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従者たちは令嬢がまき散らしていた、どぎつい香水の香りまで丁寧に始末すると、腰を折って再度謝意を示したあとで飛ぶように去っていった。
「……あそこまで放置しないと処罰できないとは……高貴な方々の世界とは恐ろしいものですね」
自分の立場をきちんと理解できていたのならば、分不相応で贅沢な生活を満喫できていただろうに。
全くもって勿体ないことだと考えてしまうのは、自分が根っからの庶民だからに違いない。
「王の周辺が不穏でございましたから、勘違いする者が常より多く出ているのでございましょう。ですがそれも、奥方様のお蔭で改善されてきたと窺っております。この国の民として、心より感謝申し上げます」
「早く、本来王妃となるべき方が戻られるとよろしいですね?」
「はい。私どもも心の底からそれを願っております……御方の奥方様に、愚見を申し上げてもよろしゅうございますでしょうか?」
「ええ」
「現王妃が退きましてすぐに、かの方がお戻りになれば何の問題は起きないのですが、王妃の空位が続きますと、奥方様を王妃にと、願う声が多く上がると懸念されます。どうぞ、御身の周辺警護を厳重になされた方がよろしいかと、愚見を申し上げます」
雪華が目を大きく見開いてから真剣な表情になる。
ネイとローレルは妙に納得したように頷き合っていた。
「……私の夫は紛れもなく時空制御師だったとしても、でしょうか?」
「はい。御方は現在こちらの世界におられないと伺っております。お恥ずかしいことでございますが、どこにでも愚か者はいるのでございます。御方がおられないからこそ! と逸る者は少なくないでしょう。王妃として祭り上げるのはまだ良い方です。奥方様を手に入れれば御方の力が全て我が手にできる! というような考えを持つ者も既に出ておるでしょう。男性の護衛はお考えではないのでしょうか?」
何処の世界でも愚か者はいるらしい。
この世界でも既に幾人もの愚かしい者たちに出会っている。
夫が傍にいないときの被害の多さには慣れているが、不快さは募ってしまう。
でも、男性の護衛なんて、絶対に無理だ。
いるだけで抑制になるのだとしても、夫が許さないだろうし、私も御免なのだ。
夫が隣にいるにも拘わらず、自分しか守れないからと嘯いて、私の意思など関係もなく自分に都合良く行動するのだ。
夫がいない今、どれほど壮大な勘違いをするのかなんて、軽く十通りは想像がついた。
「ええ、考えておりません。不要です。信用がおけないのですよ。夫にもきつく止められておりますしね。私を守護する者は既に十分揃えました。その点の心配は無用です」
老婦人が静かに黙礼する背後で、控えていた男性がしょんぼりしている。
貴男方を否定したわけではない。
むしろ一流の商人として、一定の敬意すら払っている。
なので、大型犬が落ち込んでいるような様子を見せないでほしい。
そっと頭を撫でたくなってしまう。
「……置けても門番が限界だよね? 御方に相談してみる?」
雪華も男性がいることによって回避できる問題について、重く考えているようだ。
しかし私は首を振った。
「大丈夫よ。どうしてもというのなら、そうね。フェリシアあたりに男装の麗人になってもらおうかしら」
下手な男性よりよほど、問題を解決してくれそうだ。
一緒に彩絲も男装させたら、それこそ違う文化が開ける気までしてくる。
「あー、その手があったか……まぁ、私たちと妖精で十分よね。この子たちだって優秀だし」
嬉しそうに目を輝かせる二人は揃って、背筋を伸ばした。
「屈強な人材には広く伝手がございます。外見もまた警護には重要な条件の一つにございます。もし御用がございましたときには、どうぞ申しつけてくださいませ」
老婦人の提案には大きく頷いておく。
所謂タンク役になりそうな女性を一人二人雇うのもいい気がしてきた。
雪華の手を借りて馬車に乗る前に、ホークアイの頭を撫でるのも忘れない。
香水臭くて、蹴り飛ばしてやろうかと思いましたよ! と鼻息を荒くするホークアイを宥めながら、私たちはカーペット専門店をあとにした。
恐らく全ての従業員が揃って腰を折り見送ってくれるのに、小窓から手を振って応えてから椅子に座り直す。
「主よ。何か飲んだり食べたりする?」
「ありがとう。でも大丈夫。出していただいたお茶もお菓子も美味しかったし、いいタイミングで出してもらっていたから」
「そうか。なら良かった。さすがは由緒ある専門店だったね。奴隷とわかる二人にも同じように出していたもの。お菓子もお茶もグレードすら落とさずにさ!」
「主様が奴隷を大切にする方だと、既に話が回っているようですわね~。本当に有り難いことですわ~」
「姉様たちにも、食べさせてあげたかった……」
「ふふふ。そうね。何かお土産も買っていきましょう。ノワールを筆頭に貴女のお姉さんたちも頑張ってくれていると思うから……」
離れていても意思の疎通は可能だが、神経を使うやり取りだ。
余計な口出しをして惑わせたくない。
何か問題があれば向こうから連絡もあるだろう。
彼女たちに一任した以上、事後報告だけで十分だ。
「次はベッドと寝具か……ローレルたちの分も買わないとだな」
「……私たち用のベッドは、存在するのでしょうか?」
ネイが首を傾げている。
以前勤めていた時分、ネリには一応一般的なベッドが与えられていたようだが、他の四人は古い大きめの籠にまとめて放り込まれていたらしい。
あんまりな待遇だが、大部屋に押し込められて足を伸ばす余裕もなく、床にそのまま寝かせられる悪環境も少なくないらしいのだ。
私たちは恵まれた方でした! と申告するネルたちが不憫だった。
「安心するといい。龍人族や巨人族のベッドまで常設してあるらしいから、リス族のベッドなんて場所も取らないし、間違いなく置いてあるはずだから」
「風の噂でですが、リス族の赤ちゃん用のベッドまで揃っていると、耳にしたこともありますわ~」
向こうの世界での人形用ベッドを思い出す。
夫がプレゼントしてくれたアンティークドールは、それはそれは可愛らしかったのだ。
サイズは余裕を持って計ってもらった。
一日の疲れは広々としたベッドで癒やしてほしい。
夫はアンティークドールのベッドをオーダーメイドで作るという贅沢を、むしろ歓迎してくれた。
なかなかの曰く付きなのですが、貴女には懐くでしょうからね、と質問を許さない微笑とともに与えられたのは、印象深い思い出の一つだ。
勿論、可愛らしいアンティークドールが私たちに害なしたことは、家に迎え入れてから一度もない。
「見ているだけで楽しそうね」
「……もう一軒、競合店があるんだけど……そっちはここ数年悪い話しか聞かないらしいんだよね。その前までは今から行く店より良かったらしいんだけど……」
バス用品専門店のように、やんごとなき系から駄目店員を押しつけられたのか。
それともその手の困ったちゃんが経営をしているのか。
私の噂が回っているのなら、ちょっかいを出してくる可能性もあるので、気を引き締めておこう。
大人しく私の膝の上で撫でられるネイに目を細めていれば、ホークアイが止まる。
衝撃こそ少なかったが、ゆっくりとペースを落としての停止ではなかったので、何か問題が生じたのだと理解した。
雪華がすっと腰を上げて、扉を開ける。
これまたもの凄い香水をまき散らしながら女性が走ってきた。
「ようこそおいでくださいました。王都一の高級寝具専門店シュモルケが店長、エルヴィーラ・シュモルケにございます」
高級品を取り扱う店長ならばある程度の高級品を身に纏うのは推奨されるというか、最低限の礼儀だろう。
しかしエルヴィーラが身につけているものは、先ほどの公爵令嬢に勝るとも劣らない悪趣味な衣装だった。
全身ぴったりと張りつくようなデザインで、胸は半分ほど見えており今にも全部が見えてしまいそうで、両側に太ももまでスリットが入っている。
どうやらノーパンらしい。
ミニスカートではないのがせめてもの救いなのだろうか。
極めつけに女を強調しすぎる下品なドレスには、輝きに目が疲れるくらいの宝石が縫いつけられていたのだ。
数え切れないほどの高級宝石を身につけられるほど儲かっているというアピールなのかもしれないが、それをやってしまえる商人は、個人的に三流以下だと思う。
全員揃ってチベットスナギツネの目をしてしまった。
目線を動かして雪華の様子を窺えば、全く同じ目をしている。
「通行の邪魔立てをされては困る! こちらは御方の奥方様が乗られておる馬車だというのに、これほどの不敬。今身に着けている宝石を全て売り払っても贖えると思わないことだな!」
「はぁ? なんなのその物言い、従者ごときが失礼すぎるわ! 奥方じゃないとか、信じられない! 早く奥方を出しなさいよ!」
私の容姿を知らないようだ。
それだけでこの店は、一流の高級店を名乗る資格はないと判断されるだろう。
「無礼な! 我が名は雪華。御方の奥方を守護せし獣。貴様ごときに不遜な態度を取られる覚えはないわ!」
雪華、格好良い! と、目を輝かせながら外を覗く私と一緒の気持ちらしいネイも、窓枠に乗って雪華の勇姿に見惚れている。
ローレルだけが微苦笑を浮かべながら、私たちを優しく見守った。
「ぎゃひん!」
三流の悪役がやられるときの悲鳴ですね? と心の中で突っ込みを入れる。
エルヴィーラが跳ね飛ばされて地面に転がると、飛び散った幾つかの宝石を、私は無関係ですよーと、素知らぬふりで近くを歩いていた人たちが、素早く奪い去っていった。
「ちょ! ちょっと! 私の宝石を盗んでんじゃないわよ! 返しなさい! ばかばかばか!」
「……馬鹿は貴様だ」
一番足が遅そうな老人を追いかけるエルヴィーラの背中に、雪華が捨て台詞を吐いた。
きびすを返そうとする雪華の傍に、今度は男が一人走り寄ってくる。
「妻が大変失礼をいたしました。王都一の高級寝具専門店シュモルケが店長、ヴォルデマール・シュモルケでございます」
脂ぎった低身長の禿げでぶが現れた。
目の毒ですから見ないように! と夫の声が聞こえる。
妻と同じように、ごてごてと宝石で全身を飾り立てた格好だ。
何も膨張色など着なくてもいいだろうに。
純白の衣装は、ヴォルデマールのふとましさと腹黒さを強調しているように思う。
「……先ほどの失礼な女が、店長と名乗ったが?」
「ほっほ! 奴は名ばかりの店長でございます! 店の実権を握っているのは、私めという寸法で! さてさてまだ中にいらっしゃる奥方様の、エスコートをさせていただきましょうかね」
太さの割に俊敏なヴォルデマールが扉を開け放した時点で、雪華に背後から首根っこを掴まれたヴォルデマールは、妻と同じように地面に転がされ、妻よりも勢いよく転がっていった。
「悪趣味な劇を無理矢理見せられた感じだよ……」
雪華が肩を落としながら馬車の中に戻ってくる。
私が優しく肩を叩こうとする前に、ネイが素早く取り出した濡れタオルで手を拭いて、ローレルが全身についた埃を羽箒で丁寧に払った。
雪華が私の肩に頭を乗せたタイミングで、再び馬車が動き始める。
ホークアイの細やかな心遣いが知れる、全く振動のない移動だ。
「通せんぼとか、子供じゃあるまいし」
「頭の中は子供なんでしょうね……体が大人の分、質が悪くて周囲の方たちは大変ね?」
数年に渡って二人が頂点に立っているなら、真っ当な店員は既に一人もいなさそうだが、何らかの事情で無理矢理働かされている人がいるかもしれない。
だとしたら、手を伸ばしてもいいだろう。
だって、あれは、酷い。
先ほどの令嬢並みに酷い。
「……今の不敬で、どこまで追い詰められるかしら?」
「店を潰すぐらいは三秒速攻でいけると思うよ!」
うん。
しみじみ時空制御師の最愛効果が凄い。
「真っ当な店員さんだけ救い上げて、あとは放置でもいいかしら? あの調子じゃ、遠くない将来潰れるでしょうし」
「たぶん、何人かの不幸な店員さんのお蔭で店がもっているのだと思いますわ~。ですから、その方たちを救えば、店は間を置かずに潰れてしまいますわね~」
「これから行く同業のお店で、情報収集して、手はずを整えると、よろしいかと存じます」
「そうね。情報収集は必須ですね」
同業というだけで、どうにかしろと難癖をつけてくる輩も少なくないだろう。
ここまで酷いと、どうにかして始末してほしいと願う人々が、本来ならば関係ない人たちに無理難題を押しつけたがる頃合いだ。
きっと私たちの情報収集にも快く応じてくれるだろう。
今度はゆるゆるとスピードを落としたホークアイが完全に止まるのを待って、雪華の手を借りて馬車を降りる。
既に同業者による先ほどの暴挙が伝わっているのか、従業員たちが店の入り口で深々と頭を下げていた。
私は顔色の悪い従業員たちに、頭を上げるように告げながら、夫曰く『慈母のような微笑み』を意識して浮かべてみせた。