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あれよあれよという間にライブの時間は終わった。
客席にいた観客が全員いなくなると、ステージへもう一度戻る。達成感を味わうため、らしい。
空っぽになった横浜アリーナを背に、6人はハイタッチを交わした。
ジェシー「よーし終わりー! ああやっと全公演終わったよー!」
高地「お疲れ~。今日は帰ってゆっくり休もう」
慎太郎「俺明日も仕事なんだよー……」
樹「それはお疲れ様…。マジで疲れたな」
大我「早くベッドに入って$#%&\@…」
北斗「なんて⁉ 早くお家帰って寝ないとね」
それぞれ膝に手をついたり、しゃがんだりして疲れた様子だ。
ジェシー「喉乾いたね、水飲みたい」
北斗「戻るか」
みんなが舞台袖へ戻る。しゃがんでいた樹も立ち上がり、歩き出す。
が、数歩歩いたその直後、視界がぐらりと揺れた。
樹の身体が左にゆらりと流れる。
その先には、歩いていたステージの床も、受け止めるメンバーの腕もなかった。
あるのは、ステージ下の客席の床だった。
「ドタンッ!」
突然の大きな物音に、5人は驚いて振り返った。
ジェシー「うおっ、なに? なんの音?」
大我「なんか落ちた? 倒れた?」
慎太郎「裏かな? でもステージから聞こえたよ」
北斗「あれ、樹は? もう行った?」
高地「いや、見てない。じゃあ、まさか――」
5人は顔を見合わせ、言い終わるや否や、音のした方へと駆け出していく。
北斗「ああ!! 樹⁉ ちょ、下りるわ」
大我「おい嘘だろ⁉ え、北斗大丈夫?」
みんなは下であお向けに倒れている樹を見つけた。慌てながらも慎重に飛び降りる。
ジェシー「樹! 樹⁉ スタッフさん呼ぼう、誰か!」
高地「樹? 聞こえる⁉ おい、しっかりしろ!」
慎太郎「水こぼれてる…なんで、どうしよう、救急車?」
5人の悲鳴のような叫び声を聞きつけ、何人かのスタッフが現れた。
「えちょっと、どうされました……あっ‼」
スタッフも事の重大さに気付き、慌てふためく。内の一人が冷静に救急車を要請した。
と、ジェシーの名前を呼ぶ声に反応し、樹の目が薄く開いた。
ジェシー「あっ樹⁉ 目覚めた!」
北斗「大丈夫? わかる?」
呼びかけるが、ぼんやりとしている。
大我「わかってないな…」
しばらくすると、救急隊員が会場に到着した。
「大丈夫ですか、今診ますね」と言い、身体を触診し始めた。
と、脇の下あたりを触られた樹が、顔を思い切りしかめた。「うっ」
隊員「あっ……肋骨か…。脚触りますよ」
脚を触られるが、今度は無表情だ。
隊員「痛いですか?」
樹は僅かに首を傾ける。救急隊員は怪訝そうな顔をした。「…えっと、触られてるのは、わかりますか」
樹はゆっくりと首を横に振った。「え」
「脊髄…」
救急隊員は、深刻な表情で、そうつぶやいた。
その後、救急センターでは……。
救急隊員「田中樹さん26歳男性。仕事中に高所から落下し、JCS20です。肋骨骨折しており、脊髄損傷の疑いがあります」
医師「ライン取って、酸素10Lで!」
その様子を、一緒に来た高地と北斗が外から見ている。
高地「なんか頭に…四角い固定具みたいなの付けてるよ…?」
北斗「…ほんとだ。高いところから落ちたから、首を守るためじゃない? っていうかさ、肋骨骨折って聞こえたんだけど……」
高地「言ってたよな。脊髄損傷の疑いって……?」
北斗「え…、わかんない、どうしよう、大丈夫だよね? 樹、死んじゃわないよね?」
北斗は高地の手首を掴んで、身体を寄せる。「怖い…」
高地「きっと……大丈夫なはず」
高地は震える北斗の手を、握り返した。
と、こんな看護師の声も聞こえてきた。「バイタル、血圧65の83です!」
医師「低い…。低血圧で倒れたのかな…。ネオシネジンお願い!」
北斗「え、低血圧? じゃあ、ライブの前に目を押さえてちょっと苦しそうにしてたのは、めまいがしてたってこと? 立ちくらみ…?」
高地「あ……。そうかも。嘘だ…疲れてたんだ、きっと。声掛けられなかった…」
高地は悔しそうに顔を歪めた。
樹はレントゲンを撮ったり、医師に話を聞かれたりした。
検査結果が出るまで入院で、多分それからもしばらく退院は出来ないと告げられた。
車いすに乗せられ、個室の病室に案内されると、ベッドへ移った。
横になり、病院に運ばれてから初めてゆっくり息を吐いた。だが、腰と胸にコルセットを付けているため、息がしづらい。時折、胸がズキッと痛む。それはなぜかを医師に尋ねたところ、「骨が折れてるかもしれない」と言われた。
真っ白な天井をぼんやりと見つめる。さっき、ライブが終わったばかりなのに今はなぜか病室にいる。
どうしてここへ来たのか。何があったのか。全然意味も分からない。みんなもいないし、家にも帰れない。ライブの片付けをしていないから、スタッフさんに迷惑が掛かってしまう…。心配が尽きなかった。
ふと横のテーブルを見ると、ライブの最後で着ていた衣装が置いてある。きれいに畳まれていた。
自分の身体を見下ろすと、パジャマのような入院着が着せられていた。衣装に手を伸ばすと、背中に鋭い痛みが走った。
「ううっ!!」
思わず声を上げる。
「肋骨が折れてるって…。俺、どうなるの…?」
樹は手を太ももに当て、つねってみる。
しかし、手で触る感触も、つねったときの痛みも感じなかった。動かそうとしても、自分の足ではないみたいに全く動かなかった。
「脊髄も折れてると思うって言ってたよな…。足動かないし…。もう無理なのかな…」
希望でいっぱいだったはずのライブの時間から一転し、不安で押しつぶされそうな夜を、病室のベッドの上、独りで過ごした。
いたたまれなくなって、メンバーに電話を掛けた。その相手は、北斗だった。
北斗「もしもし、樹? 大丈夫?」
すぐに応答があり、あからさまに焦った北斗の声が聞こえてくる。
樹「…………」
北斗「樹? ちょっと! 聞こえてる?」
樹「……大丈夫なわけ…ねーよ…」
自分でもしまったと思うくらい、声が震えた。
北斗の息をのむ音が電話越しに聞こえた。
北斗「…そうだよな。大丈夫じゃないよな。多分まだ検査結果出てないだろ? 明日?」
樹「うん。……北斗、高地と一緒に付き添いで来てくれたんだろ? ありがとう」
北斗「なんだよ急に。いいよ、そんぐらい。ホントに心配したんだからな? こっちのほうが心臓バクバクで、心拍止まりそうだった」
樹「…そう…。それでさ、俺に…ライブ終わった直後、なにがあった? どうなってたの? なんかさ、視界がすごいグラッって揺れて、下に落ちたかもっていうのは覚えてるんだけど」
北斗「うん。えーっと、樹がステージのふちでしゃがんでて、立ったときに立ちくらみを起こして、下にそのまま落ちたんだろうな。その瞬間は俺らは見てなかった。で、『ドタンッ』っていうおっきな音がして振り返ったら、樹がいなかったわけ。出て行ってもないから、慌てて見に行ったら、下で倒れてた。そのあと救急車が来るまでに、目覚ましたんだけど、意識がもうろうとしてた感じだった。で、救急隊の人にちょっと診てもらったら、腰触った時にめっちゃ痛そうにしてたよ、樹。…あ、それで今どんな感じ? まだ痛い?」
樹「痛い。結構痛い。なんか、コルセット付けてもらったんだけど、動きづらいし」
北斗「……足は?」
樹「………動かない。感覚もない。どうしよう、なんで? だからさ、怖いの…。助けてよ…北斗…。怖い…」
いつになく弱気な樹の声に、北斗は戸惑った。
「…大丈夫。俺が、いや俺らがいるから。俺は医者じゃないから…お前を助けることはできないけど…みんなそばにいるから。ずっと。安心しな」
樹「うん…ありがとう。もう寝れそう。じゃあね」
電話を切る。いくらか、不安な気持ちは和らいだ気がした。
樹の病室には、医師が来ていた。説明があると聞かされていたのだ。
ベッドの横に座った医師は、おもむろに口を開いた。
「検査結果が出ました。こちらがレントゲン写真です。見ると…ここが肋骨なんですが、背中側の肋骨が1本折れています。そして、背中のあたりの脊椎、言い換えると背骨ですね…ここも、折れてます。そして、脊髄、専門的にいうと胸髄と呼ばれる部位が、損傷している状態です。MRI画像でも、脊髄の同じ場所が損傷しているのがわかります。原因は、落下時に背中を強打したことでしょう」
一息ついてから続ける。
「診断名は、肋骨、脊椎骨折と、脊髄損傷のレベルT11です。T11というのは、損傷した部分のことです」
と言い、胸の下あたりを手で示した。
一方、樹は無言で医師を見つめていた。
『ロッコツコッセツ。セキズイソンショウ』
言われた言葉が、外国語のように理解できず、カタカナになっているみたいだ。なにを言っているかが、さっぱりわからない。
言葉を失った樹を心配してか、声を掛けてくれた。「……大丈夫ですか?」
樹「あ…はい…」
医師「逆に、肋骨一本と背骨が折れているだけで済んだのがすごいくらいですよ。当たり所が悪かったら、もしかすると命はなかったかもしれません」
樹「え……」
医師「症状は、この部位だと…下半身麻痺になります。へそから下が動かない状態です。なので、リハビリ次第ですが…一生車いすになると思います」
今度は頭の中を⁉が支配した。体中に稲妻が走ったような衝撃だった。
――一生車いす。つまり、一生歩けない――。
ありえない事実に、ただただ言葉を失うばかりだった。
「し、仕事はできるんですか…?」
辛うじて、その言葉を絞り出した。
医師「今の状態と、田中さんの職業柄を考えると、ある程度リハビリをして、動けるようにならないと…無理でしょう。私には田中さんのご職業のことはあまりわかりませんが、とりあえず、今は回復することが前提です。しっかり静養して、それから簡単なリハビリから始めましょう」
樹「はい…」
自分の脳の中がぐちゃぐちゃになっているのが自分でもわかった。
どう整理していいかがわからない。仕事はゼロになるし、入院となったらさらに費用がかかる。メンバーや家族にも迷惑をかけてしまうのに、なにもできないなんて。どうして、あのときスタッフさんに体調のことを伝えなかったんだろう。ちょっとぐらいなら時間の延長だってできたはず…。でも、樹のプロフェッショナル精神が、その行動を制御していた。
絶対にライブだけはやる。そう思ってやり切ったのに。
医師が退室し、一人になる。
長く、ため息を吐いた。どうして、なんで、自分が。せめて、ライブの後じゃなくてもいいじゃないか。あんなに頑張ったのに。やるせない後悔の念が押し寄せてくる。
樹は、マットレスを拳で何度も叩いた。背中が痛むのも気にせずに。
やがて、大粒の涙が零れ落ちた。もう嫌だ、なにもかも。もう辞めようか。こんな身体でできるはずがない。そうとまで思い至った。
涙がとめどなく溢れてくる。これから、どうしたらいいんだ。どうすれば、元の自分に戻れるんだ。
いくら考えても、答えは見つからない。
樹は泣き疲れて、いつの間にか眠ってしまった。
翌日、メンバー5人は病院にお見舞いに行くことにした。
仕事がある人もいたが、無理を言って時間を変えてもらっていた。
受付にいる看護師に旨を伝えると、しばらくお待ちください、と言われた。電話で二言三言話したあと、こちらを向いた。
「すみませんが、田中さんは体調が悪いそうで…。面会は拒否されているので、また今度お願いします」
大我「えっ」
北斗「あの…、僕ら、同じグループのメンバーなんですが、ダメそうですか」
看護師「誰がいらっしゃったかもお伝えしましたが、会いたくないです、とおっしゃいました」
北斗「……はい、わかりました。ありがとうございます」
みんなは衝撃を受けた。自分たちなのに、拒絶されるなんて。
でも、わからなくもない。みんなは高地と北斗の2人から聞いていた。肋骨骨折、脊髄損傷かも、と言っていた。しかし、詳しい検査結果はまだ聞いていなかった。
ジェシー「嘘だろ…。俺らでもダメだって…そんな…」
慎太郎「でも、そりゃそうだよね。一番ショックを受けてるのは、本人だろうし」
高地「今日はやめとくか。またメールして、本人が会いたくなったら行こう」
大我「そうだね。…北斗、大丈夫?」
北斗は、下を向いて唇を噛んでいた。
北斗「樹さ…、運ばれた夜、俺に電話してきたんだよね」
え、と揃って口にする。
「…倒れたときの様子とか訊いたり、足が動かなくて怖いって言ってた。もう、俺でも聞いたことないくらい声が震えて、弱くて。びっくりした。…大丈夫だよって言ったら、ちょっと安心したっぽいけど、多分相当辛いんだと思う。だって、あの繊細すぎる樹だよ。他人のためなら自分だって犠牲にしちゃうし、本心も隠しちゃうから。なのに、心はすごい繊細で。耐えれるわけないよね…」
北斗のみならず、5人は知っていた。自分がわざと犠牲になり、みんなに迷惑はかけまいと明るく振る舞う。それで、自分一人で苦痛を抱えて傷ついてしまう。
これまでも、何回かそんなことがあった。その度に、メンバーが手を差し伸べてきた。
でも、今回は、その差し伸べる手を振りほどいたのだ。みんなはなす術もなく、途方に暮れて帰った。
ジェシー「俺ら、どうすればいいんだろう…これから」
その問いには、誰も答えられなかった。
――樹も、その答えは見い出せないままだった。
続く