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不服そうに黙り込む有夏。
お茶をちびちび飲みながらジロリと幾ヶ瀬を睨み付ける。
「そんな顔したって怖くないもんね。馬鹿が話す怪談は怖くないって言うけど、本当だね……でっ!」
さすがに言い過ぎたと思った時にはもう遅かった。
避ける間もない。
側頭部に張り手を喰らって、幾ヶ瀬は「ひぃ」と短い悲鳴をあげる。
ずれた眼鏡を直しながら、まぁまぁと両手を振って宥める仕草をしてみせた。
「まぁまぁ、怒んないでよ。こないだ焼き鳥作ったでしょ」
「いつの話だよ。腹立つな」
「まぁまぁ…今度かき氷でも奢るから」
「かき氷かよ」
「いやいや、有夏が想像してるかき氷っていったら夜店の100円くらいのやつでしょ。今のかき氷は違うんだよ!? 平気で1,000円越えとかするんだよ? オシャレなんだよ?」
急に饒舌に語り出したところをみれば、幾ヶ瀬自身「今のかき氷」が気になって仕方がないのだろう。
「今のかき氷って言ってる時点で、けっこうなお歳なんだよ?」
ボソッと呟く有夏だが、幾ヶ瀬から浴びせられる視線が急に冷たくなったのを感じたのだろう。
「まぁまぁ」と誤魔化すようにお茶をつぎ足す。
「まぁまぁ。実際1,000円するんだったら、かき氷いらないからそのお金ちょうだいよって感じだけどな?」
「有夏さ……」
色気も何もない言い草に、視線は更に冷たく凍る。
「だって、かき氷なんて結局は水……」
「信じられない! 認識が浅いってば! 今のかき氷見たら、有夏きっとビックリしちゃうよ?」
「しねぇわ。かき氷なんて水でしかないし! だから1,000円ちょうだい!」
「だからの意味が……意味が分からん! 絶対にあげないよ!」
「……1,000円あったらアイスいっぱい買えるのに」
「それを言っちゃ……」
室温が下がるにつれ、下らない会話は増えていく。
室温が下がるにつれ、互いの距離も近付いていって…。
「……も、もうちょっと設定温度を下げようかな」
リモコンを握り直す幾ヶ瀬。
意味深に言ったつもりなのだろう。
もう片方の手がゆっくり伸びる。
指先をつつかれて、何を思ったか有夏が幾ヶ瀬の手を握り返した。
そのままブンブン振り回す。
何だか楽しそうだ。
しょうがないなと幾ヶ瀬も苦笑する。
両手を繋いで立ち上がると、2人は小さな座卓の周りをグルグル回り始めた。
「アハハッ」
「あははっ」
おかしな行動をとっている自覚はうっすらとある。
だが、テンションが止まらない。
グルグルグルグル。
バタッと倒れたのは、幾ヶ瀬が足をもつれさせたからだった。
ベッドに倒れ込む際とっさに手を放したから、有夏も共倒れになることは防げたのだが、足を擦っているところをみると座卓に脛をぶつけてしまったらしい。
「ははっ、大丈夫? あははっ、楽しい。何これ、夏のテンション?」
笑いながら上体を起こした幾ヶ瀬の前に、有夏が立ち尽くしている。
「どした、あり……」
いつになく表情が硬いと気付いた時だ。
有夏が口を開いたのは。
「ふじょしって知ってる?」
「えっ?」
幾ヶ瀬の口元からスッと笑みが消える。
「ふじょ…何? えっ、腐女子……? えっ?」
意外なワードを有夏の口から聞いて、一瞬固まってしまったのだ。
「コンビニのやつが言ってたんだけど、友達みたいなのが来て言ってたんだけど、焼き鳥買ったんだとか言ってて、から揚げも買おうってなって、でもお金ないって言って、じゃあ仕方ないねって言って、それでこのアパートの怪談を言ってたんだけど、ふじょしの霊が出てウロウロしてて、壁とか通り抜けたりするって言ってて、さまよってるんだって」
「えっ? 何?…えっ、何か怖い気がする。でもよく分からない。その言い方、ホント何も怖くない。分からない。えっ? えっ?」
コンビニで見かけた人物が口にしていた話だと見当をつける。
焼き鳥とか唐揚げの情報は置いといて。
このアパートに腐女子の霊が出てさ迷ってるって……?
「怖っ! 何それ、怖いんだけど!? このアパートに? 腐女子の霊が? 怖ッ!」
色々ピンポイントすぎて、脳内で整理が追い付かない。
得意げに話す有夏は、理解せずに喋っているに違いない。
「ふ、腐女子の霊ね……」
幾ヶ瀬はむき出しの腕を自らかき抱いた。
「普通に女の霊が出るとか、恨みを持った女の霊が出るとか言われた方が、まだ心安らかなんだけど? 何かむやみにゾッとするんだけど」
「よっしゃ! 涼しくなった?」
有夏は自分の怪談が認められたと思ったのだろう。
ニヤついている。
ああ、この男は馬鹿だからな。
馬鹿だからこの薄気味悪さが分からないんだなと、1人で納得する幾ヶ瀬。
「ま、まぁ…たしかに涼しくなった気はする、かな。うん」
その時だ。
ピンポーン──。
チャイムが鳴った。
ビクリ。
身を震わせた幾ヶ瀬を見やり、ニヤついたままの有夏が玄関に向かう。
『あ、隣りの者なんですけどー。バイト先でお菓子いっぱいもらったんですー。おすそわけですー』
「あ、あわ…ああ……」
コミュ障なので返事はせずに、しかしお菓子は欲しいのだろう。
一瞬、部屋の中を振り返るも、幾ヶ瀬が動こうとしない様を認めて自分で玄関を開ける。
「と、隣りのクソビッ……あ、ありが……」
細く開いた隙間から白い手がスルリと入って来る様を見た幾ヶ瀬は、弾かれたように立ち上がった。
「有夏、そいつから離れてっ!」
有夏の肩をつかんで引き寄せる。
よろけた彼を庇うようにかき抱くと、玄関の隙間からこちらを覗く顔をジロリと睨んだ。
「うほっ♪」
女は顔をほころばせ、おかしな笑い声をあげた。
隙間に差し込まれた手は、すでに見慣れた感のある『お菓子のよしの』の紙袋。
ずっしりと重そうなのは、また有夏の好きそうな菓子類の小箱が詰められているからだろう。
「賞味期限ギリのやつなんですけどー。いっぱい貰ったんでー。ふひひっ。良かったらおふた…お2人で……へへっ。どうぞー。へっ…へへっ」
何だろう。
ヨダレを垂らしているようなのだが、さすがにそれは気のせいだろうか。
腐女子の霊というのはどういうものだろう。
いや、この女は隣りに住むクソビッチだ。
有夏を狙って(?)しばしばお菓子を貢ぎにやってくる浅ましい女である。
一度掃除を手伝わせたことがあったっけ。
じっとりした視線が幾ヶ瀬の手に注がれている。
正確には有夏の肩を抱いた手、その接触部分をガン見してるではないか。
「み、見るな……っ!」
「えっ?」
「有夏を見るんじゃない! 霊めッ!」
思った以上に声が荒かった。
クソビッチはもちろん、有夏でさえも驚いたようにこちらを見返す。
「霊めって……幾ヶ瀬?」
「あ、いや、その……」
しまったというように視線を逸らせて、口の中で言い訳めいたことをゴニョゴニョ呟く幾ヶ瀬。
「やー、暑いですからねー。しょうがないですよー。夏ってこんな暑かったっけって感じですもんねー。そりゃ、沸きますよー」
クソビッチがフォローしてくるのが、これまた腹立つ。
「霊って…霊めって……」
有夏がいつまでも笑っているのも、また違う意味で腹が立つ。
するりと手が伸びて紙袋をもう1つ押し付けると、女は(ひどくニヤつきながら)隣りの部屋へ帰っていった。
ちゃんと足音がして、扉を開ける音、閉める音。
さらに鍵を掛ける気配も伝わってくる。
「霊って……。幾ヶ瀬、霊って……」
有夏は部屋に戻って紙袋の中身を吟味している様子だ。
まだ笑っているのだろう。
肩がブルブル震えている。
「あのぅ、有夏さん? 稲川淳二のDVDを借りてきていいですか?」
「はぁ?」
「今夜は稲川淳二先生の語りを聞きたいんです。ノンストップで」
大袈裟に顔をしかめてから、有夏は「どぞ」と頷いた。
恐怖を癒すには、稲川淳二大先生に限るという自論を幾ヶ瀬が持ったのは、この時だった。
──パソコンにヘンな画像が入ってんだけど、コレ幾ヶ瀬のやつ?と有夏が妙なことを言い出したのは、その翌日のことである。
「夏だから…怖い話」完
※読んでくれてありがとうございます!続きができたら、また更新します!※