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頼まれたバス用品専門店の前で深い溜め息を吐く。
『主様、大丈夫でございますか? 日を改めるという手もございますよ』
『様子を窺っておるようじゃからなぁ……』
さすがに跡をつけてはこないが、店長自ら店の前で掃除などを始めている。
こちらには背中を向けているが、何かあれば駆けつけるはずだ。
「せっかくの猫足バスタブ購入なのに……ちょっとケチがついた気がして寂しいけどね。それでも、やんごとなき系の無茶は不憫に思うからねぇ……」
近しい者とはいえ、他人があそこまで口出しするくらいだ。
店としては致命的な酷さなのだろう。
『主様にお願いした時点で、一流店から転げ落ちておりますよ!』
『じゃよなぁ……それでもまぁ……次代には、名誉回復もできるやもしれん』
「そうだよね。今代は悪評に耐え忍べば、次には盛り返せるかもしれないじゃない? 品物は実際良かったし。名前のセンスは……うん。あれはあれで貴族には受けそうだし!」
オタク的発想を排除するなら、むしろ高貴な方々が喜ぶ雅な表現ではないだろうか。
「バスタブは買うとして、他には何が必要かなぁ?」
『タオルを掛ける移動式ハンガー、ソープ&シャンプー&リンスを入れておくラック、足拭き用のマット、あとはバスタブの下に敷く専用のカーペットというかマットでしょうか?』
『バスタオルやフェイスタオルも好みの物があれば買ってもいいじゃろ。掃除用具も一式買っておいた方が無難じゃ。おまけとしてつけさせるのもありじゃのぅ』
「ただより怖いモノはないって言うわよ? おまけはまぁ、向こうから言い出したら考えるかな」
扉の前に立つと、いきなり扉が開く。
驚きに瞬きをした。
「いらっしゃいませー! ようこそ、美人のお姉さん!」
あー、こいつかぁ……と、生温い目線で、テンションも高く現れた男性を見上げる。
夫に何一つ勝てないが、世間の目線では美形と評価されるであろう男性が、ナルシスティックなポーズを取って、こちらへ手を差し伸べていた。
「主様が美人なのは言うまでもないことですが、旦那様のおられる主様の手を取ろうなどとは無礼千万! 店主を呼びなさい!」
「おいおい。アンタも……まぁ、美人だけど、ちょっと俺には薹《とう》が立っているかなぁ。お呼びじゃないんだよ! すっこんでなっ!」
美人という括りで比べるのなら、十人中十人が私ではなくノワールに軍配を上げるだろう。
ノワールは凜とした清楚たる美人なのだ。
外見的年齢も私とほとんど変わらない。
それなのに童顔を自覚する私を評価する男性は、真性のロリコンに違いない。
夫が送ってくる無言の威圧を、そのまま男性に向ければ話は簡単に終わりそうだが、そうもいかないだろう。
男性がノワールの襟首を掴み上げようとするも、優美にスカートの裾を翻しながら容易く逃げおおせたノワールは、男性の背中を極々軽く押した。
足がもつれて腕に触れてしまった、と十分言い訳が可能な触れ方だ。
だが男性は無様にすっ転びながら入り口から店外へと、転がり出てしまう。
「ウインドウォール! じゃ!」
戻る時間など与えるはずもなく、ランディーニが素早くウインドウォールによる風の障壁を立てた。
何やら叫ぶ男性の声が聞こえないので、防音機能搭載らしい。
男性は見えない障壁に思いっきり突っ込んで目を回してしまったようだ。
仰向けに勢いよく倒れてしまった。
まるでコントだ。
「……あれで頭を打って真っ当な人になったりしないかなぁ?」
「あの手の男は、悪化しそうですよ、主様」
「うむ。我もそう思う」
「だよねぇ……」
頭を打って性格が良い方に変わるケースは、リアルでもあるらしい。
私自身、夫から聞いた例もある。
だが、必ずしも思い通りに行かないのが、世の中というものなのだ。
「……当店の従業員がお客様に大変失礼をいたしまして申し訳ございません。伏してお詫び申し上げます」
私が誰なのか、分かっているのか、いないのかはさておき。
土下座は大袈裟だろう。
相手が貴族であれば、当たり前なのだろうか。
慣れきった謝罪に誠意を込めるのは意外に苦労するのだが、一流店の店長と呼ばれるだけはある。
謝罪には何処までも真摯な響きが宿っていた。
この人柄を惜しんだのか。
同業の悲哀というものかもしれない。
やんごとなき系に目を付けられる可能性は、どの店にだって等しくあるのだから。
「事情は御近所のカーテン屋さんに聞いて伺っていますから、そこまでの謝罪は不要です。災難に見舞われましたね?」
「! 不敬は! 全て私どもが負わせていただきますので、どうぞ! 罰は全て我が店に! 本日にでも店じまいを!」
私の言葉から、カーテン専門店の店主が何をしたのかを理解したようだ。
頭の回転も良いし、決断も早い。
今の所、マイナス要因が全く見つからないことに、私は一人心を浮き立たせる。
なかなかいないのだ。
初対面で好ましいと判断できる人は。
「しなくていいです! えーと? 私がどういう立ち位置の人間なのか、御存じで?」
「先々代よりシルキー殿の話が伝わっております。絵姿も残っております。高貴である以上に、お心の清らかな方にしか仕えぬ従僕の極みにおられる方だと」
おー。
ここでもノワール無双だ。
しかし、ノワールが武芸全般を求めるに至った昔の主人が、心の清らかな方と表現されるのは不思議な気がしないでもない。
『……主様とは全く違う性質の御主人様でございましたよ。どこまでも純粋な方でした。良しにつけ、悪しにつけ……』
少々歯切れの悪い物言いだ。
だがノワールにとって仕え甲斐のある主人であったのは間違いない。
そうでなければノワールは、戦闘メイドの道を歩みはしなかっただろう。
『我も知っておるが……豪傑で純粋な奴であったな。奥方の世界でいうところの……天然特有に空気を読む脳筋といったところじゃろうか』
て、天然の脳筋!
そ、それは貴重だ。
是非一度会ってみたかった。
……貴女は、鬱陶しいとしか思わないでしょう。
会わなくて正解です。
夫の声には嫉妬しかない。
それだけで、その人が好ましい人なのだと十分に知れた。
「心が清らかかどうかは自分では分かりませんし、私自身は高貴でもなんでもありません。ただ、最愛の称号を持っております」
「さようで、ございますか。それでは、店を閉めるだけでは謝罪になり得ません。私どもでは判断できかねますので、どうか。お客様の望む謝罪と贖いをお聞かせ願えませんでしょうか?」
死ねと言えば、きっと死ぬのだ。
そこまでの覚悟が伝わってくる。
「……外で転がっているモノが押しつけられる前と同様の、専門一流店らしい経営を希望します」
「それだけ、で、ございましょうか?」
「私自身に力はないけれど、私の主人が与えてくれた称号は、理不尽に虐げられる者を許しません。全てを助けたいと勇者や聖女を気取るつもりは微塵もありませんが、袖振り合うも多生の縁……今回は、称号の力を存分に使おうと思っています」
「望まぬとはいえ、当店の店員が不敬を働きましたのに、御厚情を賜り心より御礼申し上げます」
店長の後ろで、店員一同が揃って土下座をする。
感謝の土下座という、向こうの世界ではむしろ不快に感じられる行動をされるも、しつこいストーカーから解放されたような、喜びに満ちた表情をされてしまうと苦笑するしかなかった。
「……言うまでもなきことですが、今後! 主様からいただいた御厚情を勘違いして、その名を騙る真似なぞしないよう、念の為! 申し上げておきましょう」
ノワールの冷ややかな声音に、喜びが一瞬で緊張に変わる。
「無論でございます。当店の末端まで徹底いたします」
ゆっくりと立ち上がった店長は深々と腰を折った。
一流ホテルで接客してもらった部屋専属執事を思い出す、見事な所作だった。
……前言撤回は、あとの方がいいかなぁ?
そうしてくださいませ!
その方が良いじゃろう。
二人に同意します。
心の声に、二人どころか夫にまで賛同されてしまった。
ここまで誠意を示してくれるのだ。
カーテン専門店の店長へ向けた言葉を撤回しようかと考えたのだが、それは一通りの手配がすんでからが無難らしい。
「では、アレの始末はあとに回すとして……猫足バスタブを探しているので、お薦め商品を紹介してほしいのですが……」
「承りました。どうぞ、こちらへ……」
両側にびしっと並んだ店員の道を通りながら、肩にランディーニ、左一歩離れた後方にノワールを従えた私は、最愛の称号を持つ者なら、こんな感じかな? と考えた、鷹揚たる態度で店長自ら先導する後ろに続いた。
「こちらが猫足バスタブの売り場にございます」
「おぉ!」
「うむ。なかなかに壮観じゃのう」
無言のノワールも一つ頷いたので、同じように感心しているようだ。
カーテン専門店同様に、空間魔法的な何かが使われているだろう店内はびっくりするほど広い。
向こうの世界にもあった高級家具店を思い出す。
全部で軽く百を超えるだろう、痛快だ。
バスタブのほとんどが、陶器製で白。
猫足が金だったり、銀だったり、陶器だったりといった微差がある風合い。
ただ、それ以外でも家紋らしき図案が描かれている物、カラフルな花柄、一色の花柄、ダマスク柄もあった。
真っ黒いバスタブには驚かされるが、パステルトーンならありかもしれない、と優しいピンク色のバスタブを覗き込む。
「お時間をいただきますが、オーダーメイドも受けつけております。例えばこちらの無地物に図案を描くセミオーダーなども受けつけております」
「……主様? こちらの百合の図案が浮き上がっているバスタブは如何でしょう? 足は陶器製ですが、銀か金の装飾が少なめの物に取り替える感じで」
ノワールのお薦めが、店長のお薦めより先だった。
ぱたぱたと羽音をさせながら広い売り場を回っていたランディーニも、その声に戻ってきて肩へ止まる。
「カラフルな花柄模様なども愛らしいとは思ったのじゃがのぅ。このバスタブは品があって悪くないなぁ」
「とある国で寵愛された姫君が一時期、教会に身を寄せる際に作られた物を参考にしたのだ、と職人より説明がございました」
何とも物語を感じさせるバスタブだった。
色のあるバスタブにも心惹かれたが、やはりバスタブの色は純白がいいだろう。
側面に浮き彫りとなっている大輪の百合は、実に優雅だった。
反対側にも同じものが逆方向に彫られている。
「シャワーも設置可能ございます。陶器、金、銀と用意しております」
シンプルな銀にも心惹かれるが、ここは思い切って豪奢な金にしてみようか?
店主と店員が並べてくれた、三種類のシャワーセットを前に腕を組む。
「こちらはどういった造りになっているのでしょう?」
「はい。お湯の出る魔石と水の出る魔石を組み込んでおります。月に一度魔力の補給をお願いいたします。魔石は良質な物を使っておりますので、劣化はございません」
シャワーはヘッド部分を右に回すとお湯、左に回すと水が出るらしい。
また、バスタブに溜めるお湯は使い始めに適温設定が必要とのこと。
しかし初期設定さえすませてしまえば、寒暖に応じて自動調節までしてくれるという優秀具合。
電化製品にも引けを取らない。
むしろ更に上を行くかもしれない。
「使い勝手も良く、手入れもしやすいバスタブのようですが、如何いたしましょう、主様」
「じゃあ、これでお願いしようかな」
「足とシャワーは何製にいたしましょう? 統一性を持たせた方がよろしいかと思われますが」
「金でお願いします!」
「主様なら、銀にされるかと思いましたが……」
「何かこう……ちょっと豪奢にしたかったんだけど、おかしいかな?」
「いいえ! ただ珍しいと思っただけでございます。銀よりも金の方が手入れが容易くなっておりますので、メイドといたしましては金製品の方が大変有り難く……」
慌てたように首と手を振るノワールは賛同してくれたが、ランディーニの意見も聞いてみようかと肩に目線を向けるも、その姿がない。
軽いので止まっているのかいないのか分からないので、当然何時姿を消したのかも分からなかった。
「……あれ? ランディーニは?」
「主様が気付かれないうちにのぅ! と豪語しておりましたが……外の後始末に動いております」
「あ! そうなんだ。一言教えてくれれば良かったのに」
「格好付けたいお年頃なのでしょう。永遠の厨二病?」
「ぷ! それじゃあ、ランディーニが可哀相だよ! 本当、ノワールはランディーニに手厳しいよね」
「実力に関しては重々信頼しておるのですが、如何せん性格が自由でございましょう?」
「個性なんだろうけどね。空飛ぶ生き物って、なんとなーく、そんな印象があるかなぁ?」
「大変恐縮ではございますが、どういった手配を取られておられるのか、お教え願えませんでしょうか?」