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もちぷよ
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#山中柔太郎
65
~佐野視点~
ベランダから冬の青空を見上げてから、さらに数週間。
俺たちの目標は、ついに「外へ出ること」へと移っていた。
休職期間の終わりは、もうそこまで迫っている。
「今日は、あのエントランスの自動ドアを出て、敷地内の小さな中庭まで歩いてみよう」
そう約束した当日の朝、柔太朗はいつになく無口だった。
俺のオーバーサイズの上着を着込んで、首元にマフラーを何重にも巻きつけたあいつの姿は、まるでこれから戦場に赴くかのように、ひどく強張っている。
玄関のドアを開け一歩外の共有廊下に出た瞬間、柔太朗の足がピタリと止まった。
「大丈夫、大丈夫だよ。俺がずっと前にいるから。怖くなったら、いつでも俺の背中に隠れていいから、な?」
俺は、あいつの冷え切った右手を、俺の左手でしっかりと握りしめた。
指と指を絡ませる、恋人繋ぎ。
それは俺の作った境界線を少しだけ踏み越えてしまう行為だったけれど、そうでもしないとあいつの身体が今にもバラバラに崩れてしまいそうだったから。
エレベーターが静かに1階へ下りていく。
チーン、と無機質な電子音が響き、エントランスの自動ドアが静かに開いた。
その向こうから流れ込んできたのは、部屋の中のものとは明らかに違う、生々しい都会の冷気と遠くの大通りを走る激しい車の騒音だった。
その瞬間、柔太朗の息がひゅっと止まった。
繋いだ手に痛いくらいの力がこもる。
「俺を見て。外の音なんか聞かなくていい。俺の声だけ、聞いてて」
俺はあいつの正面に回り込み、両手で震える肩を包み込んで、そう伝えた。
「……うん……っ」
小さく、喉の奥で掠れた返事。
ゆっくりと俺が後ろ向きに一歩、外のアスファルトへと足を踏み出す。
それに導かれるようにして、柔太朗のつま先がついにエントランスの境界線をまたいだ。
4ヶ月ぶりの、外の世界。
自動ドアから中庭のシンボルツリーまでは、距離にしてわずか十数メートル。
だけど俺たちにとっては、果てしなく遠く、険しい道のりだった。
柔太朗の足が激しく震えるたびに、俺は繋いだ手をさらに強く握り直した。
「……着いたよ、柔太朗」
大きな木の根元にたどり着いた時、柔太朗は肺にあるすべての空気を吐き出すようにして、その場にへたり込みそうになった。
俺はそれをしっかりと抱きとめる。
「できたじゃん…!!すごいよ、柔太朗! 外に、出られた!」
抱きしめた腕の中で、柔太朗の肩が微かに上下に揺れ始めた。
「……っ、う……、……」
それは恐怖を乗り越えて、もう一度自分の足で外の世界の空気を吸うことができた、柔太朗の本当の意味での「再生」の涙だった。
「佐野さん……。俺、外の風、ちゃんと冷たいって分かったよ…。
怖かったけど……でも、佐野さんがいてくれたから、大丈夫だった…」
俺の胸に顔を埋めたまま、子供のように声を上げて泣く柔太朗。
あの日、太智に言われた通り、彼を閉じ込める事をやめて本当に良かった。
「よく頑張った。本当に、すごいよ……っ」
俺はあいつの細い身体を強く抱きしめながら、冬の冷たい風の中で静かに涙を流した。
~吉田視点~
勇斗に拒絶され太智の優しさに甘えたあの日から、僕の日常もゆっくりと進んでいった。
傷つくと分かっていても、僕は今も変わらず、あの太陽みたいなあいつの姿を追い続けている。
「じんちゃん、今日の外勤、ちょっと遠出やから帰りに美味いもんでも食おうや」
隣を歩く太智が、いつもの軽い調子で僕の肩を小突く。
太智もまた、僕の重すぎる未練をすべて知った上で、僕のすぐ隣にいてくれた。
他愛のない会話をしながら、僕たちは外勤の帰り道、勇斗のマンションの近くを通りかかった。
何気なく視線を向けた、その時だった。
僕は思わず、自分の足をとめた。
マンションのエントランスから少し離れた小さな中庭。
その中央にある大きな木のふもとに、見間違うはずのない、あの背中があった。
……勇斗。
隣には見覚えのあるオーバーサイズのコートを着た線の細い男の姿。
勇斗はその男の手をぎゅっと握りしめている。
それは俺が十年間、どんなに欲しくても手に入らなかった、圧倒的な特別を孕んだ手の繋ぎ方だった。
勇斗は彼の正面に回り込むと、自分の身体で外の視界を遮るようにして優しくその肩を抱きしめた。
その瞬間の勇斗の横顔が、あまりにも優しくて、あまりにも必死で……。
あぁ、そうか。
俺は、胸の奥がキュッと締め付けられるような痛みを覚えながら、静かに悟った。
あいつは、ただ自分の欲望のままにあの人を囲っていたわけじゃないんだ。
傷つき、壊れてしまったあの人の心を、もう一度この世界へ連れ戻すために、あいつは自分の人生を止めて、ここで一緒に戦っていたんだ。
「……前、見たときより、進歩しとるな」
隣から、低くて静かな声がした。
振り返ると、太智が僕と同じように二人の姿をじっと見つめていた。
その瞳は、どこか安心したような温かい光を帯びていた。
「太智……お前、知ってたの?」
「まぁな。はやちゃんにちょっと、きついこと言うてもうたからさ。気になっててん」
太智はそう言うと、いつものちょっと意地悪な、だけど世界で一番優しい笑顔を僕に向けた。
「でもあいつら、ちゃんと前を向いて歩き始めとるわ。はやちゃんも必死に頑張ったんやろな。
……じんちゃんの好きな男は、やっぱりそれくらい真っ直ぐでかっこいいやつやないとあかんよ。
…なぁ?じんちゃん」
太智のその言葉に、胸の奥に澱んでいたドロドロとした嫉妬や惨めさが、すうっと綺麗な涙に変わっていくような気がした。
そうだ。
僕がずっと好きで好きで仕方がなかった佐野勇斗は、大切な人のために自分のすべてを投げ打てる、誰よりも真っ直ぐでかっこいい男なんだ。
あいつに選ばれなかったのは死ぬほど悔しくて、今でも胸の奥が千切れそうに痛むけれど。
でも、あの二人の必死な歩みを見ていたら、自分の10年の片想いすら、なんだか少しだけ誇らしく思えた。
「うん……。本当に、かっこいいよ、あいつは」
俺は溢れそうになる涙を必死に堪えて、小さく笑ってみせた。
二人の邪魔をしないように、僕はそっと背を向け歩き始める。
「よし、じゃあ帰ろか、じんちゃん。今日は僕の奢りで、美味い肉でも食いに行こうや!」
太智が僕の肩をがっしりと抱き寄せ、いつもの騒がしい調子で歩調を合わせる。
太智の掌の温もりを感じながら、僕はもう一度だけ、遠ざかっていくあの二人の背中に心の中で静かにエールを送った。
頑張れよ、勇斗。
ちゃんと、その人を幸せにしてやれよ。
冬の澄んだ青空の下、僕たちはそれぞれの愛を胸に、確かに自分の足で歩き出していた。
to be continued……
コメント
2件
どんどん感動できる展開になっていく🥹これからの進歩も気になる!!いつもありがとうございます😭