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夜哭きの森が軍に恐れられている理由を、少しだけ理解した気がした。
いや、正確には夜哭きの森ではない。
大和だ。
十数人の武装した兵士を相手にしておきながら、その顔には焦りも緊張も見当たらない。まるで散歩の途中で少し道を整えただけだと言わんばかりの落ち着きだった。
周囲の半魔達も似たようなものらしい。
驚いている者は誰もいない。
当然の結果だと思っている顔ばかりだ。
「見に行くか」
不意に大和が言った。
その言葉に住人達が頷く。
どうやら本当に終わったらしい。
「逃げたりせぬのか?」
千代が尋ねる。
「無理だろう」
大和は平然と答えた。
その口調があまりにも自然だったので、一瞬聞き流しそうになる。
だが考えてみれば恐ろしい話だった。
逃げられないよう拘束しているということだ。
それを十数人まとめて。
「行くぞ」
大和が歩き出す。
住人達も後に続いた。
俺達もその流れに加わり、夜の森を進んでいく。
迷い霧は薄い。
どうやら大和達には調整できるらしい。
月明かりが木々の隙間から差し込み、湿った土を照らしている。
先程まで賑やかだった集落とは別世界だった。
聞こえるのは足音と風の音だけ。
しばらく歩いたところで、大和が足を止めた。
「そこだ」
その一言で全員の視線が前方へ向く。
そして。
思わず言葉を失った。
木々の間に十数人の兵士達がいた。
立ったまま。
倒れたまま。
膝をついたまま。
姿勢は様々だ。
だが全員に共通していることがある。
動けない。
黒い何かが身体へ絡みついているのだ。
縄ではない。
鎖でもない。
まるで影そのものが実体を持ったかのような黒い蛇達が、兵士達の腕や足へ巻き付き、そのまま木々へ縫い留めている。
兵士達は必死に抵抗していた。
だがびくともしない。
その光景は異様だった。
研究所で様々な能力を見てきた俺ですら、これほど不気味な力は見たことがない。
「な、なんなんだこれは……!」
兵士の一人が叫ぶ。
額には脂汗が浮かんでいた。
当然だろう。
気付いたら得体の知れないものに捕まっていたのだから。
その声を聞いて、大和が前へ出る。
兵士達が息を呑んだ。
目の前に現れた人物が誰なのか分からなくても、本能的に理解したのだろう。
この状況を作った張本人だと。
大和は兵士達を見渡す。
怒りも敵意もない。
ただ静かだった。
だからこそ兵士達の緊張は強まっているように見えた。
「夜哭きの森へ何の用だ」
問い掛けは短い。
兵士達は顔を見合わせる。
誰も答えない。
答えられないのかもしれない。
やがて一人の兵士が口を開いた。
比較的若い男だった。
「逃亡した研究員を追っている」
予想通りだった。
兵士の視線がこちらへ向く。
俺。
しゆら。
ルカ。
そしてシエル。
明らかに探していた相手を見つけた顔だった。
空気が少しだけ張り詰める。
住人達の視線も鋭くなる。
だが大和だけは変わらなかった。
「そうか」
ただそれだけだった。
兵士は困惑したような顔をする。
もっと怒ると思ったのかもしれない。
あるいは脅されると思ったのかもしれない。
しかし大和は淡々と続けた。
「なら帰れ」
兵士達が目を見開く。
あまりにも予想外だったのだろう。
「なに……?」
「ここはお前達の来る場所ではない」
静かな声だった。
だがその瞬間、兵士達へ絡みついていた黒い蛇達が一斉に鎌首をもたげる。
まるで威嚇するように。
兵士達の顔色が変わった。
大和はそれを見ながら続ける。
「今回は帰してやる」
その言葉に周囲の半魔達が少しだけざわついた。
だが誰も反対しない。
長の判断なのだろう。
「次はない」
黒い瞳が兵士達を見据える。
怒鳴っているわけではない。
威圧しているわけでもない。
それなのに。
夜の森そのものが言葉を発しているような重みがあった。
兵士達は誰一人反論できない。
ただ黙ったまま立ち尽くしている。
その様子を見ていた千代が、小さく鼻を鳴らした。
「ほれ見ろ」
どこか得意げな声だった。
「儂の出番など最初からなかったじゃろ」
そう言って大和を見る。
だが次の瞬間。
「いや」
大和が首を傾げた。
「来ようとしてくれたのは嬉しかった」
沈黙。
千代の動きが止まる。
住人達も止まる。
ルカが吹き出す。
そして当の大和だけが何も気付いていなかった。
夜哭きの森の緊張感は、また別の意味で崩壊した。
先程まで兵士達を睨んでいた半魔と同じ人物とは思えない変わりようだった。
大和本人は本気で何も気付いていないらしい。
兵士達を解放する指示を出しながら首を傾げている。
結局、その後も千代はしばらく住人達に弄られ続けることになり、兵士達は迷い霧の外まで送り返された。
それからさらに時間が経ち、集落へ戻った頃には夜もかなり更けていた。
子供達は既に眠っている。
シエルもいつの間にかしゆらの膝の上で寝息を立てていた。
焚き火の周囲には大人達だけが残っている。
誰もが静かだった。
先程までの騒ぎが終わり、ようやく落ち着いて話ができる空気になったのだろう。
「さて」
大和が焚き火へ薪を放り込む。
火の粉が夜空へ舞い上がり、赤い光が全員の顔を照らした。
「改めて話しておこう」
その言葉に住人達が頷く。
千代も真面目な顔へ戻っていた。
さっきまでの赤面騒動が嘘みたいだった。
「まず確認したい」
大和の視線がこちらへ向く。
敵意はない。
だが長としての目だった。
「お前達は今後どうするつもりだ」
率直な問いだった。
俺も少し考える。
研究所はなくなった。
戻る場所もない。
軍は追ってくる。
現状だけ見れば逃亡者だ。
だが。
「生きる」
そう答える。
「当たり前の話だが、それが最優先だ」
大和は黙って聞いている。
「子供達もいる。しゆらもルカもいる。シエルもまだ治療が必要だ」
焚き火が小さく弾ける。
「だからまずは生活基盤を作る。住む場所を確保して、食料を確保して、全員が落ち着いて暮らせる状態を作りたい」
口にしてみると単純な話だった。
研究でもない。
軍との戦いでもない。
ただ生きるための話だ。
だが今の俺達にとってはそれが何より重要だった。
大和は静かに頷く。
「悪くない」
そして周囲へ視線を向けた。
「お前達はどう思う」
住人達も順番に意見を出し始める。
空き家を使えばいいという者もいた。
畑の手伝いを頼みたいという者もいた。
魔獣達の世話なら人手が欲しいという声まである。
予想外だった。
もっと警戒されると思っていた。
だが彼らは既に、俺達がこの森で暮らすことを前提に話している。
その事実に少し驚く。
「本当にいいのか」
思わず聞いてしまった。
すると近くにいた半魔が笑う。
「何がだ」
「俺達は人間だぞ」
その言葉に何人かが顔を見合わせる。
そして。
「知ってる」
当然のように返された。
「見れば分かる」
「そういう意味じゃなくてだな……」
言葉に詰まる。
すると今度は別の半魔が肩を竦めた。
「人間だから嫌うなら、とっくに追い出してる」
「それに」
別の住人が続ける。
「長も千代も認めてるしな」
その言葉に千代が頷いた。
「お主らは少なくとも敵ではない」
短い言葉だった。
だが十分だった。
夜哭きの森で暮らす者達は、大和と千代を信頼している。
だからこそ、その二人が受け入れた相手を拒絶しないのだろう。
大和も否定しなかった。
静かに焚き火を見つめながら口を開く。
「夜哭きの森は避難所だ」
その声は穏やかだった。
「居場所を失った者が辿り着く場所でもある」
炎が揺れる。
誰も喋らない。
「半魔でも」
少し間を置く。
「人間でもな」
その言葉を聞いた瞬間、周囲の空気が僅かに柔らかくなった気がした。
大和は続ける。
「だから住みたいなら住めばいい」
簡単に言う。
あまりにも簡単に。
だがその一言の重みは軽くなかった。
この森の長が認めたのだ。
それはつまり。
俺達に居場所ができたということだった。
しゆらが小さく息を吐く。
隣を見ると、どこか安心したように微笑んでいた。
ルカも同じだった。
きっと子供達もそうだろう。
研究所を失ったあの日から初めてかもしれない。
明日のことを考えてもいいと思えたのは。
焚き火の火は静かに燃え続けている。
その暖かさを感じながら、俺は改めて夜哭きの森の住人達を見回した。
ここが本当に新しい居場所になるのかはまだ分からない。
だが少なくとも。
その可能性だけは、確かに目の前にあった。
コメント
1件
うわ、今回の話もすごく良かったです……! 大和さんの“来ようとしてくれたのは嬉しかった”のところ、めっちゃ好き。あの緊張感から一気に和む空気、千代さんが弄られてるのも可愛くて笑っちゃいました。それに、夜哭きの森が「避難所」っていう大和さんの言葉、すごく温かかったです。人間だからって拒絶しないで受け入れてくれる場所があるって、本当に救いだなって思いました。葉菜さんの描く世界、いつも心に沁みます🖤