小話/多方面にごめんなさい
大型の合間、穏やかな午後のことだ。警察署に入ってすぐ呼び出し音がしたので、青井は自分の携帯を確かめた。
青井の携帯は真っ暗な画面のままだ。電話が来たのは自分ではないらしい。キョロキョロとあたりを見れば床に大の字になったつぼ浦が見つかる。
「つぼ浦、電話鳴ってない?」
「今忙しいんで」
「何してんの」
「Chillしてます」
「それは暇でしょ」
「全力でChillしてるんすよ」
「ならしょうがないか。じゃコール切りなよ」
「それが凄いんすよ」
つぼ浦は床に寝転がったままピッと携帯の赤いボタンを押した。一瞬静かになって、また電話が鳴り始める。
「ほら」
「ウワ。何、ギャング? 借金取り?」
つぼ浦は寝返りをうって青井に向き直る。
「非通知なんでわかんないんすよね。出ても無言だし」
「怖。それで疲れて休憩中なんだ」
「いやご飯いっぱい食べたら動けなくて」
「小学校?」
「カレーライスまだ残ってんすよ。食いませんか」
「食いかけじゃないなら頂戴」
「残り13人前です」
「馬鹿」
会話の最中にも電話は鳴り響いている。追い立てるような電子音だ。青井は耳を塞いで片手でカレーを受け取った。
「お前、それどうすんの」
「市民から通報あったりするんで、電源切るのもあれなんすよね。どうすっかな」
「じゃ貸して」
「お」
ポチポチといくつかのボタンを押して、青井が再び通話を切る。
追い立てるような着信音が世にも奇妙なメロディに変わった。
「は、ははははははは! アオセーン! なんでよりによってこれなんすか!」
「俺これ好きなんだよね。アレやってあれ」
「デケデケデン↑ デケデケデン↓」
表拍子に合わせて高らかな手拍子が響く。指をさして青井が笑う。
「ひーっ、ひーっ、あは、アハハハ」
「あしかもエンドレスだこれデケデケデンデン↑ デケデケデン↓」
「ハーーーーーっ! あは、あはははは、は~~っ」
「解決しましたねこれ」
「あーもう完璧。一日これで行こう」
「ずっと手拍子すんの?」
「そう!」
「ふ、俺これどうやって立ち上がるんすか」
「あー気合い!」
「出たよ気合い」
つぼ浦は腹筋と勢いで起き上がろうとするが、重力に負けて背中を強かに打ち付けた。「い゛っだ~」と呼吸で痛みを逃がす間にも手拍子を続けている。
「無理ですこれ無理」
「しゃーないなー」
青井はガシャっとギミック弄り、展開された担架でつぼ浦をすくい上げる。
移動する世にも奇妙なBGM。続く手拍子。通りかかった馬ウワーが膝から崩れ落ち、階段から力二が滑ってそのまま床をバンバン叩く。強制コメディテロだ。
「どこ行くんすか」
「逆にどこ行きたいの」
「あー、じゃあ飯屋」
「お前、服の上からでもお腹パンパンじゃん。今日はもうやめといたら?」
「ちくしょう、なら誘拐だぜ」
「あ、お前」
「ポチーっ! 誘拐拉致監禁罪!」
「こいつー!」
方向転換して、青井は階段を駆け上がる。察したつぼ浦がぎゃあぎゃあと喚いた。
「考え直してくださいアオセン!」
「いやでーす。反省しろぉ」
「こいつ、この、公務員バトル開始ィ!」
「わー! 待って待ってそれは歪む」
バタバタと屋上でじゃれあう。
と、ポンと2人の携帯から同時に音が鳴った。Twixの更新だ。連続して携帯が震え、通知を重ねていく。
青井の携帯を担架に乗ったままのつぼ浦が勝手に弄る。慣れているので青井は親指を指紋認証にくっつけて、パスを解除してやった。つぼ浦は青井も見やすいように、手を屋根みたいな形にしてひさしを作る。家族みたいにくっついて、そのまま二人同時にびしりと動きを止めた。
[見てるよ]
[匠くん]
[匠くんを離せ警察]
[可哀想今助けに行くね]
[大丈夫だよ匠くん]
[匠くんから離れろ青井らだお]
墓石を前にしたような沈黙が流れた。青井は規律正しく回れ右をして警察署内に戻る。しっかり屋上の扉を閉めて、担架からつぼ浦を下ろした。もう一度扉の鍵を確認して床を見たまま「ア怖っわ!」と限りなくデカい声で叫んだ。鳥肌が耳の後ろまで立っていた。ゴキブリを見つけた人のように足をバタバタ動かし、体をさする。つぼ浦は怖すぎて泣いていた。顔から出る汁が全部出ていた。
「怖、怖すぎ! 何?」
「知らん知らん知らん俺も聞きたいです何、何?」
「Twixまだ通知鳴ってんだけど。もうドラムだよこれ。ビート刻んでる。BPMいくつ?」
「アオセン新しい携帯欲しくないですか。今なら色んな人の電話番号つき」
「それ俺に携帯渡そうとしてるよね? お前の呪物押し付けようとしてるよね?」
「可愛い後輩が可哀想な目にあってんですよ助けてくださいよ!」
「可愛くないし可哀想でもないよ大半自業自得なんだから」
鼻と口を両手で覆って、青井はズルズルとしゃがみ込んだ。
「で、何したの今回」
「チクショ……。いや、まじで心当たりないっす」
「ないの? 本当に?」
「ない」
「えー。とりあえず、無線で警察署付近に不審者いないか呼びかけるね?」
「お願いします」
「あれお前自分の無線は?」
「煩わしいんすよあれ」
「ウワー特殊刑事課」
「エリートっすからね」
「はいはい左遷先」
ポケットから無線機を取り出し、1番に繋げる。
『すいません青井とつぼ浦なんですけど~』
『匠くん匠くん匠くん匠くん匠くん匠くん匠くん匠くん』
『間違えました~』
青井は無線をそっと踊り場の隅に置いた。つぼ浦その隣に未だ鳴り続ける携帯を並べる。
両手を合わせて拝む。災害に対する日本人の模範的な対処法であった。
「よし、置いてこ」
「そっすね」
後ほど屋上に来た力二が階段から落ちてダウンする原因である。
「で、どうすんの」
「どうしましょ。あー、アオセンも目つけられちゃったんすかねこれ」
「お前の巻き添えでね」
「俺が悪いかこれ?」
「まあ8割9割」
「心当たりないですってぇ……」
青井の肩にべちゃっと寄りかかってつぼ浦は顔をぬぐった。びっくりして涙が出ただけで、もう立ち直ったらしい。汚いので軽く頭を叩く。
「ないの? 最近以外でもさ」
「覚えてないです。俺現在進行形以外で生きてねえんで」
「やかまし」
ちょっと笑って、青井は携帯を取り出した。嫌な仕事に取り掛かる前みたいにごきりと首を鳴らす。
「じゃ、プロファイリングするか」
「すげえ。アオセン警察みたいっすね」
「お前も警察なんだよなぁ。お、Twixのアカウント結構前からある」
「へぇ」
「女だね、日本人。これどこだ……?」
「あっ、ここあれだな。四国の」
「知ってるの?」
「旅行で」
「ふーん。それっていつ?」
「1ヶ月……や、2ヶ月前です」
「そこで車のトラブルに対応した」
「車ァ?」
「そう。鍵開けて、駐車場まで運んでメカニック呼んでくれた……って書いてある」
「あー、あ? あ、あったわあったわ!」
つぼ浦思い出した。確かに、高速道路の近くで路駐していた一般人助けた覚えがある。日本旅行中で、観光名をあちこち回った後だった。怪しい中国人からたまたまワイヤーキットを買っていて、女一人が車の隣で立ち尽くしていたから声をかけたのだ。特殊刑事課はOFFでも市民の味方なので。エンジントラブルっぽいのに鍵まで無くしたとかなんとかで、近所の修理屋が来るまでだらだらと話した気がする。内容は覚えていない。鍵を開けた手口が車両窃盗のものだったから、その後日本警察に三日間拘束されたことの方が印象深い。
「で、はるばる日本からお前を追っかけて来たみたいだねー」
「はー。お礼とかくれるんすかね」
「多分人生ごとお前にくれるんじゃない?」
「い、いらねぇ……」
青井はコツ、コツ、コツ、と右のつま先を一定のリズムで地面に打ち付けた。不快そうに首を振り、つぼ浦に携帯の画面を見せる。
「お前さぁー、これ、ひと月前からストーカー起きてたでしょ」
「そうなんすか」
「そうなんだよ。不審な手紙とか来てない?」
「基本家帰んないんで」
「うっわ社畜……」
「アオセンもでしょそれは。ていうか警察官皆」
「まあそう」
「キャップがゴミ捨て場で寝始めた時笑いましたよ俺。ヤベー職場来ちゃったなって」
「家持ちいるはいるんだけどね。帰ってない人も多いだけで」
「サボる勇気のいる職場だぜ全く」
「お前はサボりすぎね」
「有給なんで」
「ああ言えばこう言う」
お互い顔を見合わせて笑う。
つぼ浦は青井の画面をちょっとスクロールしてから「あ、これありました。赤いスプレーで線引かれてるやつ」と写真を指さした。
「まじか。家の前とか?」
「いやジャグラーに」
「気づけよそれは」
「血痕だと思って……」
「あーね。……いや納得しかけたわ。轢くな、人を!」
「轢いたのはキャップです」
「ならいいかぁ」
「いいんだ」
ふと青井が鬼面ごしに真剣な顔になる。
「つぼ浦、多分これ家帰る前に市長に連絡した方がいいよ。すっごいことになってる」
「なんすか」
「手紙が山ほど送られてる。文面的に汚物とか刃物入り」
「うお……」
「家帰ってなくて良かったかもね」
「うす」
「大丈夫?」
「いや……。アオセン居てくれて良かったなって」
「そーでしょー」
「初めて思いました」
「え?」
すらっと刀が抜かれる。あれで貫かれると死ぬほど痛い。つぼ浦は輪を書くように「嘘嘘! 嘘です、嘘です!」と慌てて逃げた。
「だーよねー」
「あざーっす。あー、あっぶね」
「ま、ギャングとのやり取りはなさそうかな? 一般人っぽい」
「市民ってことすか」
「そうなる。どうする?」
「どうっていうのは」
「お前が捕まえに行くかどうか」
「あー……」
つぼ浦は首を擦る。
「1個、気になってることがあるんすけど」
「なに?」
「ストーカーってことは……、その」
つぼ浦の顔はほんのり朱に染まり、両手を合わせて指をもじもじさせている。落ち着かない様子で上を見たり、下を見たり。
うんこ行きたいのかな、と青井は思って黙って先を促してやる。
「俺のこと気になってるってこと、すかね」
「うん?」
「あ、いや男女としてっていうか人間としてかもしれないんすけど」
「え、は?」
「い、意識して欲しいみたいなあれでしょストーカーって」
「あれってどれ」
「あー、あの、恋愛ー、に限らない人間関係の駆け引き」
「……」
「違うんすかこれ」
青井の背後に宇宙猫が30秒は居た。驚きと呆れで声が出なかった。
再起動して10秒、ようやく頭を抱えながら「この状況で脳みそ色ボケに走ってるのまじかお前……」と絞り出す。
「色ボケってなんすか! そっち系とは限らないって分かってますよ!」
「色ボケでしょどう見ても下駄箱にラブレター入ってた中学生みたいな反応しやがって」
「いや、ちがっ、そうだったとしても断りますよ!」
「断らないならお前のこと病院叩き込んでたよ」
「そもそも、ほら、顔も覚えてねえし……」
「純真すぎて心配だよお前。1回キャバクラとか行ってきたら?」
「嫌です」
「なんで?」
「つ、付き合ってもいない男女が金銭を介して云々って……倫理にもとるでしょ」
「キャップ轢き殺すよりキャバクラの方がダメなの、どういう育ち方したらそうなるのお前?」
「キャップは轢いても死なないんで」
「それはそう」
胸を張ったつぼ浦がぴしゃんと自身の両頬を叩く。
「しっ、アオセン。俺行ってきます」
「え、どこに?」
「返事しに」
「マジで?」
「俺になんかあったら暴行罪とプレイヤー殺人と公務執行妨害付けて犯人プリズンに送ってください」
「今ばかりはやめろその自爆特攻! ストーカー被害者なんだよお前! 結構やばいストーカーの!」
「大丈夫っすよ」
「どこが」
つぼ浦が不敵に頬を上げる。意志を貫き通す青年革命家の言葉よりも雄弁な微笑だ。これはショットガンの銃口だった。三十路を過ぎた擦れた青井の胸にまぶしいほど突き刺さって抜けない、若いエネルギーへの憧憬だ。
「特殊刑事課は死なねえんで!」
サングラス越し。火花が散るほど輝く目で、力強い自信に満ちた言葉を浴びてしまった。それは一陣の風より清々しい。こうなるともう反論なんてできやしない。そうあって欲しいと、つぼ浦よりも青井の方が信じてしまうのだ。
カリスマを全然自覚しない後輩と、それに振り回される自身に「あ゛ーっ」と声を上げる。ついでに、振り回されるのが案外嫌いじゃない本心に首を振ってから携帯の電話帳を開いた。
「じゃあせめて5分待って! 人集めるから」
「はい、救急隊にも待機お願いしてください」
「無線あるでしょ自分で連絡して」
「チッ、目ざといなコイツ」
「聞こえてんぞー」
「アオセンあざーっす!」
「よし」
こうして、ストーカーvsつぼ浦とかいう出オチドリームマッチが組まれたのである。
ワラワラと警察署前に人が集まる。あのつぼ浦をストーカーするほど根性のある犯罪者を一目見ようと、市民どころかギャングも混じって観戦の人だかりができていた。人が集まるので屋台が並ぶ。屋台が並ぶので人が集まる。人が集まるのでピエロがマイクを持ってあちこち取材して、取材を聞いて人が集まって、といった具合。
「どっちが勝つと思う?」
「匠は負けないぞ」
「でもあいつからこの手の話聞いたことないんだよな」
「どの手だ?」
「恋愛系」
同僚の立ち話に尾ひれも背ビレも煙もついて、好き勝手な噂話が流れていく。
喧々囂々としたTheロスサントス空間が、ふっと静かになる。
警察署からつぼ浦が現れたのだ。
バットを背負ったいつもの南国刑事は、しかし何かを耐えるようにグッと眉をひそめて口を尖らせている。明るい男の沈黙は重い。ピンと張り詰めた緊張は、自然と周囲を引き付けた。
つぼ浦はそのまま駐車場の真ん中に立つ。応援団みたいに胸を張って、両手を後ろで組む。息を吸って、「おう! 来たぜ!」と演劇みたいによく通る声で吠えた。
太陽光はスポットライトで、人だかりは舞台だった。つぼ浦だけがこの場で鮮烈な色をしていた。
「お前もこっちに来てくれ! 話がしたい!」
人混みの奥から1人の女が現れる。白いワンピースに明るい清楚な黒髪が揺れる。胸がたゆんと大きくて、いじめられっ子みたいなタレ目が特徴的。男なら思わず身を乗り出してしまうようなセクシーで気弱そうな女である。「匠くん」と呼ぶ声までしっとりしていた。
「匠くん、その」
「……あー、確認したいんだが。お前が、俺の」
言い淀んだつぼ浦に、女は頷いた。周囲はぎょっとしてざわめくがすぐに収まる。恋愛の行く末を見守るデバガメ特有の一体感があった。
「なんでそんなことしたんだ? あぁ、黙秘権を行使してもいいぜ」
「その、……お付き合いを、しているのに連絡もなかったものだから」
女は斜め上にカッとんだ。
「してねえぜ!」
つぼ浦は正面から打ち返した。
「してるわ! 初めて会ったときに誘ってくれたじゃない。何度も熱い言葉をくれたし、何度も素晴らしい夜を過ごしたわ!」
「すまん、覚えがない! もしそう思わせたなら謝る。ごめんなさい!」
「お、覚えがないの。忘れちゃったのね。でもいいわ愛してるもの。もう一度やり直しましょうね」
「そうか、ありがとう。でも客観的に見て俺のこと愛してるっていうのはやめた方がいいぜ」
「そんなことないわあなたは素敵な人よ」
野次馬が首を振る。縦と横の比率は二対八くらいだった。「見る目あるなあいつ」とキャップが女を指さして、「見る目ないなあの女」とヴァン・ダーマ―が独り言ちた。
「あと正直、お前の顔を見てもピンとこないぜ。あれだよな、車の」
「そう! そうよ、困ってるところを助けてもらった」
「お前よりその後連行された先でウーバーイーツ差し入れてくれた渡辺さんのほうが印象に残ってるぜ」
「誰よその女!」
「54歳の小太りのおっさん刑事だ! 窓際で頭も後退している!」
「私ハゲに負けたの!?」
「負けだ!」
「そんな……」
女は膝から崩れ落ち、うなだれた。ノックアウト、ゴングが3回高らかに鳴る。つぼ浦のKO勝ちであった。
野次馬の中にいたオルカとまるんがぽそりとつぶやく。
「まあストーカーに匠が負けるわけないよな」
「正直、知ってた」
なべて世はこともなし。今日もロスサントスは平和である。
コメント
6件
小説でこんなおもろかったのはじめてです!wキャラ描写と会話が天才すぎてwww
めっちゃ笑いましたw
つぼ浦がつぼ浦してて最高でした!めっちゃ面白かったです!