卒業式から2日後の3月18日、公立高校の合格発表があり、南高に合格した。
そして翌日の新聞で、天宮さんは西高に合格したのを知った。
春休みに入り、中学校の教科書やノートを物置にしまった。
天宮さんとの思い出の手紙やセーターも段ボールに封印した。
K(僕): 「もう中学校生活、天宮さんのことを好きだった僕とおさらばだ。 前を向いて歩かないと・・・。」
決意を胸に、強く前に進む…はずだった。
4月になり、妹が僕が卒業した同じ中学校に入学した。
卒業式の入退場の2曲の題名が気になっていたために、妹の音楽の先生が僕が教わった音楽先生と同じと聞いて、卒業式に使ったあの2曲を教えてもらった。
「Longing Love」とパッヘルベルのカノンと初めて知った。
僕も、南高の入学式に臨んだ。
K(僕): 「あれ? 聞いたことある・・・」
奇しくも、入学式の入場曲は、中学校の卒業式の退場曲のパッヘルベルのカノンで、入学式の退場曲は、中学校の卒業式の入場曲だったLonging Loveだった。
K(僕): 「卒業式の時の曲だ…」
せっかく忘れようとしていたのに、3週間前の卒業式、そして天宮さんのことを思い出してしまった。
僕は南高の体育館の天井を見上げた。
K(僕): 「天宮さんも西高で入学式かな?」
公立高校は同日入学式だった。
K(僕): 「一緒に西高行っていたらまた会えたかもしれないけど、やっぱり気まずいのかなぁ・・。 中学2年生のときのもらった年賀状に書いてあった「できれば・・・」って、できれば同じ高校へ行けたらってことだったのかなぁ。 そしたら、別れずにまだ付き合っていたのかなぁ。」
一人でぼそっとつぶやいた。
全然吹っ切れなかった。
むしろ、そこから思い出す毎日となった。
入学式数日して、授業は始まった。
つい1か月前まで同じクラスには天宮さんがいたから、ついまた探してしまう自分がいた。
教室内や廊下で天宮さんの姿を探したけど、当然いるわけがなかった。
中学卒業まで気まずかった頃のほうが、天宮さんの姿を見ることができた分だけ幸せだったんだなぁって痛感した。
K(僕): 「違う誰かと付き合っている天宮さんを見るのも悲しいかもしれない。 でも中学3年の後半の別れてから半年、そんな噂も聞かなかった。 それとも気を遣ってくれて、こっそり他の人と付き合っていたのかなぁ。」
そんなことばかり考えていた。
しばらくして、高校受験の成績が返ってきた。
順位には4が書いてあった。
小学生の頃はもちろんのこと、天宮さんに会う前までは南高に入ることすら無理の成績であったが、天宮さんのおかげで数学、社会、英語は満点、理科は1点減点のほぼパーフェクトだった。
天宮さんに教えたときにどんな些細なミスもしてはいけない、そんな天宮ルールで南高に合格できた。
K(僕): 「天宮さんのおかげだよ、国語以外はね。」
さっちゃん: 「あの時、国語苦手って言ってたもんね。」
K(僕): 「K(僕) 「褒めてくれる?」」
さっちゃん: 「理科が1点減点だからダメでしょ。」
妄想から覚めた時、虚しさだけが残った。
やはり天宮さんがいない現実はつらかった。
K(僕): 「ほらみろ。 西高に一緒に行っていれば、簡単に合格できるし、そうすれば吹奏楽部に入って、天宮さんと仲良く出来たかもしれない。 一緒に高校なら一緒に勉強して、もっと仲良くなって、自然に話できるようになったら、別れることもなかったかもしれなかったのに。 そして天宮さんさえいれば西高からも医大行ける可能性は十分あったはずだ。」
改めて天宮さんの存在は大きかったと気付いた。
南高の生徒手帳にしのばせてあった、みきからあのもらった中学2年生のままの冬のセーラー服をきた天宮さんの写真を見ながらの心の叫びだった。
南高特進科は各中学のトップクラスが集まった40人のクラスだった。
中学3年生のときに毎月のようにあった全県中3統一テストで、名前が載っていたメンバーの集団だった。
入学試験の点数の差は500点中30点程度であり、ちょっとしたミスや度忘れで大きく順位は変動し、また当然入学の時から東大・京大、国立医学部を目指す集団だった。
入学当初から授業は7校時があり、下校は部活動がなくてもいつも5時すぎだった。
理数系のクラスであり、数学が2時限あったり、英語、数学は毎日授業があったり、さらに授業スピードが1日10ページ進んだりした。
数学、化学、物理、いわゆる理系科目は1年のうち、半年で終了し、1年後半では2年生でやる単元に突入し、高校2年生までにすべての授業が終わり、3年生は大学受験問題の演習となっていた。
英語は英文の。いわゆるアメリカ本国で販売しているような単行本を読解したり、毎回単語テストで6000語程度を2年半程度で覚えるなど、激しい授業スピードであった。
もともとは天宮さんのおかげで勉強もやる気があり、そのため成績が伸び、医師になる夢も彼女がいてこその目標になっていた僕にとっては、まわりの化け物のようなクラスメートの中にいて、天宮さんがいない高校ではなかなかやる気もなく、ついていけなくなっていった。
そうなると、ますます天宮さんのことを思い出す。
K(僕): 「やっぱり天宮さんがいないとダメかも…。 ふられても天宮さんがいてくれたからこそ、勉強も頑張れていたんだ・・・」
天宮さんがいてくれたことで頑張れた、あの力がなくなり、成績は落ちていった。
最初の定期試験は大学入試問題から出されたこともあって、今まで見たこともないような散々たる結果であった。
K(僕): 「天宮さんに会いたい。 励ましてくれなくても、一目でも。」
そんな初夏の土曜日、午後2時前に帰宅途中、西高の付近で遠くからあの赤い自転車に乗っている西高の制服を着ている女の子が向かってくるのが見えた。
K(僕): 「あ、天宮さんかも・・・。」
まだ天宮さんと決まったわけではないが、夏休みに見た赤い自転車に似ており、心は揺さぶられた。
K(僕): 「ここで待ってようかな?」
自転車を漕いでは止まった。
K(僕): 「でも、1回ふられているし、天宮さんは迷惑がるかな? それでも会いたい・・・」
葛藤に葛藤を重ねた。
K(僕): 「もしかしたら僕に気づいて違う道へ曲がっちゃったら、悲しすぎる・・・。」
そう思うとその場から立ち去ってしまった。
K(僕): 「もう一回付き合いたいって言いたかったけど、もう新しい人がいるかもしれないし、そもそも今度は最初から断られるだろう。 1度でもきつい失恋を、もう一度経験するかもしれない。」
1回目でふられた自分を全否定されたような絶望感をもう一度味わうかもしれない恐怖と、もしかしたらあの時にふられた悔しさ、プライドを傷つけられた屈辱があったのかもしれない。
でも結局はやっぱりいつもの俺だった。
その後は全く会うことなく、1年、そして2年が過ぎた。
南高にも各学年300人いれば、可愛い子もいたけど、天宮さんの容姿、醸し出す雰囲気、半年ぐらいしかつきあっていなかったけど、天宮さんのすべてが俺にはぴったりあっていた人だったようだったと改めて感じた。
天宮さんに代わるやる気を起こさせてくれるような好きな人を強引に決めても、ちょっとでも嫌な面を見ると嫌になるし、やっぱり天宮さんが一番だったと感じた。
天宮さんがいないことで、なんとも言えないどん底にいる絶望感を感じた。
どうあがいても成績も、「順調」にって言っていいほど落ち、クラスで30番台まで降下した。
さすがに3年になると、医学部進学も危険な状態だった。
このままいくと、医学部断念しなければならないかもと、頭によぎった。
天宮さんとも別れる犠牲を払ってまで、南高に入学したのに、実際にはふられたから仕方なかったのだが、医学部を断念だったら、結局天宮さんに、別れて正解だったと思われる。
そうならないためにも、医学部に絶対入学しなければと思った。
だけど、なかなかエンジンがかからず、やる気も出なくて焦った。
まだ別れても同じクラスにいた中学生のときのほうが悶々としながらも頑張れたのだが、いなくなったらその悶々もなくなり、別々の高校になって天宮さんがいないこと、そんなことはわかっていても燃料が枯渇した墜落寸前の飛行機となっていた。
K(僕): 「医学部、もうやめようかな?」
そんなとき、ふと別れようと言われた時に、最後に僕にかけてくれたあの言葉が急に思い出された。
さっちゃん: 「・・・・ お医者さんなるの、頑張ってね。 ・・・・」
自分の心の中の思い出の天宮さんも、今の僕を責めた。
さっちゃん: 「私が好きだったあなたはそんな人だったの?」
さっちゃん: 「付き合った半年はなんだったの?」
やっぱり医師になるために頑張らないと、好きだった人の応援に応えられない自分は屈辱的で情けなく感じ、バラ色だった付き合ってくれたあの半年が跡形もなく消えてしまう感じがした。
K(僕): 「こんな情けない僕を見たら、別れてよかったって思われる。 それこそが屈辱じゃないか。」
K(僕): 「それに最後の天宮さんとの約束、果たさないと・・・。 もう一回がんばらなきゃ。」
ふられた屈辱と感謝の気持ちが交差するしながら、生徒手帳の中の天宮さんを見て、あの時の幸せの瞬間を思い出しながら猛烈に勉強した。
さっちゃん: 「・・・・ お医者さんなるの、頑張ってね。 ・・・・」
別れの言葉が「さいごのやさしさ」のように僕の背中を強く押し続けた。
再びスイッチが入った僕は、あの時の中学校の卒業式から3年経過した3月に大学キャンパスで医学部合格を知った。
そのキャンパスからはるか遠くに見える、中学校の校舎から間近でみていたあのときの山に向かってつぶやいた。
それは天宮さんの家の方向でもあった。
K(僕): 「合格できたよ。」
その日は4年前の今日、僕が、別れるときに返されそうになった第2ボタンを天宮さんに渡した日だった。
K(僕): 「あのボタンを通して天宮さんから僕のくじけそうになった心に力を貸してくれたのかな?」
やっぱり天宮さんのおかげだった。
ふられたときはお世辞の最後の一言だと思っていたが、堕落する寸前の僕をその言葉は助けてくれた。
さっちゃん: 「おめでとう。」
そんな言葉が聞こえた気がした。
K(僕): 「ありがとう。やっぱり天宮さんのおかけだね。」
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