放課後の喧騒が少し落ち着いた頃、図書室の片隅でさらなる衝撃が走った。風太郎が英語のプリントを配り終えたとき、雄大は羽ペンを取り出すような優雅な仕草で、すらすらと解答を書き込み始めた。その速度は、風太郎ですら目を見張るものだった。
「……できたわ。上杉さん、確認してくださる?」
風太郎が覗き込むと、そこには完璧な英文だけでなく、余白に流麗なギリシャ語と、見たこともない神聖文字(ヒエログリフ)の注釈が添えられていた。
「おい村雨……。お前、英語だけじゃないのか? この異様な語学力は何だ」
風太郎の驚愕に、雄大は扇を閉じ、事も無げに答える。
「クレオパトラは、通訳を介さずにエチオピア人、ヘブライ人、アラブ人、シリア人、メディア人、パルティア人と会話したと伝えられています。その彼女を体現する私が、数ヶ国語程度で躓くわけにはいかないでしょう?」
その言葉通り、彼は図書室にいた留学生からの問いかけに、滑らかなヘブライ語で答え、次に通りかかった教師には完璧なラテン語で挨拶を返してみせた。
「……すごすぎる。もはや転校生の域を超えてるよ」
一花が呆れたように、けれど感心しきった声を出す。
三玖は、その多言語を操る雄大の唇をじっと見つめていた。
「……戦国時代の外交も、言葉が大事だった。……村雨君、私にも、その……古の言葉、教えてもらえる?」
「ええ、三玖さん。貴方の静謐な美しさには、コプト語の響きが似合うかもしれませんね」
雄大が三玖の耳元で、砂漠の夜風のような低い声で異国の言葉を囁くと、三玖の顔は一瞬でリンゴのように赤くなった。
二乃は、雄大が書いたアラビア文字のカリグラフィーを見て、思わず身を乗り出した。
「何これ、デザインとして完璧じゃない……! これ、私のネイルの図案にしていいかしら?」
「もちろんです、二乃さん。これは『永遠の美』を意味する言葉ですよ」
二乃は「……悪くないわね」と強がりながらも、雄大の圧倒的な「教養」という名の武器に、完全にペースを乱されている。
四葉は「わー! 呪文みたいです!」とはしゃぎ、五月は「語学力まで完璧だなんて、教育者として見逃せません……!」と、なぜか対抗心を燃やして辞書を引き始めた。
しかし、最も影響を受けたのは風太郎だった。
「……村雨。お前、そんなに話せるなら、こいつらの家庭教師、俺より向いてるんじゃないか?」
自嘲気味に笑う風太郎に、雄大は黄金の装飾を揺らして歩み寄り、至近距離でその瞳を覗き込んだ。
「上杉さん。言葉とは、単なる伝達手段ではありません。相手の心を支配し、国を動かすための『愛の道具』でもあるのです」
雄大の長い指先が、風太郎が持っていた赤ペンに触れる。
「私は教えません。導くだけです。……貴方が彼女たちの心を繋ぎ止める言葉を探すように、私も私の言葉で、この学校を私の『帝国』にしてみせます」
その宣言は、もはや一人生徒のセリフではなかった。
九つの言語を操り、誰とでもその心に直接届く言葉で語りかける雄大は、美貌だけでなく、その「知性」によって五つ子たちの日常を完全に掌握し始めていた。
「さて。次はどの国の言葉で、皆様を虜にしましょうか?」
夕暮れの図書室、黄金色に照らされた雄大の微笑みは、古代の女王がそうしたように、旭高校という小さな世界を鮮やかに塗り替えていくのだった。






