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かの地を東へ東へと進んでゆくと、やがて鈎形の半島に行き当たる。
地域の特色としては、潔斎(けっさい)した人々が多く住まう信仰の土地。
とは言え、それもずいぶんと過去の話で、着々と雅俗化が進んだ現在では、その日暮らしを求める人々によって派手やかな賑(にぎ)わいを見せていた。
手狭な通りには目に滲みるネオンの明かりが爛発し、安宿の軒下では今日も酔客が潰れていた。
ちょうど鼻先のように突き出した半島の先端、古めかしい灯台を擁(よう)した岬をのぞむ海上に、小規模の孤島がポツンと浮いている。
島の名称は不明。 少なくとも、通称くらいはあって然るべきなのだが、誰もそれを知ろうとはせず、興味をもって探ろうともしなかった。
すこし離れた海域には、同様の浮島が幾つか点在しており、これらは独自の交易ルートを循環させて流通の手助けを担っている。
しかし、当該の孤島はいずれの島とも交流が無く、かの半島から連絡船も出ていない。
小舟で漕ぎ出そうとする者も居らず、身ひとつで渡ろうと思い立つ者も皆無だった。
そこに在るにも関わらず、誰も触れようとしない不思議な島。
ただ、一帯の地域には古くから伝わる妙な習わしがあった。
“あの孤島に、足を向けて眠ってはいけない”
なぜ、そうする必要があるのか。 どういったいわくがあるのか。
当の住人たちは、そもそも疑問すら思い得ず。 また、詳細を調べようともせず。 今宵も定例に倣うのである。
それら隣国にともる町の灯も、夜更けと共に居所をなくし、一つまた一つと消えてゆく。
「………………」
その模様をひっそりと打ち眺める星空のような瞳に、世俗に纏(まつ)わる関心事は微々として浮かんではいなかった。
幼気(いたいけ)な耀きの奥底にあるものは、果たして憂色なのか、あるいは何かしら情動に等しいものなのか、その辺りの機微が一向に判然としない。
「どうなってんのオイ!?」
途端、しきりに立ち騒ぐ女性が一名、大戸から飛び込んできた。
余程に慌てているらしく、口調はいたく乱雑で、蓮(はす)っ葉な印象が際立っている。
健康的な日焼け肌には、玉の汗が白露のように浮いていた。
「なんでウチと揉めてんの!? あのヒト!」
「………………」
一応の巫女装束を装ってはいるが、緋袴の丈が左右で異なり、やや窮屈な白衣にいたっては両袖がない。
身体の起伏を顕示する出で立ちは扇情的で、しかし背中(せな)に負った熱気が烈(はげ)しすぎるせいか、むしろ俠気(きょうき)のほうが先に立つ。
この眼(まなこ)が、誂(あつら)え向きに窓際の孤影を認め、すなわちこれに飛びついた。
「ちょっと聞いた!? あのヒトがウチとやり合ったって」
「………………」
「よりによって虎石ってオイ! なんであんなイカれ野郎」
「誰かが──」
「ちっくしょー! え!? 何ですって?」
「誰かが、そう仕向けた」
小鈴を転がすような声色が、即座に女性の気熱を冷やかした。
時を経(へ)ず、その心胆に別の拍車が掛かる。
「それ、どういう事?」
「………………」
徐(おもむろ)に向きを変える瞳に倣(なら)い、女性もまた後方を返り見る。
広大な室内には、大型の電算機がところ狭しと詰め込まれており、多数の人員が各自の持ち場にあたっていた。
粛々と作業に勤しむ者がいる一方で、こちらの様子をチラチラと窺いつつ、私語に費やす者らもいる。
両名にとって、見慣れた職場の風景ではあったが
「……それってまさか、獅子身中の?」
「………………」
「こん中に?」
「それは……、いえ」
明言を避けた先方は、思い余ったようにサッと踵(きびす)を返した。
墨色の袴が微(かす)かに躍り、月色の千早が音を立てずに舞った。
「ちょい待って!」
慌てて呼び止めるも、かの足つきは応じない。
「すこし調べてみます。 引導を渡さねば」
代わりに女性のもとへ寄越(よこ)された応答は、かくも律儀(りちぎ)で、かつ内心を凍えさせる言い分だった。
「引導って……」
彼女がそう言うからには、きっとその通りに運ぶのだろう。
世俗に纏わる妄言は多々あるが、かのお壷口(つぼぐち)がそれらを弄(ろう)するのを、いまだかつて見たことも聞いたこともない。
正直者とは実に不憫な存在だ。
思い立ったらその通りに計らい、納得するまで止まることを知らない。
いや、この場合どちらが不憫か知れたものではないと、女性は俄(にわ)かに首を竦(すく)めた。
龍(たつ)の逆鱗に触れた者がどうなるか、そんなものは近頃の子どもだって知っている。
「ちょっと!? スミちゃんってば!」
しかし、ただでさえ混乱した状況だ。 あまり同僚の軽挙を見過ごすわけにもいかず。
再三の制止を試みようと努めるものの、先方の姿はすでに見えなくなっていた。
ただ、彼女が刻んだものらしい小さな足跡が、タイル張りの床にくっきりと、焔の轍(わだち)として消え残るのみだった。