コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ユカリとベルニージュはサイスを盾に焚書官たちの間を通り抜けるが、焚書官たちも距離を置いてじりじりとついてくる。
「こんなことする日が来るなんて思わなかったよ」とユカリはサイスの首筋にリンガ・ミルの刃を当てながら呟く。「まあ、ちょっと前まで盗賊と生活してたけどさ」
ベルニージュはにやりと笑みを浮かべて囁く。「新しいあだ名をつけられるかも。ミーチオンの不良娘とか、ミーチオンの泥棒娘とか」
ユカリは小さくため息をつきつつ苦笑する。「もう沢山だよ」
サイスは抵抗せず、黙っている。
「でも教敵よりは盗賊の方がましなんじゃない?」とベルニージュは身もふたもないことを言う。
「そっか。世間的にはそうなんだ」とユカリは妙な気分になって落ち込んだ。
「おう、ユカリの姉御よお。グリュエーはまだ戻らねえのかい?」とベルニージュは催促する
「何それ、盗賊の真似? グリュエー、いる?」とユカリが呼びかけると風が吹いた。
「どうかした?」とグリュエーは他人事のように答える。
ユカリは焚書官たちを睨みつける。「どうかした? じゃないよ。どこに行ってたの?」
「どこにも行ってない。寺院に入れなくなったから待ってたんだよ」
その言葉で合点がいく。
「ああ、なるほど」ユカリは申し訳なそうに言った。「ごめん、ベル。グリュエーはサイスの封印で入れなかっただけみたい」
「よし、ずらかろうぜ、姉御」とベルニージュは言った。
「応よ」とユカリは言って、ベルニージュの腰に腕を回す。「あばよ、兄弟」
「誰が兄弟だ。ふざけるな」とサイスが罵ると強力な風がユカリとベルニージュを夜空に舞い上がらせた。
屋根から屋根へ身を隠しつつ、聖ミシャ大寺院へと向かう。その姿も位置もジンテラ市で最も高所にある聖火と呼ばれる篝火の投げ掛ける輝きによって明らかだった。どの灯台よりも遥か彼方まで神聖な光を届け、救済機構信徒の不安に苛む心を慰める。
伽藍は三つあるが、ユカリたちが目指したのは最も目立つ篝火台そのものである聖火の伽藍だ。そこに聖女がいて、レモニカがいる。
易々と石壁を踏み越え、軽々と白樺の森を飛び越え、聖ミシャ大寺院の敷地の中心にある台へとやってくる。取り囲む壁は高く、門は堅い。如何なる侵入者も寄せ付けまいと立ちはだかっている。
門の前には焚書官たちが待ち構えていた。率いるは鼻先の角燃ゆる犀の鉄仮面の首席焚書官グラタード。その偉丈夫が率いる第三局こそが焚書機関において最も広範に焚書活動を展開する武闘派の精鋭だった。
「久しいな、エイカ、ベルニージュ。アルダニの魔女の牢獄以来だ」グラタードは朗々たる声を響かせる。「いや、エイカではなくユカリか。君こそが、魔法少女ユカリだったのだな。虚ろ名だとか何とか言っていたが、愚かな私はまんまと出し抜かれたという訳だ」
「道を開けてください、グラタードさん。私たち、友達を助けに来ただけなんです」とユカリは訴える。
「何だ、そうだったのか」とグラタードは首を傾げる。「では道を開けよう。友達を助けに来ただけであれば、立ちはだかる理由はない。ならば、このジンテラで魔導書を奪い取ったという話は何かの間違いという訳だ。こちらに渡してくれるね?」
ユカリは首を横に振る。「それは、できません。でも――」
「君は嘘ばかりだな」グラタードは呆れた様子で首を振る。「本当のところは魔導書だけが目的なのだろう。振り返ってみればサクリフのこともそうだ。まるで、彼の、いや彼女だったか、彼女のことを思って協力していたかのようだったが。結局最後は君が……」
グラタードの憐れむような視線を受けて、ユカリは困惑したような目つきを返し、「サクリフ?」とだけ呟く。
「問答するだけ無駄。押し通るしかないよ! ユカリ!」とベルニージュが声を張り、呪文を紡ぐ。
「く、靴履き替えるからちょっと待って」と言ってユカリは合切袋を漁る。
人の形をした炎は、しかし獣の如く四足で駆け出し、火花と熱を振り撒いてグラタード目掛けて突進する。人の身に食らいつけば骨も残さない高熱の奔流だ。グラタードが避けたとしても、後方の門を容易く焼尽する上に、避けた先には『珠玉の宝靴』の瘴気が待っている。
しかし狙いは叶わず、ベルニージュの炎は突如現れた巨大な鏡にぶつかって掻き消えた。魔女の牢獄でも何度か見た、グラタードの巨大化する矛、その磨き抜かれた穂先だ。地面に突き刺さり、星まで届きそうな巨大な柱が聳え立つ。
瘴気にまかれた焚書官たちが倒れていく。しかしまだ多くが遠巻きに控え、ユカリとベルニージュを討つ魔術を編んでいる。
ベルニージュは瘴気の奥に目を凝らして言う。「グラタードはどこ? 消えた?」
あの巨体を隠せるとすれば巨大化した矛の後ろか、あるいは。
「ベル!」と叫び、ユカリはベルニージュの手を取ると、魔法少女の杖に乗って上空へと舞い上がる。
周囲の焚書官たちの放った魔法は獲物を逃し、瘴気の中で消えた。
「ユカリ、平衡感覚すごいね」とベルニージュはユカリに抱えられながら言う。
「え? ベルとレモニカに貰った魔法を着ているおかげだけど。誕生日の贈り物の」とユカリは不思議そうに言った。
「ああ、そうだった。忘れてた」とベルは呟く。
「え?」他に言葉が出ず、ユカリは憐れみの目をベルニージュに向ける。
ベルニージュは慌てて否定する。「いや、違うって。普通に忘れることもあるから」
「それならいいけど」ユカリは顔を上げる。「グラタードさんは矛の上かな? 無視して伽藍に突っ込む、なんてできないよね」
「後ろから刺されるね」とベルニージュは言う。「せめてこの矛を破壊しないと」
「でも【噛み砕ける】のは人間の口に収まる大きさじゃないと駄目だよ」
「さて、どうしたものかな。とにかく矛の上に行ってみよう。きっとグラタードが待ち受けてる」
果たしてその通りだった。巨大な矛の巨大な石突はまるで小さな円形の舞台のようで、犀の鉄仮面のグラタードは二人の役者を待っていた。
「風が強いね。グリュエー、やめないの?」とユカリ。
「直接そのひとに言ってよ」とグリュエーはユカリの耳元に打ち付けるように話す。
「グリュエー以外の風が言うことを聞いてくれたことないよ」とユカリは愚痴る。
ユカリたちが石突の舞台に降り立つととグラタードが風に負けない大声で言う。
「君たちはあれからどれくらいの魔導書を集めたのかね?」
「数え方によりますけど!」とユカリは言う。「サンヴィアで一冊、シグニカで三つですね!」
犀の鉄仮面が首を傾げて言う。「別の数え方だとどうなのだ!?」
ユカリはベルニージュに尋ねる。「そもそも禁忌文字一つ一つが魔導書だったって言えるのかな? それなら二十三?」
ベルニージュは小さく唸ってから答える。「いや、あれはまた別じゃない? 集めたというより、力を解放したという感じ? 魔導書の衣で一つだよ」
「一着と三つです!」とユカリは言い直す。
「そうか」と言うグラタードはよく分かっていない様子で抜刀する。
強風の中で瘴気は使い物にならない。【憑依】も難しい。ユカリが何をできるか考えている内に、ベルニージュの生み出した炎がグラタードに飛び掛かる。
まるで流星の如く飛来する炎の鳥をグラタードはぎりぎりのところで巧みに身を躱し、抜刀した刃は獣の牙のように二体の獲物の喉笛を窺っている。魔術によって引き出された、その巨体には似つかわしくない素早さと身のこなしだが、しかしベルニージュのほうにはまだまだ余裕があった。グラタードは少しずつ追い詰められる。直撃を免れつつも黒衣の僧服が焦げていく。それでもじっと機を窺うように、犀の仮面の鼻先は絶えずユカリたちに向けられていた。一進も一退もない。ベルニージュの力がグラタードを押し留める。
そしてとうとう犀頭の焚書官は炎の鳥につかまる。無数の炎の鳥に纏わりつかれ、次々に啄まれ、僧衣が燃え上がる。
「ベル! やり過ぎだよ!」
「やり過ぎじゃないよ! まだ生きてる!」
しかしグラタードは炎に包まれながらも膝をつくことなく不敵な笑みを浮かべ、振り上げた右足を巨大矛の石突舞台に叩きつけた。
同時にユカリの上に何かがのしかかるかのような加重がかかる。ユカリもベルも膝から崩れ、円形舞台に押し付けられる。再び矛が、それもユビスに劣らぬ速さで天へ向かって伸びている。体の中が鉛に置き換わったかのように重い。それはグラタードも同じはずだが、身を起こす青銅像のように加重に逆らって立ち上がり、剣を引きずって歩いてくる。
「風と……、気圧変化で」というベルニージュの絶え絶えな呟きとともに炎の鳥が次々に消えていき、グラタードを包んでいた火も消え失せた。
ベルニージュの呪文は途切れることなく、火の獣を熾すがグラタードに飛びつく前に消えてしまう。
「ユカリ! 残りの魔導書も全部寄越して!」ベルニージュは呪文の合間に怒鳴るように言った。
「全部ったって」
残りは魔法少女の魔導書『我が奥義書』と一冊に満たない鏡、靴、杖の羊皮紙だけだ。ベルニージュはすでに三冊所持しており、それでも変化する場に追いついていない。とにかくユカリは重い身を起こして合切袋を漁る。
『我が奥義書』をベルニージュに渡すと、火の獣がグラタードに食らいついた。しかしそれはグラタードもこちらに近づいているからで、その首席焚書官は少しも焔に怯むことなく一歩一歩近づいてくる。
『至上の魔鏡』をベルニージュに手渡すと、犀の鉄仮面の大男は火の獣に食らいつかれるたびに焔に包まれるが、それでも歩みを止めない。
風に耳を塞がれて聞こえるはずのない剣の引きずる音がユカリの耳元で不吉に囁く。
『深遠の霊杖』の羊皮紙をベルニージュに手渡すと、再びグラタードは火だるまになり、膝をついたが、剣を杖の如く頼み、その燃える眼差しは教敵から目を離さない。
今ははっきりと剣先が打ち付ける足音がユカリにも聞こえる。
残るは『珠玉の宝靴』だ。重い体を曲げて、重い足から重い靴を剥ぎ取るように脱ぐ。そしてベルニージュに託す。ベルニージュは再び獣の如く駆ける炎の巨人を生み出し、今度こそグラタードを突き飛ばし、抑え込んだ。しかし矛の伸長はまだ止まらない。ベルニージュはさらに呪文をくべ、荼毘に付すが如く執念の僧兵を焼き尽くす。
獣のような唸り声をあげてグラタードは炎にすがられながらも駆け出し、二人の教敵の前で剣を振り上げ、しかし振り下ろすことなく気を失った。
そしてとうとう矛は伸びるのをやめ、ユカリの骨まで軋ませた過剰な体重が失われる。暗雲は遥か下方にあり、星に手が届きそうな高さだ。
「死んだ?」とユカリは直視できず、焦げ臭さから逃げるように顔を背けて尋ねる。
「生き残ったんだよ、ワタシたちが」とベルニージュは呟く。
ユカリは何も言葉を返すことができなかった。