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「おはよう。 久しぶりだな、 折原!」
夏休み明けの騒がしい教室で、大野は久しぶりに会う少年に声をかけた。
「おはよう。にしても焼けたなぁ、大野!」
「まあな。毎日公園で遊んで、あとは海水浴に行ったらこの通りだ。」
振り返った折原の驚いた声に大野は肩をすくめる。
日によって学区内の公園を行き来しては鬼ごっこや設置された遊具で遊んだ日々は、ただ一つサッカーをはじめとしたボールの使用が禁止されている以外はほとんど満足だった。
おかげさまで真っ黒にはならなかったが、今までは強く言われた時にしかつけなかった日焼け止めの効果が今年はなんとなくわかった気がする。
大野が教室をぐるっと見渡すと、自分よりも遥かに肌が焼けたクラスメイトが何人か目に入った。
俺もどうせなら山登りじゃなくて海に行きたかったな、ともらす折原に再び目をやると、こちらは夏休み前と姿がほとんど変わらない様子に大野は首を傾げた。
運動部の日焼けがとりわけ目立つというだけでみんな何かしらの変化があるというのに、一人だけここまで変わらないことがあるのだろうか。
「まあ俺はばあちゃんちに行ったのと山登りぐらいしかほとんど外出てないからな。」
あとは塾?と続ける折原に、そういうことかと大野は納得したように頷く。
行き帰りの過程を含めて日にあたる機会が少なかったから総じて日焼けしなかったのだろうというのが彼の持論だった。
「すごいな、夏休みまで塾なんて。」
「俺は中学受験するからな。そうじゃない塾もあるけど、大野は行かないのか?」
夏期講習にだけでも参加した生徒はクラスでも増えたようだと話す折原に、長い夏休みを思い返した大野は一時的に付き合いが悪くなった奴が何人かいたのを改めて思い出した。
「まあ今はいいかな。」
大野がそう言って笑うと、新たに教室に入ってきたクラスメイトの山川に声をかけられた二人は「おはよう」と挨拶を返した。
「山川も焼けたなぁ!」
「夏休みはずっと部活だったからさ。二人は全然変わらないね。」
「まあお前に比べたらなぁ……。」
「山川が基準ならみんな美白になっちまうよ!」
「たしかに、それもそうだな!」
よく日焼けした肌が目立つ山川は大きな声で笑うと、荷物を置いてくると言ってその場を立ち去った。
「あいつ、部活ある時ほとんど運動場だもんな……。」
「紛れもない直射日光だしな。辞める奴も多いのに、あいつはすごいよ。 」
なんでも今年は新しい顧問の方針も厳しいそうで、クラスメイトが何人も耐えきれずに脱落していく中、先輩との理不尽な衝突を度々こぼしつつも未だに続けている彼を尊敬する奴は多かった。
「いけ、大野を逃すな!」
ある日の体育の授業中、ボールを奪おうとするもさらりとドリブルでかわされた男子が背後にいる味方に向けて叫ぶ。
夏休み明けの体育の種目は、ついに大野の待ち望んだサッカーであった。
一年中活動するサッカー部と比べて、こちらは清水にいた時を最後に実に数ヶ月ぶりのプレイとなったものの、幸いにも恐れていたような体の鈍りはほとんど感じることはなかった。
足に伝わる感覚にしみじみとしながら、大野は追い抜かしてもなお追いつこうとする敵チームの気配を背にゴールまでの距離を目算する。
全体的に分散した敵はもたつきながらも懸命に立ちはだかり、直接ボールを奪おうと近づいてくる奴は少ないものの、大野が他の味方にパスを繋ぐのを必死に阻止していた。
「ーーーー!」
その時、突如コートを大きく横切って目の前に現れた人物に大野は目を見開く。
“ここから先は簡単に通さないぞ”
敵を阻止するという共通認識を根底に、明確な意思を持って立ちはだかる“彼”に大野の中で眠っていた闘争心に火がつくのがわかる。
ーーそっちがその気ならやってやろうじゃないか。
好敵手を正面から見据える大野に、何かを感じとった山川はニッと笑う。
結論から言うと、山川は手強かった。
フェイントに動じないどころか一定の距離を保ちながらどこまでも執拗について回る彼に大野は唇を噛む。
右や左に少し体を動かせば隙をついて突破できた今までとは違い、勢いに任せて突っ走ることなく淡々と機会をうかがう彼はこの上なく厄介だった。
パスを出そうとコートを見回すも、頼れる仲間は敵に阻まれて近づくことさえ難しい。
勢いに任せて突破してしまおうにも、適切な間合いとはどういうものなのかを明確に理解しているだけに“やりづらい”。
勝負のつかない攻防を繰り返す一方で、タイムリミットは刻々と迫っていた。
……大野の後を追いかけてきた敵チームが山川に合流しつつあったのである。
このままでは多勢に無勢ーー勝負にでられるのは今しかない。
すがるようにコートに目をやった大野はただ一人、敵の守りが手薄な味方を見つけてハッと目を見開く。
「ーーあっ」
「ちっ、急げ!ゴールを守るんだ!」
大野が蹴ったボールは人と人の間を鋭く抜けて味方の元へと届き、千載一遇のチャンスを得た彼はゴールへと足を進める。
「やられた」という顔をした山川は悔しそうに大野を一瞥するも、 得点を防ぐべく再び走り出した。
どうやら無事にパスは届いたようだ……。
大野はそう安堵しつつ山川と同様、すぐに加勢するべくゴール付近へと向かったが、結果としてこのパスが得点に繋がることはなく、拮抗していた勝負は敵チームの得点を許してしまったことで大野たちの負けに終わった。
「ごめん、僕がキーパーなのにゴール守れなくて……」
「仕方ねえよ。それより俺があの時ゴールできていたらなぁ!山川のやつ、やっぱり上手いな……!」
個人の技術もそうなのだが、即席の五人チームにも関わらず連戦の疲れを感じさせない連携を見せられては、こちらとしても脱帽するばかりだ。
休憩スペースで勝利を喜び合う山川たちが目に入った大野は大きく呼吸を繰り返しながらも、次の試合の移動準備を促す笛に「行こうぜ」と呟く。
「すげー、ついに大野も買ってもらったんだ!!」
十一月の中盤、クラスメイトの輪の中心で小型のカード収納用ファイルを手に大野は満足そうに笑う。
「この前が誕生日だったからな。父さんたちに頼んで買ってもらったんだ!」
中のカード見てもいい?と尋ねるクラスメイトの一人に大野は快く頷く。
快適な秋の日々にも冬の気配を感じ始めるこの頃、世間では男女問わずいろいろな漫画やアニメのキャラクターをモチーフにしたトレーディングカードが大流行していた。
「すげー、これ単行本限定のカードじゃん!」
「バニラちゃんのカードいいなぁ!私この衣装のやつまだ持ってないんだよね……。」
皆の反応は実に大野が求めていたものであった。
カードの入手自体はある程度、毎月買う雑誌の付録やお菓子のおまけで叶うものだ。
しかし白熱する話題の中心は抽選の当選者や漫画の単行本を買うことでしか手に入れられないレアカードである。
他にも市販のカードパックから本当に少ししかでないプレミアムカードシリーズ、アイドルやスポーツ選手との限定コラボカード……物によってそのレア度は多岐に渡るが、小学生にとってそれ相応の唯一生を誇るカードを多く所有することはある種のステータスになっているのだ。
ーー今大野がもつカード収納用ファイルは期間内にポイントシールを集めて送られないと手に入れることのできない貴重な品だ。
前回のキャンペーンでは手に入れられず、そのせいで話題にも入れなくて悔しい思いをしていた大野にはそれを手に入れるのが念願の望みだったのだ……。
鑑賞会が一息つくと、対戦やカード交換を求める声がしだいに教室を飛び交いはじめる。
元々のキャラクターの人気やカードの組み合わせによる大胆で幅広い戦略、さらには最大四人での対戦やチーム戦も可能ということもあって、その人気と話題性は留まることを知らなかった。
「よかったな、大野。」
「あぁ!折原も今度みんなと対戦ーー」
自身の斜め前の席に座る折原にそう続けようとした大野を彼は静かに制止する。
「みんなと一緒にやるにはカードが足りないよ。限定カードもほとんど持ってないし……。」
「ーー!」
“いいな、俺もお母さんが許してくれたら絶対に買いに行くのに……”
絶大な人気を誇る話題にもかかわらず自らはそれを語らない折原を不思議に思っていたある日、何かの拍子に飛び出したその言葉を聞いてからはそれは大野にとって固く心に決めていたことだった。
「悪い……その、俺ーー」
その苦痛を知りながら無神経な行動をしてしまったことに大野は気づいたものの、それ以上うまく言葉を続けることができなかった。
「別にいいよ。それより俺にもカード見せてくれよ!すごいやつ、いっぱいあるんだろ?」
湿っぽい空気を吹き飛ばすように明るく笑う折原に、大野は胸が熱くなりながらもその気遣いを確かに受け取ってみせた。
盛りあがる談笑に笑顔が飛び交う。
不安を覚えつつもいつの間にか安堵していた穏やかな日常が、確かにそこにはあった。
「え、冬季講習?」
いつものように友人の一人に公園でのカード対戦をもちかけた大野は意外な単語で断られた。
「でもお前、夏は塾なんて行ってなかったよな?」
「そうだけどお父さんがうるさくてさ……高学年の勉強は難しいんだって。」
申し訳なさそうに謝られた大野は「気にするなよ」と笑みを浮かべる。
これで何人目だろうか……それはもうわからないが、彼らの主張には確かに思い当たる節がいくつかあった。
この春からの新生活と共に始まった勉強は全体的にどれも複雑で、算数に関しては自信を持ってわかると言えるところの方が少ないくらいだ。
今まで気にしてこなかったものの、こうして考えると今だによくわからないままその場しのぎで通り過ぎた単元は算数に限らず数多く存在している。
立ち去った友人を見送りながら「塾か……」と大野は呟いた。
その響きはズンと重く、背中をなでる風の冷たささえも、今は他人事のように思えてならなかった。