話は数時間前まで遡る。
青井が出勤の挨拶をすれば、おはよう~と同僚たちの声が返ってくる。だがその中につぼ浦の声はない。
今日はいつ起きるだろうか、そしてどんな爆発を見せてくれるのか。心を踊らせながら駐車場を歩く青井の目に、こんな場所には似つかわしくないものが飛び込んできた。
それは花束だった。丁寧にラッピングされたそれには「大切な人へ」というメッセージカードが差し込まれていた。
誰かが誰かに思いを伝えようとした名残だろうか。無線に問いかけようとして手を止める。
目の前には特殊刑事課のライオットがあった。憎めないあの後輩にたまには花を贈るというのも悪くない。ただ贈るだけでは面白くないし、困惑する姿を見てみたい。なんならキャップが見つけても面白い。何が起きてもコメディにするのが彼らの特技だ。
そんなちょっとの悪戯心だったのだ。
最初に花を吐いたのは、そんな悪戯を仕掛けてから備品の確認でもしようとしたときだった。血と見紛うほどの真っ赤な花が口からどろりとこぼれ落ち、鬼面の中で窒息するかと思った。
事態が飲み込めず花をゴミ箱に叩き込み、水道で顔を洗っていたところに署長の緊迫した無線が飛び込んできた。
その後の無線の騒動でつぼ浦が感染、発症したことを把握した。Twixにも警察からのお知らせという形で病の詳細の投稿があり、花に気をつけろと市民への注意喚起がなされていた。
大変なことにあの無垢な後輩を巻き込んだ。青井は自分がしたことの重さに気づき、気づけばヘリを出して空に逃げていた。
青井らだおはとっくの昔からつぼ浦匠に恋をしていた。
あのかんしゃく玉の塊が縦横無尽にその熱を吹き上げて走り回る姿は見ているだけで微笑ましく、できれば横で見ていたいと思った。
その微笑ましさが胸に焼け付く幸福になり、できればがずっとに変わり、別の誰かと親しげに話す姿を見るだけで心がざらつくようになり、確信を持った。
言語化できるものからできないもの、見せてもいいし見せるわけにはいけないもの、おおよそ恋と名の付くすべての感情がそこにはあった。
空は孤独で、上空から見下ろす街は妙に立体感がなく灰色に見えた。特にどこに行くでもなくヘリを駆りながらまた咳き込む。
出たのはまた同じ赤い花だった。調べれば名前はすぐに分かった。アネモネ、花言葉は「恋の苦しみ」。
やかましいわ、と青井は思った。花に代弁されるまでもない。そんなことは泣きたくなるほどわかっている。
だがこのままでは自分は死ぬのだ。そして、もしかするとつぼ浦も。
青井はつぼ浦の恋慕する相手がもしかしたら自分なのではないか?という薄い可能性に賭けた。それなら手っ取り早く二人とも救われる。
今までは見ているだけでも良かったが、なんとかして気持ちを引き寄せないといけない。本署の屋上に特徴的な鮮やかな服を着た男が見えた。青井は覚悟を決めて、ヘリから降りた。
だがどうしたらいいのかは青井にもわからない。いつものように好きが余って殴りつけるほうが楽ですらあった。一方通行であるほど感情はぶつけやすい。相手が自分をどう思っているのか、それをどう探ればいいのかわからなかった。
とりあえず隣に座り、どれくらいスキンシップがいけるのかを見ることにした。
間接キス嫌がらないか?ーー嫌がらない。
スプーンから食べるか?ーー食べる。
さあどうしよう。
思ったよりすんなりとパーソナルスペースに入り込めて青井は困惑する。他の人にもこうなのか?自分が特別だと思うのはうぬぼれか?そもそもいつもこうだったか?今までどうやって横にいたのかが思い出せない。
唇についたクリームを舐める姿が扇情的で困る。ここでいきなり首を掴んでキスをしたら逃げてしまうだろうか。いや、もしかしたらつぼ浦なら、自分のことを、
「もしかしてアオセンって俺のこと好きですか?」
凶暴さを剥き出そうとしていた青井の思考はつぼ浦のその言葉で遮られた。
つぼ浦は勘のいい男だ。謎解きはもちろん、人の感情の機微だってよく読む。その第六感で青井の下心を嗅ぎ取ったのかもしれない。
そこからはずるずると話が進み、よりにもよってつぼ浦のあまりにも簡素な言葉で二人は付き合うこととなった。
(やらかした)
青井は一人、ため息を付く。
結局のところ、つぼ浦が青井を好いているのかどうかは青井にはわからなかった。もしそれがわかれば「俺も好きだよ」の一言で話は終わったのに。
ところがつぼ浦はその野生の勘で、青井の中にあったつぼ浦の方を向いている恋の矢印を暴いてしまった。
恋愛は先攻有利。先に一歩踏み込んだほうが圧倒的に強い。青井はぶつけることのできなくなった巨大な矢印を抱え込むしかなくなった。
「アオセン、身体大丈夫っすか?なんか発症したばっかなのにすごいたくさん吐いてましたよね」
先ほど二人して吐瀉した花を拾ってビニール袋に入れながらつぼ浦が言う。
「ホントにねぇ」
お前より先に発症してるんだよな、とは言えなかった。つぼ浦はこういうのももらいゲロってあるんだななどといいながら風で逃げる花びらを走って捕まえている。それを手伝っても良かったが、肉体的な疲労感と精神的な徒労感で青井は座ったまま子犬のように花びらを追いかけるつぼ浦を眺めていた。
(どうせ告白するなら俺からしたかったな、軽いんだよ)
一世一代のイベントが「帰りに卵買ってきて」程度の薄さで。だがそれもそれで彼らしいと納得してしまうのは惚れた弱みか。
本当のことを言っても良かった。だが青井が最も恐れていたのは「つぼ浦は本当は青井を好きなわけではないのではないか?」ということだった。
つぼ浦は青井の中にある恋の質量を知らない。その矢印がどんな色で、どれほどの感情を背負い自分を向いているかを知らない。
この矢印を激情のままにぶつけたら優しいつぼ浦は受け入れてしまうかもしれない。つぼ浦を永遠に自分のものにできるかもしれない。
だがそれは、青井にとって最も望ましくない結末だった。
「……俺はさあ、つぼ浦が好きな人とちゃんと幸せに生きれたらいいと思うよ」
「おじいちゃんみたいなこといいますね」
飲み終わったカップを投げつける。避けるつぼ浦。
「あ!ポイ捨てはいけないぜアオセン。いくらコイビトでも見逃せねぇなあ」
付き合って初の「恋人」という言葉。なんでそれもお前が先に言うんだよ、恋愛童貞つぼ浦くんが顔赤くするところじゃないのか。青井は腹が立ってきた。
「本当に、困ったな」
付き合うと言われ、恋人と言われ、それは夢にまで見るほどの嬉しい言葉だった。
だがそれに応報する言葉を青井は持たない。いくつもの凶暴な妄想が去来する。不用意に口を開けば、この嵐のような恋がきっとつぼ浦を飲み込んでしまうだろう。
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