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凍てつく瞳の奥に
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冬の朝。
曇ったガラスの向こうで、雪が音もなく降っていた。
その白い景色を背にして座っていたのが――カルパッチョ。
フィンが彼を初めて見たのは、転入してきた日のことだった。
教室のざわめきの中でも、彼だけはどこか異質だった。
無表情、冷たい視線。
誰とも話さず、ただ指先でペンを転がしている。
「……君が新しい子?」
突然話しかけられて、フィンはびくっとした。
カルパッチョは顔を上げることもせず、淡々と続ける。
「君みたいな雑魚に、ここでやっていけるわけないと思うけど」
その一言に、教室の空気が一瞬止まった。
周りの生徒は笑ったり、ひそひそと囁いたりしている。
けれどカルパッチョ本人は、何の感情もないような目をしていた。
フィンは、何も言い返せなかった。
胸の奥がズキンと痛む。
けれど――なぜか、その瞳から目を離せなかった。
──日が経つにつれて、フィンはカルパッチョの「冷たさ」に少しずつ慣れていった。
彼の毒舌は日常のように降ってくる。
「君ってほんと鈍いね」
「なんでそんな顔してるの」
「見てるだけで頭悪くなりそう」
そのどれもが、氷のように冷たかった。
だけど、不思議だった。
カルパッチョは、他の誰よりもよくフィンを見ていた。
誰かにからかわれても、誰かに笑われても──
その瞬間、ほんの一瞬だけカルパッチョの瞳が鋭く光るのを、フィンは見逃さなかった。
ある放課後。
フィンが落とした教科書を拾おうとしゃがんだ瞬間、
「……君、そんなに必死にやらなくても、どうせできないくせに」
声は冷たいけど、手はすっと差し伸べられた。
その手の温度に、フィンの心がぎゅっとなる。
カルパッチョは言葉で傷つけるけれど、行動では少しずつ守ってくれる。
気づけば、冷たく突き放すその態度の奥には、
フィンだけに向けた優しさが滲み始めていた。
──フィンは胸の奥で、静かに思う。
「この人、怖いけど……なんだか、特別かもしれない」
─それから何日も経った。─
カルパッチョは相変わらず毒を吐く。
けれどフィンには、もうその冷たさが以前ほど刺さらなくなっていた。
むしろ、その裏に隠された“何か”を、感じ取れるようになっていた。
「君って、ほんと馬鹿みたいにまっすぐだね」
放課後、問題集を解いているフィンの横でカルパッチョが言う。
その声はどこか柔らかい。
彼自身は気づいていないだろうけれど、
フィンはその変化に気づいていた。
「うるさいな、頑張ってるだけだよ」
「ふーん。……頑張ってもできないものはできないけどね」
言葉は冷たい。
けどそのあと、カルパッチョはペンを取り、
「ここ、こうすれば答え出るから」
そう言って静かにノートを指した。
フィンの指先が、彼の手に触れる。
一瞬のことだった。
カルパッチョはわずかに目を見開き、視線を逸らした。
「……触るな」
小さな声だった。けれど、その言葉には “怒り” よりも “戸惑い” が混ざっていた。
──その日から、何かが少しずつ変わり始めた。
カルパッチョはフィンのことをからかいながらも、
何かあれば真っ先に助けるようになった。
転びそうになれば腕を掴み、忘れ物をすれば無言で渡し、
誰かが笑えば、無表情のままその人を鋭く睨む。
ある日、廊下で誰かがフィンのことを馬鹿にした。
「転入生のくせに、全然空気読めないよな」
そんな言葉を言われた瞬間──
カルパッチョの靴音が響いた。
「……君、今なんて言った?」
いつもと同じ低い声。けれど、その空気は一変していた。
周りが静まり返る。
「人を下に見て笑う暇があるなら、自分の点数見直したら?」
冷たく言い放つカルパッチョの目には、鋭い光があった。
その後、誰もフィンを笑わなくなった。
──放課後の帰り道。
フィンが「ありがとう」と言うと、
カルパッチョは少し顔を背けて小さく答えた。
「別に君のためじゃない」
でも、その声はいつもより少しだけ、優しかった。
──冷たい氷のようだったカルパッチョの瞳に、
少しずつ、温度が宿っていく。
──季節は、春へと移ろっていた。
雪は溶け、校庭には小さな花が咲き始めている。
けれどカルパッチョの中では、まだ何かがざわついていた。
最近、フィンが他の誰かと話していると、
胸の奥がじわじわと痛む。
本人は気づいていないようだが、
その痛みは「嫉妬」という名前を持っていた。
昼休み、フィンがクラスメイトと笑いながら話していた。
カルパッチョは無意識にペンを止める。
視線が勝手にフィンを追う。
笑ってる顔が、腹立たしいくらい眩しい。
(なんで、あんな顔ぼく以外に見せるんだよ。)
「カルパッチョ?」
フィンが気づいて声をかけた瞬間、
カルパッチョはハッとして目を逸らした。
「……なんでもない。うるさい」
その声は普段よりも少し荒かった。
その日の放課後、フィンはいつものように勉強を見てもらおうとカルパッチョの席へ向かった。
「ねえ、今日も一緒に──」
「……やだ」
カルパッチョは遮るように言った。
フィンが戸惑う。
「なんで……?」
「君、誰とでも仲良くするよね。誰でもいいんでしょ」
その言葉にフィンは息をのむ。
カルパッチョの目は、冷たいのに、どこか震えていた。
「……別にそういうわけじゃ……」
「もういい」
カルパッチョは立ち上がり、視線を外に向けた。
窓の外の夕日が、彼の横顔を赤く染める。
しばらく沈黙が流れ――
「……他のやつと話すなよ、」
小さく、掠れるような声で呟いた。
フィンは目を瞬かせる。
「……それって、どういう――」
「いいから。……君は、ぼくの視界の中だけにいればいい」
その時、初めてカルパッチョの声に“必死さ”が滲んだ。
冷たく、淡々としていた彼が、
初めて感情を押し殺せなくなっていた。
──フィンはただ、小さく頷いた。
その瞬間、カルパッチョの表情が少しだけ緩んだ。
「……そう、それでいいんだよ。君は、ぼくを見てればいい」
──冷たさの奥にある独占欲が、
ゆっくりと、確かな形になり始めていた。
──春の終わり。──
窓の外では桜が散っていた。
カルパッチョは、教室の隅で静かに座っている。
その隣にはフィン。
以前のように毒舌を吐くことはなくなった。
けれど、その代わりに、彼の笑顔が少しずつ消えていた。
「ねえ、カルパッチョ……最近、なんか怖いよ」
フィンが小さく呟くと、カルパッチョは目を細める。
「怖い? ……ぼくが?」
「うん。だって、他の人と話すだけで、君……すごく怒るでしょ」
「怒ってない」
「でも目が……」
カルパッチョは黙ってフィンの手を握った。
冷たい手のひら。
なのに、指先が少しだけ震えていた。
「君が誰かを見てるの、嫌なんだ。
君の声が誰かに届くのも、嫌なんだ。
……ぼくのためだけに、笑ってよ」
フィンは何も言えなかった。
その言葉が“本気”なのを、知っていたから。
──その日から、カルパッチョは少しずつ変わっていった。
他の誰とも話さず、フィンの後を静かに追う。
まるで影のように。
周囲は次第に、ふたりを「おかしい」と言い始めた。
でも、カルパッチョは気にしなかった。
「君がいれば、それでいい」
その一言で、すべてを断ち切るように。
やがて、フィンは疲れていった。
誰かに見られている気配。
ふと振り返れば、いつもそこにカルパッチョがいる。
守られているようで、閉じ込められているようでもあった。
そして、ある放課後。
夕日の差す教室で、フィンは静かに言った。
「……もう、やめよう」
カルパッチョの動きが止まった。
「何を」
「このままじゃ、君が壊れちゃ
う。……ぼくも」
沈黙。
長い、息の詰まるような沈黙のあと――カルパッチョは笑った。
「壊れてもいいよ。
君がいなくなるほうが、よっぽど壊れる」
その声は静かで、穏やかで、
それなのに、涙が出るほど痛かった。
フィンはゆっくりと立ち上がり、彼の頬に触れた。
「ありがとう、カルパッチョ。君がくれたもの、ちゃんと覚えてる」
「フィン、どこに行くの」
「……君のいない場所、」
夕日が沈む。
カルパッチョは動けなかった。
ただ、フィンの背中を見つめながら、
冷たくなった手のひらに、まだ彼の温もりが残っていることを確かめていた。
窓の外で、桜の花びらが風に舞う。
それはまるで、最後の約束のように
──静かに、消えていった。
───
それから。
カルパッチョはまたひとり、あの日と同じ窓際に座る。
誰もいない席を見つめながら、
ただ、唇の端をわずかに持ち上げて呟いた。
「……やっぱり、君がよかった」
外では春の雨が降っていた。
それでも、彼の中ではまだ、雪が降り続いていた。
───
フィンがいなくなってから、季節がひとつ過ぎた。
空はまだ青くて、風はまだ吹く。
でも、その全部が冷たく感じた。
教室の窓際、君の席だけがぽつんと空いている。
誰もそこに触れようとしない。
みんな、まるでそこに「君」がまだいるみたいに。
ぼくは笑えなくなった。
誰かが話しかけても、声が出ない。
世界は音を失って、まるで水の底に沈んだみたいだ。
「……フィン。」
名前を呼ぶ。
でも返事はない。
それでもぼくは何度も呼ぶ。
呼ばないと、君が完全に消えてしまいそうで怖かった。
──夜、校舎の屋上。──
風が冷たい。
君が好きだと言っていた月が、今日はやけに大きく見える。
ぼくはポケットから、君が落としたうさぎのハンカチ。
少し汚れてるけど、君の匂いがまだ残っている気がした。
「君がいないなら、もう意味ないんだよ。」
あの日からずっと、心の奥で響いていた言葉。
ぼくはフィンを“好き”になってしまった。
他の誰にも見せなかった優しさを、君だけに見せて。
それがぼくの、最初で最後の恋だった。
風が強くなる。
夜空が泣いているように見えた。
「やっと、追いつけるね。」
そう言って、ぼくはそっと目を閉じた。
最後に見たのは、月でも夜でもなく
──君の笑顔だった。
静かな風が吹いた。
朝になっても、屋上にはもう誰の姿もなかった。
ただ、うさぎのハンカチだけが、月明かりを浴びて静かに光っていた。