?」
「……七割方、成功するみたいな口ぶりで言うのやめてほしい」
呆れたような口調ながらも、行人も義姉の異世界ネタに対していつもの小馬鹿にした態度ではない。
「……分からなくもないよ。星歌が異世界に逃避したくなるのも。俺だって呉田騒動のときはもう胃が痛くて痛くて、別の世界に行きたいって本気で思ったもん。思わず実家に帰ったわ」
「あははっ!」
「あははじゃないし」