「お疲れ様でーす」
引き戸を開けて名論永(めろな)が入り、挨拶をする。
「お疲れーす」
神羽(じんう)と
「あ、お疲れ様です!」
夏芽の挨拶が返ってくる。ワイヤレスイヤホンを外しながら
リュックを肩から下ろしながら控え室というか更衣室へ行く。
そしてリュックを置いてエプロンをつけながらホールに戻ると
「お疲れ様でーす」
と雪姫(ゆき)が入ってきた。
「お疲れ〜い」
「あ!お疲れ様です!」
「お疲れ様です」
雪姫はいまだに夏芽には打ち解けておらず
「…っす」
と小さく呟きながら軽く会釈をして控え室というか更衣室へ行く。
エプロンをつけながらそそくさとキッチンへ行く雪姫。
神羽はカウンター内とキッチンを隔てるようにかけた暖簾をくぐり、顔だけをキッチンに突っ込む。
「梨入須(ないず)ー。今日から頼むなー」
「ん?なにを?」
「いや、金城崩(かなしろほう)さん。キッチン」
「は!?マジで!?」
「なに驚いてんだよ」
と軽く笑う神羽。
「言ってたろ。キッチンも覚えてもらうって」
「言ってたけど…。今日から?」
「今日から」
「次回からとかじゃダメ?」
「ダメー」
落ち込んだように首をカクンと前方に落とす雪姫。
「そろそろ打ち解けてくれ?」
「…」
神羽はホールに顔を戻し
「金城崩さん」
と名前を呼びながら手招きする。神羽は雪姫と話していた位置から動いていないため
キッチンの雪姫から暖簾の下に下半身が見える。神羽が夏芽を呼んだのを聞き
夏芽がもうすぐキッチンに来ると思い、雪姫は心臓がドキドキする。
雪姫は別に「なるべくなら人と話したくない」というわけではない。
打ち解けるまでに時間がかかるというだけ。現に神羽や名論永とは仲良く話している。ただの人見知りなのだ。
「すいません。失礼します」
夏芽がキッチンとカウンター内を隔てるようにかけた暖簾をくぐりキッチンへ入ってきた。
ひょこっっと顔だけをキッチンに突っ込む神羽。
「ま、自分も多少は知ってるんですけど
今や梨入須(ないず)のほうが詳しいので、あとは梨入須に聞いてください」
と夏芽に言う神羽。
「あ、はい」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
神羽は顔を引っ込めた、かと思えば、また顔をキッチンに入れて
「あ、梨入須びっくりするほど人見知りなんで、大目に見てあげてください」
と微かに笑う。
「余計なこと言うな」
と呟く。それだけ言うと暖簾を揺らして顔を引っ込めた。
「…」
「…」
キッチンが静寂に包まれる。
「あ、よろしくお願いします」
静寂を破ったのは夏芽だった。雪姫に向かって頭を下げる。
「あ、…よろしく…お願いします…」
消え入りそうな声で言う雪姫。
「…」
「…」
再び訪れる静寂。
「大丈夫っすかねぇ〜…」
あまり不安には思っていないが、少し心配して名論永に言う神羽。
「キッチン?」
「そっす。梨入須の人見知り具合、めろさんも知ってるでしょ?」
「まあ…そうですねぇ〜…」
〜
それは名論永が「天神鳥の羽」で働き始め、しばらく経った後
「今日から入ってもらう梨入須さんです!あ、こちらめろさん」
雪姫が従業員の一員に入ってきた。
「あ、よろしくお願いします」
「よろしく…お願いします…」
消え入りそうな声で挨拶する雪姫。
「梨入須さん料理が得意ってことでキッチンに入ってもらうんで」
「なるほど。自分はどうしたらいいですか?」
当時キッチンを担当していた名論永が神羽に聞く。
「めろさんはキッチンが忙しいときはキッチンの手伝いで、基本的にはホールの自分の手伝いをお願いします」
「わかりました」
「んで今や自分よりめろさんのほうがキッチン詳しいんで
めろさん、最初のほうはいろいろ教えてあげてください」
「あ、はい。わかりました」
ということでキッチンへ行き、キッチンについて、そしてお通しやメニューの説明をした。
説明を受けているときも雪姫は頷くだけ。コミュニケーションが取れている感じがしない。
ただこのときの名論永は黒髪無精髭で、名論永も人見知りまでではないものの
コミュニケーションをあまりしようとしていなかったので、静寂も、声のない返事も気になりはしなかった。
〜
「しばらくして打ち解けてくれて、結構話してくれるようになりましたけど、それまでは…。
でも自分もあんま話すタイプではなかったから」
「たしかに。そっか。なんか今のめろさんに慣れちゃってたけど、くそ陰キャおっさんって感じでしたもんね」
と笑顔で言い放つ神羽。
くそ陰キャ+おっさん
という言葉が、放たれた槍の如く心に突き刺さる名論永。
「お、おっさんって…オレまだ20代…」
「あぁ、年齢とかじゃなくて。オレ年齢でおっさんとかおばさんとか言わないっすもん。
見た目?黒髪ロン毛で無精髭で、なんか見た目に気を使わない感じ?」
「あぁ…たしかに…。見た目にはまったく気は使ってなかった…」
「30代40代、なんなら50代でも“お兄さん”って感じの若々しい人もいれば
10代でも“おっさん”って感じの人もいるじゃないですか」
「…たしかに?10代で“おっさん”って感じの人?」
「いるいる!いますよ!現にオレが高校のときもいましたもん。
うわぁ〜おっさん臭ぇ〜ってやつ。今はなんか垢抜けてますけど」
「友達?」
「はい!親友っす」
「めっちゃ意外。そんな、いや、知らないけど、地味な子?と仲良くしてるなんて」
「あぁ〜…。自分、先輩の漆慕くんとかバカ(銀同馬)とかと仲良くしてもらってたんで
オレと同じような陽キャ的なやつからはちょっと怖がられてて。
でバリバリ陽キャ!って感じじゃないやつと仲良くしてたんですよ。
ま、そのおっさん臭かったやつは今マジシャンになっててカッコよくなったんですけど
もう1人は教師で、当時よりげっそりしてますね」
「マジシャン!へぇ〜。すごい職業。マジックで食べていけるってよっぽどスゴいんだね」
「まあぁ〜…。たしかに高校んときからマジックやっててすごかったっすけど…
マジックバーでマジシャンしてるんで、Theマジシャンかって言われると…って感じっすね」
「そうなんだ。でもスゴいよ。
人前でマジックしてお金もらってるんだからそう差はないんじゃない?わかんないけど」
「たしかに。あいつ、いつの間にそんなスゴいやつに。いや、スゴいけど…。
あれ?てかオレの周り、ろくなやついねぇな…」
と腕を組み考える神羽。
「いや、マジシャンも立派だし、もう1人の人は先生なんでしょ?2人とも立派じゃない」
「立派は立派っすけど、マジックバーでマジシャンすよ?普通じゃないっすって。
教師やってるやつも、LIMEしても「忙しいー忙しいー」で。自分らの母校で数学教師してるんですけど。
いや、やっぱろくでもないっすね。ろくでもないってか普通じゃないです。…」
目を瞑り考え、はっ!っと目を見開く神羽。
「オレが一番まともなのでは!?」
と言う。名論永は笑顔で見守っていたが
居酒屋経営は置いといて、金髪でピアスにタトゥーの社会人は充分普通じゃないよ
と思っていた。賑やかなホールの一方、キッチンでは無言でキャベツを刻む2人。
ホールの神羽が暖簾から顔を出して
「店開けちゃうけどぉ〜…」
と言うが、キッチンのあまりの静かさに
「あぁ、2人いるよね?びっくりしたぁ〜」
と驚いていた。
「あ、私は大丈夫です!」
と言う夏芽となにも言わず頷く雪姫。なにも言わず口を尖らせて
「んー。りょーかーい」
と顔を引っ込める神羽。ホールにいる名論永に向かって
全然喋ってない。地獄みたいなキッチンだでしたわ
と表情と身振り手振りで表現する神羽。
名論永は伝わってはいなかったが、喋ってないんだなというのだけは伝わって
あぁ〜…
という顔をして頷く。そして2人で外に暖簾をかけたり、提灯や看板の灯りをつけて、開店させた。
いつも通り、開店してすぐにはお客さんは来なかったが徐々にお客さんが来始める。
神羽が笑顔で迎え入れ、テーブル席に座ったので名論永がおしぼりを持っていく。
神羽はキッチンに手を突っ込んで壁をノックしてから人差し指と中指を立てる。
それを見た雪姫はボウル状の小皿を出して
切ったキャベツを入れドレッシングを回しかける。それを2つ作る。
そしてそのお皿を両手に持って、キッチンから手だけをカウンター内に出し、お皿で神羽の腰辺りを突く。
神羽が気づいてお皿を受け取る。雪姫は戻って
「こんな…感じです…」
と夏芽に聞こえるか聞こえないか程度の声量で、呟くように言う。
「あ、はい!わかりました!」
料理の注文が入る。メニューが注文された場合は注文された料理やお酒などを書き込む紙があり
それはテーブルごとに分かれていて、その紙に注文された料理を書いて
神羽か名論永がキッチンに顔を入れて料理名を伝える。それを聞いて作り始める。
作ったらお通しのときのように、お皿で神羽の腰辺りをつつく。
それに気づいた神羽が料理の入ったお皿を受け取り
注文を書いた紙の料理名の隣にチェックを入れてからお客さんに出す。
なにも言わずに淡々と注文の入った料理を作る雪姫。
夏芽はどうしたらいいかわからず、ただ黙って成り行きを見守る。
パパッっと料理を作り、神羽の腰辺りを突く。神羽がお皿を受け取り雪姫が戻ってくる。
「お通しと、だいたい…同じです」
と夏芽に聞こえるか聞こえないかの声量で、呟くように言う雪姫。
「はい!」
元気のいい返事がキッチンに響き渡るように再び静寂に包まれるキッチン。
ホール側では徐々にお客さんが増え始め、賑やかになってきた。
お酒を飲みに来ているお客さんがほとんどだが、お酒のお供として料理も頼む。
すると必然的にキッチンは忙しくなる。
「あ、私ペペロンチーノやります!」
「だ、大丈夫ですか?」
「はい!ペペロンチーノくらいなら」
「(小)なので、パスタケースの小って書いてあるほうで麺出してもらえば」
「わかりました!」
という感じで
「私○○やります!」
と夏芽が言って雪姫がだいたいのやり方を口頭で教えてという風に
注文が多くなってからは手分けして作った。
12時、0時、はたまた24時を回るとお客さんはだんだんと帰っていく。
そして12時、0時、はたまた24時を回ると来るお客さんも少なくなる。なので落ち着いたところで
「お2人さぁ〜ん。なにがいい?」
と神羽が暖簾から顔を出し、キッチンの2人に聞く。
「私は梅酒サワー」
「あ、じゃあ私も同じのをお願いします」
「はいよー!梅酒サワー2!」
と笑顔で言いながらカウンター内へ戻っていく神羽。
「手際いいですね!さすがです!」
と夏芽が雪姫に言う。
「ま…毎日ですので…」
「そうですよね!失礼なこといってすいません!」
「いや…別に…」
再び沈黙になりかけるが
「褒めていただいて、ありがとう、ございます…」
と雪姫が言った。夏芽は少し嬉しくなり
「い、いえ!」
といつもより元気の良い声が出た。
「あ、すいません、うるさくして」
「梅酒サワーのお姫様!」
神羽が梅酒サワーを片手に暖簾から顔を出す。そして2人に向かって手招きする。
雪姫も夏芽も暖簾を潜り、カウンター内で
「んじゃ、一旦お疲れ様ということで…。かんぱーい!」
「「「乾杯」」」
と乾杯した。乾杯してすぐキッチンへ戻る雪姫。
「どうです?キッチン」
神羽が夏芽に聞く。
「あ、まだちょっとテンパります」
「ま、そうですよねぇ〜」
と神羽と夏芽が話す中、名論永はキッチンに入る。
「あ、めろさん。どうかしたんですか?」
「まかないでも食べようかなって」
「言ってくれれば作りますよ?」
「お。じゃあネギ半チャー(ネギ半チャーハン)を、お願いします」
「チャーハンっすか?暑くなるからイヤだなぁ〜…」
と言いつつも作ってくれる雪姫。
「へいお待ち」
「ありがとう」
レンゲで掬って食べる。
「うん。美味しいです」
「そりゃそっす。私が作ったんですから」
クスッっと笑う名論永。
「なんすか」
「いや、出会ったときが嘘みたいだなって」
「出会ったとき?なぜに今?」
「いや、店長と話しててね。梨入須さんの人見知りの件について」
「なにについて話してんすか?」
威圧するような視線で名論永を見る雪姫。
「い、いや、金城崩さんと全然話してないみたいな話をしてて、オレと初めて会ったときもそうでしたよって」
「あぁ〜…。そうでしたっけ?」
「そうでしたよ?」
「もう覚えてないっすね」
「金城崩さんのことは、…苦手?」
雪姫は斜め上を見ながら顔を歪める。
「苦手ぇ〜…では。ないんじゃ…ないですか…ね…」
「すごいね。すっごい探り探りな言い方だったね」
「いや正直わかんないっす。まだ3回目くらいですし、面と向かって話したの今日が初めてですし」
「まあ…そうか。でも面と向かって話してはないでしょ」
「んん〜。おたま投げますよ?」
と笑顔でおたまを片手に言う雪姫に
「すみませんでした」
即座に謝罪する名論永。
「ま、ちゃんとした子であることは間違いないですね。
ちゃんと敬語だし、仕事ちゃんと来るし、仕事ちゃんとやるし、元気良いし」
「たしかに」
「でも私陰キャなんで基本的に陽キャが苦手なんで」
「え…。店長は?」
「あぁ…。あの人も陽キャに入るんですか?」
衝撃発言の雪姫。
「え…。逆に陰キャではないでしょ」
「…。ま、そうか…」
「とりあえず話してみたら?表面上だけだと好き嫌いわかんないでしょ」
「…まあ…たしかに…。でもなに話したらいいかわかんないんすよ」
「今オレとこんな話してるのに?」
「…そういえばそうですね」
「なんでもない話を自然体で話せばいいんじゃない?今オレと喋ってるときなんも考えてないでしょ?」
「ん?バカにしてんすか?」
と笑顔の雪姫。
「違う違う!考えず話してるの…言ってること同じか。
オレは嬉しいのよ。これ言ったら相手嫌と思うかなぁ〜とか
これ言っとけば大抵の人喜ぶだろとか思わず話してくれてるのが、なんか友達みたいだなぁ〜って。
…ま、年齢的にはだいぶ離れておりますが…」
と自分で言っててズーンと落ち込む名論永。
「ま、友達…うん。友達感もあるしお兄ちゃん感もある
友達みたいなお兄ちゃんって感じですかね?てか友達に年齢関係なくないっすか?」
と平然と言う雪姫に、嬉しさもあったが、クスッっとおかしくて笑う。
「なっ、なんで笑うんすか」
「いや、すごい嬉しかったけど、年齢関係ないっていうの、店長も言ってたから」
と言うと雪姫が顔を赤くして
「…こ…凍ったさ、刺身の柵(さく)、な、投げますよ」
と言った。
「そ、それは割と本気で命の危険があるからやめて」
という感じで閉店時間まで仕事をして電気を消して外に出る。
「金城崩さんにはキッチン慣れてもらって、基本的にはキッチンお願いしようかなって考えてるんで」
と神羽が言う。
「はい!わかりました!」
「マジか…」
と呟く雪姫。
「んじゃ、めろさん、金城崩さん、お疲れ様でした!」
「お疲れ様でした!」
「お疲れ様でした。梨入須さんもお疲れ様でした」
と名論永が言うと、雪姫は意を決めて少し緊張しながら
「お、お疲れ様でした。…か、金城崩、さんも…」
とデクレッシェンド気味に言った。それが聞こえた夏芽は嬉しくて
「はい!お疲れ様です!梨入須さん!」
と大きな声が出た。
「金城崩さんシー!」
「金城崩さん!朝、まだ朝だし、なんならまだ朝にもなってないから」
と名論永と神羽が焦る。夏芽は自分の口に手をあてる。その3人の様子を見て雪姫はこっそりと笑った。
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