蝉は鳴いていた。

「あー！　やる気でなぁぃ……」

太陽の出る前にしっかりと起き、教科書とノートを開いた。ここまでは良かった。だが、日曜の朝という事もあってか、どうも集中出来ない。

「そもそも私は”真昼”だ！　朝日でも東雲でも無い！　よってこんな時間に集中できる理由が無いだろ！！」

思った事を声に出して少しスッキリした。一度落ち着こうと、さっき入れたインスタントコーヒーを一口飲む。

多少は冷静さを取り戻し、純粋に思う。

「 って、何言ってんだ……私？」

頭をぽんすか叩き、思考を正そうとする。 こりゃ、本格的にマズイ。頭イッちゃってるよ。

太陽も出てきたし、日の光を浴びるべきだろうか。詳しい事は知らないが、そうすると脳が活性化？　するだとか何とか。どこかで聞いた事がある気がする。

それにもしかしたら、今外を暗夜が歩いているかもしれない。 いや、自分で考えておいてあれだが、この時間にそれは無いか。

それに私はもう、暗夜とは話さないと決めたのだ。そう、受験が終わるまで絶対に。恋は一度お預けだ。

次に彼と話すときは、自分を誇れる私でありたい。

だから集中しろ！

想いを込めて、自分の太ももを思いっ切り、拳で叩く。ただ少し、いやかなり想いを乗せすぎたかもしれない。

「いっったぁぃ……」

ちょっと涙出た。

***

こっそりとドアを開け、家に帰った。ここからは親を起こさないように部屋に戻って、寝ているフリ、もしくは本当に寝てしまう。

雨で濡れていた服はもう乾ききってしまっていて、生乾き臭が酷いし、個人的には身体が寒くてしょうがないから、さっさと洗濯して風呂に入りたい気分だ。

でも、普段そこまで早起きで無い僕がそうすると、勘付かれるかもしれない。しょうがない、大人しく布団に包まって、身体を温めるか。

そんな考え事をしながら、廊下を歩いていたその時だ。

「暗夜、今日は早いね」

母がリビングで呑気にお茶を飲みながら、そう言った。僕が歩いてきた方向から、外に出ていた事は分かるはずだ。

だが母は、不思議な事にこちらを見ないで、背中を向けている。そして、そのまま母は言った。

「危ない事だけはしないでね」

これは気づいているのだろうか。ああ、きっと気付いている。

母は昔からそうだ。僕をよく見てくれているし、優しい。でも、だからこそ僕は苦しいよ。

「母さん。ありがとう」

僕はそれだけ言って、部屋に戻ってベッドに飛び込んだ。 布団を思いっ切り抱き締めて、自分の唇に手を当てる。

僕は女性とハグをして、キスをしたんだ。それもハグは二回もだ。

今になってそれを実感して、心臓がバクバク鳴る。まだ、彼女の感覚が残っている。

あの抱きしめた肌、唇の感触、匂い。きっとこれからも一生忘れられない。

でも、これはきっと恋ではないのだろう。僕は彼女の不思議な魅力と運命に引き込まれ、ああいう事になった。

あの時に好きとか、そういう感情は無かった。

ただ僕は孤独でないと思えたし、彼女も僕を必要とした。それだけだ。

彼女だってそうだろう。何だかすごく強引だったし、きっと偶然にも僕らの波長があって、互いに性欲があって、それが生んだだけの結果だ。そうだろう？

はあ、何だかどっと疲れがきて天井を見上げ、寝転ぶ。

蝉の鳴き声がする。

何だか僕ら、蝉みたいだ。

メスの蝉っていうのは鳴かない。鳴くのはオスだけ。オスは子を残すために、鳴いて鳴いて鳴き喚いてメスを呼ぶ。

僕らは互いに生きるって事をするために、引かれ合ったのかもしれない。

って、それだと僕がメスで、月夜さんがオスになっちゃうか。はははっ、ははは……。

あーヤバい。本格的に疲れが来た。これは今にも寝てしまいそうだ……

*

目が覚めた時にはもう、ちょっと夕焼けが見えるくらいの空になっていた。変わっていないのは、生乾き臭の酷い服と放置された宿題、まだ鳴いている蝉だけだ。

変な姿勢で寝ていたみたいで、全身が少し痛かった。 それと、朝ご飯兼昼ご飯は食べたことがあっても、朝ご飯兼昼ご飯兼夕飯は初めてだった。まあ、お腹が異常に空いていて量的には実質三食分なのだが。

起きたばかりは、寝過ぎで逆に疲れがあったが、今はもうシャワーも浴びたし元気満タンだ。

一つ辛い点としては、もう十一時になるのにちっとも眠気が無い事だろうか。この時間だとまだ、親は起きているだろうし、月夜さんも公園にいるかわからない。

だから、今日は時間までスマホを見ている。

「ええっと……、キスの正しいやり方は……。げっ、これディープの方じゃんか」

昨日。いや、今日の朝は勢いで何となくやったが、正しい方法で無くては彼女に失礼ではないか。そう思い、ネットで色々と調べているのだ。

「へー。『月が綺麗ですね』って好きを伝える意味があるんだー、ん？」

月が綺麗ですね。月が綺麗ですね、か……。

最近、どこかで聞いたのような気がしたが、まあ勘違いだろう。きっとこれも、ネットのどこかで耳にしたのだろう。流石にまさかね……