テラーノベル
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「今日行ったダンジョンで、いろいろあったと報告で聞いてな。」
シュバルツの低い声が部屋に落ちる。背筋を伸ばしたままの彼の顔は硬く、深いしわが眉間に寄っていた。
「ボスの扉が勝手に開いたり、ボスがリザードマンだったり色々あったよ。」
エリーゼは淡々と返すが、その声色の奥には疲れが滲んでいた。
「怪我はないか?どこか気になるところがあったら、気にせず言っていいんだぞ。」
父親の視線が真っ直ぐに向けられる。エリーゼはその眼差しから逃げるように目を伏せた。
「そんな心配しなくても大丈夫だから。」
わざと軽く言ってみせたが、その笑顔はほんの少しだけぎこちない。
「でも無理は良くないぞ。」
「無理してないから。私にだけ甘くするのはやめてよ。他のみんなには厳しいのに。」
強い調子で返され、シュバルツは言葉を詰まらせる。
「いや、そういうわけじゃ……」
「分かったから。それで、話って何なの?」
「明日、カイルが王と会うことになった。」
「え!王様と会うの!?」
「あぁ。カイルが来てからすぐに事態が悪化してな。アイツには一刻も早く王様に会ってもらわなければ困るんだ。」
「どうして困るの?」
「ゼルフィアと二人で話したんだが、王様にでも言ってもらわないと、自分の役割を断るって考えてな。」
「まぁ、確かに。それはそうだけど……」
エリーゼの脳裏に、カイルの奔放すぎる行動が次々と浮かんだ。逃げ癖があり、自分の都合で現れ、平気で他人の物を売る男。
しかし、そんな男でも王の頼みを断れるはずがない──彼女はそう結論づけた。
「それに、厄災の件で関わっている組織が分かったんだが、連中が貴族と関わっているかもしれない。」
「そうなの!?」
息を呑むエリーゼに、シュバルツはさらに表情を引き締めた。
「だから早く王と会わせて周りに手出しさせないようにしなければいけないんだ。」
「それはそうだけど、組織の名前は?」
「ユグドラだ。」
短い言葉に、エリーゼの背筋がぞくりと震えた。
ユグドラ──。
その名は誰もが知っている。歴史が最も長く、王国を超える規模の闇を持つ謎の組織。だが詳細は一切掴めない。
「もしかしたら、この件を無事に解決できればユグドラのアジトが分かるかもしれない」
「早く倒せると良いんだけどね。」
「そういうことだから明日からはアイツと冒険はしなくていい。良かったな。」
シュバルツの言葉に、エリーゼはうつむいたまま声を失った。
「冒険も騎士も辞めないとダメなんですよね……」
俯いたまま口を開く。けれど、唇の端にはほんの少しの笑みが浮かんでいた。
「楽しかったなぁ……」
その呟きに、シュバルツは胸を締め付けられる。悔しそうに拳を握りしめた。
「その件は無かったことにしようとしているから、気にしなくていい。今までみたいに続けても大丈夫なんだぞ。」
だが、その言葉は娘の心を慰められるものではない。重苦しい沈黙が部屋を満たした。
シュバルツはこのままでは耐えられないと感じ、ぎこちない笑みを浮かべて口を開いた。
「騎士団に入りたい子がいると聞いたんだが、その子と明日会ってみたいな。」
「ゼリアさんですね。彼女はとても素晴らしい人ですよ。立風を見ただけで完璧にマスターしましたから。」
「それは凄いな。他の騎士たちにいい刺激を与えることが出来るかもしれない。」
「うん。でも、カイルさんもすごいよ。」
「アイツが?あのひ弱な男が?」
「私にもよく分かんないけど、リザードマンが投げつけた剣と魔法が消えたんだよね。」
シュバルツの頭に報告書の内容が蘇る。部下が聴取した冒険者──特にラシアという少女が詳細を語っていた。
トドメを横取りしようとして失敗した、門番を倒さず階層を通過した、数々の問題行動と愚痴が並んだ報告書。だが、そこに混ざる「英雄だった」という不可解な言葉。
「やる時はやる男なのかもしれんな。」
「それは無いかな……」
即座に否定するエリーゼ。その様子に、父は一層気になった。
「報告書にはカイルは英雄って書かれてたり、クズだって書かれたりしてて意味がわからなかったが、一体どういうことなんだ?」
「うーん……色々ありすぎて混乱してるけど一つだけ分かるのは、カイルさんがいると不安が無くなるんだよね。」
「どういうことだ?」
「リザードマンの姿に少し怖くなって、それでも必死に戦って死にかけたの。でも、いきなりカイルさんが大量のモンスターを引き連れて上から落ちてきたから、なんとかなったんだけどね」
エリーゼの声が少しずつ明るさを取り戻す。彼女の顔に微笑みが浮かんだ。
「その後に私に『ファイアーって言ってドロップキックするんだよ』って言われたから、やってみたけど何も起こらなくて恥ずかしくなったり、自分が持ってた剣をゼリアさんに渡さないように必死に抵抗したりしてるの見てたら、怖くなくなっちゃった。」
娘が楽しそうに語る姿を見て、シュバルツは何も言えなかった。これほど無邪気に笑う彼女を見たのはいつぶりだろう。
「冒険は楽しいか?」
「うん。でも、もう満足出来たから騎士は辞めるって決めることが出来たよ。」
エリーゼは笑顔を向けた。けれど、それは無理に作った笑みだった。
堪えろ。今だけは堪えろ。
シュバルツは自分に言い聞かせ、感情を押し殺した。
「この件が終わったら、旅行にでも行こう。」
「え!いいの!?」
「どこに行きたいか考えといてくれ。」
シュバルツは立ち上がり、玄関へと向かった。
「分かった!おやすみ!」
「おやすみ。明日は一緒に店で食事しよう。」
「うん。」
扉の向こうからエリーゼの笑顔がちらりと見えた。彼はそれを見て、そっと扉を閉めた。
廊下を歩きながら唇を強く噛む。
「クソッ」
娘一人の悩みすら救えない自分の無力さに、胸が軋む。
「なにが騎士団長だ!情けない!」
静かな夜に、絞り出すような呟きが溶けた。
「ビューティフル」
早朝、カイルは窓を開け放ち、流れ込む爽やかな風を全身で味わっていた。肌に当たる空気が心地よく、自然と口をついて出た言葉に自画自賛するような余韻が残る。
そのまま洗面所へ向かい、鏡の前で髪を整えながらもう一度呟く。
「ビューティフル」
顔を洗い、さあ雑誌タイムだと手を伸ばした瞬間
コンコン
扉をノックする音が響いた。
「もう行くの〜?」
だるそうに呟き、のそのそと扉へ。開けた途端、そこに立っていたのは鎧に身を包んだ巨大な男、シュバルツがいた。圧倒的な存在感に、カイルは思わず一歩引いた。
「え、なんでここにいんの?」
返答を待たず、シュバルツは無表情のまま命じる。
「早く支度しろ。すぐに出るぞ。」
あまりに唐突で高圧的な物言いに、カイルは眉をひそめた。
「飯食べたいんだけど。」
「それは後にしろ。用が終われば好きに食べろ。」
「飯食べなきゃ力でないんだぞ!」
「昨日みたいに時間はかからん。すぐに終わる。」
「いつ何時何分何秒に終わるの!!」
「知るか!早くしろ!!」
怒声にびくりと肩をすくめ、カイルは半ばヤケになって扉を乱暴に閉めた。
「なんでいんだよ!ビューティフルな朝を邪魔しやがって!!」
そう文句をこぼしながらも、急いで着替えを済ませ荷物をまとめ、部屋を後にする。
ホテルの入り口前には、立派な馬車とその脇に立つエリーゼの姿があった。彼女もすでに鎧姿で、出発の準備を整えている。
「エリーゼは乗らないの?」
「私はゼリアさんと騎士団のところに行きます。」
「一緒行こうよ!隣に女の子いないと元気出ないよ!」
「私の娘に二度とそんな口を叩くな!」
「ちょっとくらいいいでしょ!」
シュバルツがさらに怒鳴ろうとした時、ふと視線がエリーゼに向き、彼女の寂しげな表情に気づいた。
その瞬間、怒気は消え失せ、低く穏やかな声に変わる。
「少しだけ話してこい。」
言われたカイルは馬車を降り、エリーゼの前に立つ。
真剣な目で見上げてくる彼女に、カイルはわずかに身構える。
「カイルさん。」
「な、なに?」
告白か?確かに今のタイミングしかないよな。
期待を胸に、喉が自然と鳴る。
「これどうぞ」
差し出されたのは、小さな鞄だった。
「告白じゃないのね。」
ぽつりと呟き、バッグを受け取る。
エリーゼは気に留める様子もなく続ける。
「中を開けてみてください。」
ワクワクしながら鞄を開けて覗き込む。
「なんもないじゃん」
「手を奥に入れてみてください」
言われた通りにしてみると、手首ごと中へと吸い込まれる。
「異空間のバッグですやん!!」
「さっきギルドに行った時、マスターのグリウェル様がカイルさんにって渡してくれたんですよ。」
「マジで!後で写真集見せてあげるか。」
鞄を撫でながら満足げなカイルを、エリーゼはまっすぐに見つめて言葉を続ける。
「短い間でしたが、とてもいい冒険が出来て楽しかったです!」
「しばらく会えないの?」
「またすぐに会えますよ」
笑顔を向ける彼女だったが、その笑顔にはどこか違和感があった。
「最近なんかあったの?」
「え?」
「いつもの笑顔と違いますやん」
その一言に、彼女だけでなく背後のシュバルツまでもが目を見開いた。
「そんなこと無いと思いますけど……」
明らかに動揺した返答。それをじっと見つめるカイルの表情には、珍しく本気の色があった。
「仲間に気遣う必要ないよ。気遣われたら寂しくね?時と場合もあるけどさ。」
「……」
エリーゼは何も言えなかった。自分の中の「正しさ」が揺らいでいた。ずっと、周囲に合わせることが正しいと思っていた。そうすれば傷つかないし、嫌われない──けど、あの冒険の日々は、それだけじゃなかった。
心から笑えた。心から楽しかった。
「困った事あるなら相談してもいいんだぜ!エリーゼちゃんの話はちゃんと聞くからさ!」
「ありがとうございます」
「いい夢みろよ!!」
「カイルさんも元気で!」
馬車に乗り込んだカイルは、向かいに座るシュバルツが無言で手を振っているのに気づいた。その視線の先には、エリーゼの小さな手が。
周囲の視線に気づいた彼女は恥ずかしそうに顔を逸らしながら、控えめに振り返していた。
「もういいでしょ!俺腹減ってるから!!」
シュバルツは咳払いで誤魔化し、重々しく一言。
「進め」
馬車が動き出す。エリーゼは静かにその背中を見送った。
「これからどうすればいいんだろ……」
ぽつりと漏れた言葉。風にかき消されるようにして、ギルドへの足取りはどこか重たかった。
胸の奥に、ひとつの不安を抱えながら。
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