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『葛姉はさ? 人を斬ったりできる?』
いつぞや交わした実妹との会話が、頭の片隅で不知火のようにチラついた。
私たち姉妹に似合いの、危なっかしい話題。
先の質問について、答えはもちろん決まっている。
──無理。 だってバッチぃもの。
『汚くなかったら、斬(や)れる?』と、それに対する応答は、かくも気転が利いていた。
──そういう問題じゃないっしょ?
この卑怯な応じ手に、さてどのように返したものか。
私が倦(あぐ)ねていると、妹は咳払いをコンコンとやって眉を顰(ひそ)めた。
『こんな事、いまの私が言うのもアレだけど』
その前置きを聞いてピンときた。
彼女がこういった物の言い方をする時は、決まっておかしな方向へ話が転がる。
いやもちろん、切った張ったに関する旨を、こうして悪びれもせず主題に据える現状も、十分にヘンテコではあるのだけど。
『どうしようもない時って、きっとあると思うんだよね……?』
眉間に指先を添えて渋い顔を演じる私に、妹は自身の手元に視線を落としたまま、ゆっくりと言った。
つまる処(ところ)、その時が来れば迷わず行けと。
──お奉行さんがそんなこと言っていいのかね?
しょうことなしに笑ったが、私の内心は複雑だった。
泉下の“本家” 地獄を統べる権門の息女として生を受けながら、その立場に溺れることなく、腕っぷしで彼(か)の地を震撼せしめた御伽噺の化け物。
今や天上の裁判官に落ち着くかわいい妹だが、実に彼女らしい含蓄のある考えだと思った。
もちろん、非常にヤサグレた含蓄(がんちく)だ。 かつての荒くれた日々を如実に示す、悲しい価値観だ。
あんな姿を拝むのはもう二度とゴメンだよと、口を酸っぱくして物申したあの頃が懐かしい。
『ただ──』と、そこで瞳を伏せ気味にした彼女は、どうにも力のない笑みをそろそろと撒(ま)いた。
ワケを問うも、一向に応じない。
──言いたいことがあるなら、はっきり言ったほうがいいよ?
心に秘めた思いは、必ず何処かで物事を狂わす歪(ひずみ)となって顕(あらわ)れる。
これもまた、おエラい神々サマによる呪法の類だろうか。
当人も同様の考えに思い至ったようで、間もなく観念したように口を開いた。
『ただね? そういう葛姉の姿は、あんまり見たくないかなって』
あの時の表情は忘れない。
この世界に、あれほど悲しい笑顔があることを初めて知った。
こんな“世界”に、あれほど温かな戒めをくれるヒトがまだ居たことを、わたしはその時初めて知った。
「………………ッ!」
止(とど)めの一刀が駆け出す間際、辛うじて正気づいた葛葉は、力の限り剣線を外側へ往なすことに専心した。
刃部に纏(まと)わる高圧が一挙に流動し、耐えきれずに暴発。 放射状に飛散した剣呑(けんのん)な気団が、広野一帯をわが物顔で席巻した。
「おい無事かッ!?」
いち早く矛(ほこ)を納め、険のない大声を張る。
身辺には砂嵐のような煙幕が密に立ち込めており、男性の安否は知れない。
彼の中折れ帽が、しきりに沸き立つ粉塵の狭間をヒラヒラと舞った。
「あ……!」と、当面の活眼に光明が差した。
次第に晴れゆく煙幕の向こうに、力なく蹲(うずくま)る人影が見える。
しかし、その身は心棒が凍りついたように微動だにしない。
遠景に横たわる山相が、流れ弾と化した五方の気に当てられて、跡形もなく吹き飛んだ。
「やっぱり化けもんかよ……」
ただただ愕然とする男性であったが、なぜだか胸はいたく空(す)いていた。
あまりにも規格外な物を見せられた所為(せい)で、脳が正常な処理を放棄したか。
いや、彼とて面妖な組織の魁(さきがけ)を担うからには、任務次第ではこうした奇景にのぞむことも間々あった。
ならば、これは単に諦観かも知れない。 これ以上の悪あがきは無用と、早々に割り切った所以(ゆえん)かも知れなかった。
「……いいぜ。 好きにしろよ?」
いつしか、その身は観念したように大胡座(おおあぐら)をかき、口は神妙を唱えていた。
「やだよ。 面倒くさい」
しかし、葛葉はすでに毒気を無くした後だった。 この上さらに、刃物を振り翳(かざ)すほど野暮ではない。
それに何より、人死にが出るような無粋なものを断じてケンカとは言わない。
血振るいの体(てい)をなし、差料を静かに納める。 ふと思い立った事柄を、飾らず言葉に乗せた。
「もうちょい、悩んで生きなさいな?」
「あ?」
「いや、私もさ? 他人(ひと)さまに説教できるほどのアレじゃないんだけど、人格的に」
「……だろうな」
「ただ、何ていうか」
鼻先に漂う焦げた臭味は、何処(いずこ)から流れてきたものか判別がつかなかった。
辺りの荒野かも知れないし、すぐ足元の荒土かも知れない。
あるいは、あの日あの時の焔が、まだ“自分”の中でしつこく燻っているのかも知れなかった。
「その先にさ? なにか面白いことがあるかも知んない」
「……面白えことって何だよ?」
「知らんよそんなん。 そこはほれ、やっぱり自分で探さないといけないんじゃない?」
淑(しと)やかな風が吹き、当面の臭味をやんわりと追い払ってくれた。
朝の陽光は相変わらず無関心を装いつつも、気忙しい一日の始まりを、あるいは所在なげに過ぎるであろう本日の始まりを、ぼんやりと物語っているようだった。
かすか、黒髪の合間に生じた燐光が、初蛍(はつほたる)のように生き生きと舞い、跡を残さず散っていった。