俺は悩んでいることがある。
「恋人の俺に対しての態度」についてだ。
俺の恋人・本田菊は、誰にでも優しく接する。相手がどんなに無愛想でも、常に敬語で、誰にでもさん付けで、相手の顔を伺いながら話をする。⋯それは、一社会人として素敵な人間であると思う。
しかし、彼は恋人である俺にもそんな態度で接するのだ。常に敬語で、常に俺を気遣う。
正直のところ、彼は俺のことを好いているのか不安だ。
「アーサーさん、今日の御夕飯はアーサーさんの大好きなハンバーグですよ。」
気難しい顔をしていた俺に気付いたのか、菊が言った。
「おう、そうか。ありがとな。」
「いえいえ。ここのところアーサーさん、気を張り詰めていたようなので。最近お仕事大変そうですもんね。」
菊の言う通り、俺は最近仕事が波に乗ってきて、なかなかに忙しい日々を送っている。それ自体はいいことなのだろうだが、菊のことが気がかりで禄に仕事も出来ないので、正直本末転倒だ。
「そうだな。仕事なんてやめて菊と一緒に素敵な休日を満喫したいのだが、生憎上手く時間がつくれなくてな。」
「ふふ、素敵な休日ですか⋯気長に待っていますよ。」
微笑む顔も、品がある俺の恋人。非常に育ちが良い。彼の敬語は、そんな育ちの良さから来ているらしい。
育ちが良いのはとても尊敬するが、自分の気持ちを表に出さないのは少し気に食わない。俺が唯一、彼のことを嫌いだと思うところだ。⋯敬語なのも、さん付けなのも、百歩譲って良しとするが、せめて思ってることはもっと伝えて欲しい。そういう、皆平等に接し、自分の気持ちを隠すのは、日本人特有のものなのだろうか。
「⋯どうかしましたか?」
「ああ、いや、なんでもない。先風呂入ってくる。」
「そうですか。では御夕飯作って来ますね。」
アーサーさんは稀に、思い詰めた表情で壁の一点を見つめていることがある。最初は妖精さん⋯?と話しているのかと思ったのだが、そうでもなさそうだ。
しかし、私が話しかけると、さっきまでの表情とは打って変わり、明るい笑顔で「どうしたんだ?」と言う。そんな笑顔を見る度に、彼に我慢をさせているのではだろうかと思ってしまう。
「はあ⋯。」
フライパンでハンバーグを焼きながら、溜息をついた。
何か思い悩んでいることがあるのなら、気軽に私に相談してほしいし、すぐ解決したい。が、もしその悩みが私の解決できないような悩みだったら、私に何ができるというのか。そう考えると、なかなか聞き出せない。
すると、アーサーさんがお風呂から上がったようで、
「いい匂いだ。流石菊だな。」
と、台所にいた私に抱きついてきた。
「もう、髪も乾かしてないじゃないですか。もう少しでできるので乾かしてきてくださいね。」
「ああ、わかった。すぐ戻るからな!」
そう言いながら彼は洗面台の方へ向かった。
アーサーさんはとても優しい。私を大切にしてくれている。私も、もう少し彼に優しくできたらなと思う。
⋯彼は、私に「愛してる」と言う。
しかし私は、そんな彼に、「私もですよ」としか言えない。
「愛していますよ」
そう言おうとしても、妙に恥ずかしくなってしまって、結局言えない。こんな自分に付き合わせてしまっているアーサーさんに、申し訳なく思う。でも、どう頑張っても、恥じる心が捨てられない。
アーサーさんはイギリス人で、流暢な日本語を喋る。私が出会った時は既に、とても上手な日本語を話していて、驚いた記憶がある。
前にネット記事で読んだ情報によると、イギリス人というのは、”紳士的に”愛を伝えるそうで、その情報の通り。彼は私に、巧みな言葉と高い会話能力で、愛を伝え、紳士的に接する。
そんな彼と一緒に居ると、素直に言葉を伝えられない私が、どうしようもなく憎くて、罪悪感に押し潰されそうになる。
そんなことを考えているうちにハンバーグも作り終わり、食事の用意を済ませた。あとはアーサーさんを待つだけだ。
「終わったぞー。⋯お!相変わらず美味しそうなハンバーグだな。」
彼はそう言って椅子に座った。
「ありがとうございます。では、食べましょうか。」
「いただきます。」
「菊の料理は本当に美味いな。三つ星レベルだぞ、これ。」
「そうですか?アーサーさんにそう言っていただけて嬉しいです。」
⋯まただ。また気難しい表情で一点を見つめる。この際、全て言ってしまおうか。全て言って、このもやもやした感情を曝け出してしまおうか。
何度目だろう。こうしてアーサーさんが気難しい顔で黙り込むのは。そして、私が全て言ってしまおうか悩むのも、何度目だろう。
もう1ヶ月以上もこうしたことを繰り返している気がする。いつ終わるのだろう、このもどかしい気持ちは。
「⋯アーサーさん。」
私が口を開くと、一瞬はっとした表情を浮かべたものの、
「どうしたんだ?菊。」
と、彼はすぐに微笑みかけてきた。笑って誤魔化し、何でも隠そうとする。彼の悪い癖だ。
「アーサーさん。あの、何か悩んでいることがあるのでしょう?」
思い切って言ってみる。何か打ち明けてくれるだろうと期待したが、そんなものは数秒の間に消え去った。
「なんだ?俺がそんなに悩んでいるように見えたか?⋯別に悩みなんてないぞ。菊と居られるこの時間が、俺にとって一番幸せで、悩みなんて、」
「そういうところですよ!」
私が怒鳴り声を上げて椅子から立ち上がると、彼は驚いた表情で固まった。
「アーサーさんっていつもそうです。悩み事があっても私に隠して、私のいないところでこっそり解決しようとする。そんなに私が頼りないんですか?そんなに私が嫌なんですか?」
今まで思っていたことが、次々と言葉になって出てくる。ああ駄目だ、こんなこと言ったらアーサーさんが可哀想だ。彼は何も悪くないのに。すぐに謝らないと。そう思い、言葉を紡ごうとすると、アーサーさんがガタンと大きな音と共に、椅子から立ち上がった。
「⋯頼りないんじゃねぇよ、お前自体が俺の悩みなんだよ!なんで他の奴らと同じように俺に接するんだよ。俺ら恋人じゃねぇのか?もっと好きって、愛してるって言ってくれよ。なんで、なんで⋯!」
涙目になりながら私に訴えかけてくる彼を見て、ただひたすらに申し訳なさでいっぱいになった。
「お前自体が俺の悩み」⋯貴方があんなに気難しい顔で悩んでいたのは、私のせいだったのですね。
今まで以上に、素直になれない自分を憎んだ。どんなに顔を顰めたって、彼は私が話しかければ、すぐ微笑みかけてくれたものだから。心の中で、私の彼への態度が許されたと思ってしまっていた。
「申し訳⋯ないです⋯。」
どんなに謝っても謝りきれない。彼を弄ぶようなことをしてしまった。別れようと言われても、仕方がないだろう。本当に、申し訳ない。
「違うだろ、俺が求めてるのは⋯、謝罪じゃない。」
「え?」
思わぬ言葉に腑抜けた声が出てしまった。別れ話を切り出されるかと思っていたが。
「だーかーら!俺は、お前から”愛してる”って言葉を聞きたいんだよ。」
「えっと⋯それは、その⋯別れないってことですか?」
「はあ?なんで俺らが別れるんだよ。そんな必要ねぇよ。ただ、菊から愛してるって言うだけで、それだけでいいんだよ。」
「あ、愛してます⋯よ?」
どうしても捻くれた言い方になってしまう。自分の顔が真っ赤になっていくのが分かる。
「本当か?」
アーサーさんが目を見開いた。そんなに驚くことなのでしょうか⋯。
「ええ、勿論。アーサーさんを、愛してます。」
こうして、いざ言ってみると、ずっと渋ってた自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。たった6文字の言葉を言うのに、何ヶ月もかかってしまった。
「そう⋯か。」
頬を赤らめる彼。
「貴方が照れてどうするんですか。」
「なっ、なんだよ、さっきまでの恥ずかしがってた菊はどこに行ったんだ!」
「じゃ、ハンバーグ食べましょうか。冷めちゃいますよ。」
すとん、と。再び2人とも椅子に座る。
「おい、もう一回言ってくれよ。愛してますって。」
「愛の言葉は時々言うからこそ、重みを増すんですよ。」
私がそう言うと、アーサーさんは不貞腐れたような顔でハンバーグを食べ始めた。
「⋯ん!やっぱ美味しいな。明日もハンバーグにしよう。」
さっきまで不貞腐れてたのが嘘みたいに、途端に彼は笑顔になった。ああ、この笑顔だ。私はこの笑顔が大好きなんだ。
「明日もですか?いいですよ。」
また明日も、
2人でこうして食卓を囲めますように。
また明日も、
彼と一緒に居られますように。
その日の夜は、いつもより深く眠れたような気がした。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!