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ウィルカミドの街に被さるように渦巻いていた海はその勢いを失っていた。
「大渦が縮み始めてる。やっぱり烏賊蛸の王が生み出してたんだ。飛び込むよ、レモニカ」
ユカリはそう言って大渦の中心へと突っ込む。
「もう泡の神殿まで届いてませんわよ!」とレモニカは警告する。
「大丈夫!」とユカリは声高に宣言する。「私とグリュエーがいればね!」
「グリュエーだけでも大丈夫だけどね」とグリュエーは反論する。
ユカリとレモニカは魔法少女の杖に跨って、大渦の真上から中心へ、篝火に照らされた街の沈む海の中へと飛び込む。ユカリは推進力として杖から吐き出していた空気を止め、代わりに杖の全体から海中の全方向へと空気を溢れさせる。蓄えた空気は泡となって上昇し、その泡の通り道をグリュエーが貫き通すように吹き込んだ。女王の歩むべき道を兵が退き開くように、海が押しのけられてウィルカミドまでの通路が生み出される。
この衝撃で街に水が流れ込んできたら、と遅まきながら懸念したものの杞憂に終わった。ユカリとレモニカは沈んだ街に軟着陸し、昼とも夜とも夕間暮れとも違う揺れる篝火の明かりにだけ満たされた海底の街にたどり着く。
この街が築かれて以来、一度としてこれ程大量の篝火が焚かれたことはないだろう。人の明かりは泡の神殿の水の境界を照らし、複雑に反射して街とその周りの草原を輝かせ、初めて陸に上がった魚たちの鱗を煌めかせ、彼らを街に引き寄せている。
ユカリは海底の街の不思議な景色に心置きなく心奪われたかったが我慢し、人を探す。
魔法使いの親友ベルニージュ、迷宮都市の魔法使いネドマリア、ライゼン大王国の剣士シャリューレ、第七聖女アルメノン、人喰い衆の頭目ジェスラン、そして尼僧モディーハンナ、あと毛長馬ユビス。皆がこの不思議な街に集まっている。
最初に目に飛び込んできたのはアルメノンたちに奪われた船の残骸だ。せっかく海嘯から助かった幸運な家屋が降ってきた船によって半壊していた。
辺りには野次馬が集まってきている。入って来たならば出て行けはしないだろうか、と期待している者もいるらしい。しかし水夫たちを除けば船に乗ってきた者たちの姿はない。
ユカリはアルメノンたちがどこへ行ったのか、水夫に尋ねるが混乱の中にあって分からなかったらしい。次に野次馬たちに尋ねると答えはすぐに返って来た。一行は例の地下墓地へ向かったとのことだ。そしてそこにネドマリアたちもいる。
大通りを急ぐ。ベルニージュを置いて街を去ってから再び裏路地へ入る。突き当りの家屋のそばに毛長馬が不安そうな面持ちで待っていた。
「ユビス!」ユカリとレモニカは毛長馬に抱きついて、毛に包まれる。「良かった。無事だったんだね。ベルは? どこ?」
「この家屋の奥に入ったきり戻って来ていない」とユビスは嘶く。
ベルニージュも地下墓地にいるらしい。
「救済機構の者たちは見ましたか?」と尋ねるレモニカの言葉をユカリが通訳する。
「見ない顔の女が三人、男が一人。同じくこの家屋に入って行った」ユビスはレモニカの匂いを嗅ぎながら答える。
ユカリは自分の考えをレモニカに聞かせる。「アルメノンとモディーハンナ、シャリューレとジェスラン、だよね。僧兵は連れてきてないんだ」
「シャリューレ一人でお釣りをいただけますわ」
危険を感じたら逃げるようにユビスに言い聞かせ、行きどまりの家屋に入って通り抜ける。すると家々に囲まれた他に出入り口のない空間が広がっている。もはや暴かれた秘密の庭だ。ひと月前と変わらず、屋根の崩れた古い時代の四阿が一つきりある。
地下へと一歩踏み込んだ瞬間、ユカリは察する。何度か惑わされた魔法の気配だ。この地下墓地にはネドマリアの魔術が施されている。アルメノンたちに抗するためのものか、あるいは地下墓地に元から何かがいたのか。
ユカリは合切袋から旧王国の四つの国宝を取り出してレモニカに身につけさせる。
「気を付けてね、レモニカ。ネドマリアさんの魔術はとても厄介だから。下手すれば、気が付けば雲の上なんてことになりかねない」」と言って、ユカリは【微笑み】を浮かべ、魔法少女に変身し、レモニカの手を握って真実の姿へと変身させる。輝くばかりの美しさに品のある佇まい、このような状況でなければ見とれていただろうとユカリは確信する。
久々に真実の姿に戻ったレモニカはしかし浮かれることなく気を引き締める。
「魔法少女ユカリがいれば何を恐れることもありませんわ」
迷わせ、惑わせる類の魔術は魔法少女の衣の上で解けて消える。レモニカに対しては効き目のある魔術がいくつかあったが、魔法少女が手を引く限りは迷いや惑いに煩わされることはなかった。
二人は地下墓地を突き進む。魔術を無視したとしてもそれなりに入り組んだ構造で、見覚えのある見たことない広間と通路を交互に渡り続けると、魔法少女の呪い避けの効果がなくなってしまったのではないかと錯覚してしまう。
「ベルニージュさまもここにいらっしゃるのですよね?」とレモニカが囁く。
「うん。ベルが出ていくのをユビスが見逃してなければ」ユカリもまた声を潜める。「それにもし地上にいたならアルメノンたちと交戦していただろうしね」
ふと通路の先に怪しげな光を見つける。青白い明かりが辺りを照らし、浮かび上がる影が渦巻く奇怪な光景だ。
ユカリとレモニカは押し黙り、ゆっくりと忍び歩く。すると通路の先から声が聞こえ、身を隠しつつ耳をそばだてる。浮かれたようなアルメノンと苛立たしげなモディーハンナの声だ。他には誰もいない。ユカリとレモニカはこっそりと通路の奥を角から覗き込む。
「面倒くさいな、この地下墓地。これ作った奴、絶対性格悪いよね。ほら見て、最初の方の広間だよ。どうなってんだ? ねえ、モディーハンナ。ねえってば。ねえねえねえ」
第七聖女アルメノンが楽しそうに喚き散らしている。
モディーハンナがうんざりした様子で応える。「これは元からかけられていた魔術じゃないですね。迷宮派の魔術に似てます。おそらくネドマリアでしょう。だからさっき捕まえるべきだったんですよ」
怪光の正体が何なのかユカリたちには分からなかったが、その青い光は意志を持っているかのように部屋の中を飛び回り、羽虫の羽音のような煩わしい音を立てている。
アルメノンはモディーハンナの批判など聞こえないかのように尋ねる。「迷宮派って?」
「ほら、迷宮都市、ワーズメーズの」
「ああ、ああ、あれね。シャリューレの出身か。ってことはネドマリアの出身でもあるのか。それでこれね。まあ、甘藍畑には甘藍が生るっていうしね」
「その場合シャリューレは甘藍ではないのでは?」とモディーハンナは言う。
「細かいことは良いよ。こういうのは君の方が得意でしょ。早く解呪してくれよ。さあ、早く。さあさあさあ。一番弟子の名が泣くぞ」
「今やってるんですよ」モディーハンナは時折呪文を呟きながら器用に会話を続ける。「ところでベルニージュ。お知り合いなんですか?」
「知り合いといえば知り合いだよ。世の誰よりもベルニージュのことを知っているのがこの私だと言っても過言ではないね」
「たぶん過言なんでしょうね。彼女もここにいるって分かってたんですか?」
「もちろんさ。まあ、結局ここに来たのは偶然らしいけど。がっかりだよ」
モディーハンナが声をあげる。「見てください、猊下。この奥です」
モディーハンナの指す通路の奥の部屋をアルメノンも覗く。
「何? こいつら。でかい骨? 閉じ込められてんの?」とアルメノンは言った。
「巨人の骸ですよ。動いてる。でも生きているわけではなさそうですね。ネドマリアがこの空間に閉じ込めたのでしょうか。入るのは簡単そうですけど。やっぱり巨人に関わりのある遺構だったんです。猊下がいつまで経っても調査を許可してくださらないから、こんなことになっちゃいましたけど」
アルメノンは打って変わって低い調子で言う。「何で女神パデラの聖域に巨人がいたわけ?」
「残念ですね。もっと早く調査させてくれていれば、今頃その理由を突き止めていたかもしれないのに」
アルメノンはため息をつき、苛立たしげに言う。「仮説で良いから考えてよ」
モディーハンナは暗記していたかのようにつらつらと話す。「そうですね。通説と違い、巨人たちも信仰を持っていてた、とか。巨人たちが生贄になっていた、とか。単なる墓荒しだ、とか。そんなところじゃないですか」
ユカリとレモニカは別の通路へと進み、再び似たような広間を通り過ぎていく。
「まだ二人は見つけられていないようですわね」と言ってレモニカが安堵する。
「でもシャリューレさんがいない。急がないと」とユカリは焦りを滲ませる。
「シャリューレとネドマリアさまが再会したなら名前を呼ばれて支配から逃れられるのではありませんか?」
「そうなるかもしれないけど、そうならないかもしれない」
気持ちの焦るユカリが聞き逃した足音が広間へと飛び込んでくる。驚いて飛び退くが、それはベルニージュとネドマリアだった。
二人とも疲弊と驚愕の表情を消し去って、ユカリたちとの再会を喜ぶ。
「ネドマリアさん! 色々話したいことはありますけど、まずはシャリューレさんの――」
ユカリが言い切る前に激しい大水が別の通路から流れ込んでくる。四人は急流に落ちた木の葉のようになすすべもなく押し流された。ユカリは何とかレモニカを抱き寄せるが流れ流され、気が付けば行きどまりの広間にたどりつく。
魔法少女の杖を手に取って、海水を押し広げるように空気を噴射し、空気溜まりのできた天井へと逃げる。ユカリとベルニージュが顔を出し、遅れてレモニカが『至上の魔鏡』から水を捨てて現れた。
地下の奥底で明かりは魔法少女の内から仄かに溢れる紫の輝きだけだ。
「何で突然海水が流れ込んできたの!?」とベルニージュが長い赤髪を掻き揚げて唸る。
「海を操る魔導書があるんだよ。溟海の剣って呼んでる」とユカリは答える。「他にも大地の剣と天空の剣があって、大地の剣は手に入れた」
「その溟海の剣の力でも海が入り込めなかったのがこの領域のはずですわ」とレモニカが否定する。
確かにそうだ、と同意しようとした時、一人足りないことにユカリは気づく。
「ネドマリアさんがいない!?」と、辺りを見渡して言う。
ベルニージュが落ち着いた口調で言う。「海が流れ込んできた方向に流れていったのを見た。それが溟海の剣の力ってことだね」
「わたくしたちネドマリアさまにシャリューレの本名を聞きに来たのですわ」とレモニカは説明する。「シャリューレはその名を縛りとして聖女アルメノンに操られているのです」
「ベル!? その石飾り!」ユカリがベルニージュの首元を凝視して言う。「それにシャリューレの本名が書かれているって聞いてる」
ベルニージュは首を横に振って否定する。「こっちはネドマリアの名が刻まれてる。シャリューレの本名が刻まれた石飾りはネドマリアさんが持ってる方だってことだね」
ユカリは頷いて言う。「地上に戻ろう。肩につかまって。空気吸って。行くよ」
ユカリの合図とともに再び水へ沈み、暗闇に光る紫の杖から水を噴射して通路を戻る。地下墓地は完全に水に満たされ、既に流れは失われているが、元来た道をそのままたどって海底でもある地上へと帰還する。