刑事が帰るのを見届けてからアトリエへ向かった。
アトリエから奥の倉庫へ。
さらに倉庫の奥にあるドアをノックする。
「智花。入るよ」
声をかけてからドアを開いた。
「一華……警察は?」
「大丈夫。上手く言っておいたから」
「ありがとう」
「ここにいれば安全よ。絶対に捕まらない」
この部屋はアトリエから続いていて、本来は作品制作中に間をとったり休憩するためのものだ。
それを智花の部屋として使っている。
「まだ私の疑いは晴れてないの?」
「残念だけど警察はさらに大きな犯行の容疑者としてあなたを捜しているわ」
言いながら智花の肩に手を置く。
「でも心配しないで。もうすぐ私がなんとかしてあげる。全ての疑いを晴らして、あなたの名誉をとりもどすから」
「本当に?」
「ええ。もう外を歩いても人目に怯えなくていいの」
肩からそっと手を離すと、智花の向かいに座った。
「ありがとう一華。本当にありがとう」
「いいの。クラスメイトが困ってるんだから見過ごせないでしょ?」
智花はうつむくと肩をふるわせた。
「酷いことになったわ……いきなりあんなことになって、自分でもなにがどうなってるか未だにわからない」
「ネットの動画のこと?」
「ええ。私が同窓会で起きた薬物事件の犯人だなんて……あのおかげで旦那の会社まで特定されたり、家の周りにはキモイ奴等がうろつくしで最悪よ」
「そして不倫もバラされた」
「そうよ!どこの誰か知らないけど、私たちをつけまわして盗撮して……しかも近所にばら撒くなんて!」
智花がだんだん興奮してくる。
「そのおかげで離婚。家にはいれなくなった」
私の言葉に「そうよ!」と、強く応じて自分勝手な悪口雑言を撒き散らす智花。
「だいたい不倫なんて遊びじゃない!それに魅力がないから私が遊ぶのよ!それなのに私だけ悪者で……おまけに実家にも縁切りされるし……あの薄情な親!」
どこまでも他責思考。
こいつは年齢だけ大人になっても中学生のままだ。
自分は悪くない。自分の不実な行動を咎める奴が悪い。
だから私のお母さんを殺した。
自殺にまで追い詰めた。
そして未だに他人に毒を吐き続けて生きている。
生きている価値のないものだと改めて思った。
「あのとき智花に会えて良かった。こうして力になれて」
「そうね……実家にも帰れずに行くあてもなく途方にくれていると由利から電話がきて、事情を話したら一華に話すから頼ってみてと言われて、由利に指定されたホテルで待っていたら一華が来てくれた」
しみじみと思い出すように言ってから智花は肩を竦めて、「あのときホテル代払ったらお金が尽きてたよ」と、卑屈に笑った。
みじめな奴だ。こんな女に私は虐げられてお母さんを殺されたのか。
無意識に心の底から湧き上がる衝動を必死に抑えた。
「智花に会う前の日、警察が家に来て、智花が薬物事件だけでなく、紅音と茉莉の失踪事件の重要容疑者だから、行方を知らないかって言われて……あのタイミングで由利から連絡が来なかったら智花は逮捕されて犯人にされてたわ」
嘘だった。
警察が私のところに来たのは今日がはじめてだ。
「ごめんね智花。テレビやスマホを禁じるような生活をさせて」
「いいよ一華!だって外の情報は私を不安にさせて精神に悪影響だからでしょ?スマホもGPSから位置が特定されるから処分するしかなかった。みんな私のためを思ってのことじゃない」
弱った精神状態の智花は、私が言うがままを受け入れた。
外界から完全にシャットアウトしても、そこに疑問や抵抗を感じないように、薬で一日の大半は寝てもらい、夜はアルコールで発散させて薬とアルコール漬けにする。
智花の思考は、今となっては豆腐のように滑らかで平坦で、脆くなっている。
私の言葉が智花にとって現実であり真実なのだ。
それがいかに矛盾していようが、荒唐無稽でも。
「今日の夕食はお祝いにしましょう」
「なんの?」
「あなたの潔白が証明されるお祝い」
智花は満面の笑みを浮かべた。
その笑顔はひどく私をさかなでた。
もう限界だ。こいつは殺してしまおう。
「智花。少し興奮してるみたい。いつもの安定剤を飲んで夕食までお休みして」
「うん」
智花は子供のようにうなずいた。
智花が休んだのを確認してから、ルイにアトリエにある作成中の新しい「蜘蛛の糸」をリビングに運ぶよう指示を出すと、さっきまで手掛けていた作品に再び取り掛かった。
智花との夕食には腕をふるった。
「凄いね!ずっと一華の手料理食べてきたけど、今日のは特に凄い!綺麗!」
席に着いた智花は上機嫌だ。
「喜んでもらえて良かった。でも見た目だけじゃなく、味も抜群だから」
リモコンのスイッチをいれて音楽をかけると、智花と自分のグラスにワインを注いだ。
「では智花の潔白に乾杯」
「ありがとう一華」
ワインに口をつけた智花は料理に手をつけると絶賛した。
「美味しい!こんな美味しい料理はじめて!」
智花の手は止まらない。
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
これが最後の晩餐よ。
存分に味わいなさい。
「さっきから気になってたんだけど、これって一華が作ったの?」
智花はようやく私の作品に興味を示した。
「ええ。今度の個展に出すの。まだ途中だけどね」
「凄いねえ……」
智花は一言感想を漏らすと、再び料理に手をつけた。
そんな智花を私は微笑みながら見つめた。
楽しい晩餐を締めくくるデザートをテーブルに置いてから、智花に質問した。
「ねえ、智花。あなたが不倫していた相手ってどんな方?」
「ああ、なんか日本とフランスのハーフで年下の超イケメン!でも不倫がバレたら連絡取れなくなってさあ。ついてないよね」
デザートをパクつきながら返す智花。
「その方って、今キッチンに立ってる彼じゃない?」
「えっ」
振り向いた智花の視線の先にはにこやかに手を振っているルイがいた。
「智花さん久しぶり!」
「は、はあ?あなた……一誠じゃない!どうして?」
智花はおもしろいように驚いた。
「彼はルイ。私のパートナー。それより一誠ってなによ?あなたそんな名前使っていたの?」
半笑いでルイに聞く。
「ハハハ。歩いてるときに目についたホストクラブの看板からもらったんだ」
「えっ?えっ?ど、どういうこと?」
智花が私とルイを交互に見る。
「アハハハハ……アッハハハ」
笑い出す私を智花は呆気にとられたように見ている。
続いてルイも笑いだした。
私たち二人の笑い声につつまれた智花の顔には不安と恐怖が見てとれた。
その様が余計に私を笑わせてくれた。
「アハハ……フフッ……もう智花ったらそんな顔しないでよ。笑いが止まらないじゃない」
「どうしたの一華?どういうことなの?」
引き攣り気味の智花の顔を見て、また笑いだしそうになったが必死に堪えると居住まいを正した。
「じゃあ教えてあげる」
私は掌を拝むように顔の前で合わせると説明を始めた。
「ルイは私の指示であなたと男女の仲になったの」
「なにそれ?」
「私が日本へ帰るよりずっと先にルイを日本へ行かせた。何度もね。そしてあなたと関係を持ったという報告を受けてから、知り合いに二人で会っているところ、ホテルから出てくるところを写真に撮らせたの」
「じ、じゃあ、近所にばらまかれた私の不倫写真って……」
「その人から私に届いたものをルイにばらまかせたわ」
「そういうこと。ごめんね智花さん」
ルイが笑顔で言う。
智花は混乱しているのか、泣いているのか笑っているのかわからない顔になっていた。
「わからない……なんでよ?なんで?」
「あっ。ちなみに同窓会の日に智花さんのバッグに薬物仕込んだのも俺だよ。スープに入れたものと同じやつをね」
ルイは笑みを絶やさない。
「智花を犯人扱いした動画を作成して公開したのも私たち。不倫暴露と犯人扱いで精神的に追いつめて、家にいれなくなるようにする必要があったの」
「ふ、ふざけないてよ!だったら今日までなんで私を匿っていたの?なんで助けたの?」
「あなたが実家にも帰れずに、ルイに助けを求めたという連絡を受けて、私から由利に電話をさせたの。私に連絡すれば悪いようにならないってね」
「由利?由利もグルだったの?どうして私にそんなこと」
「決まってるじゃない。あなたには私のお母さんの苦しみを味わって欲しかったから。あなた達がネットに、お母さんがあの男、義理の父親を殺したと書き込んだおかげでお母さんは精神的に追い詰められた。なんの証拠もないのに殺人をやったと大勢の人間から指さされてね」
「わ、私をどうするつもりなの?警察に突き出すの?だったらあんた達が同窓会での薬物事件の犯人だと言うわよ!」
智花は語気を強めた。
「警察?なんの話をしているの?」
「さ、さっき言ったじゃない。私が大きな犯罪の容疑者になっているって」
「あれね。あんなの嘘よ。もっと言えば、最初からね。警察はあなたを逮捕しようなんてしていなかった」
「じゃあ、じゃあなんで私を?」
「殺すためよ」
智花の顔から一気に血の気が引いた。
「う、嘘でしょう?あんなに優しくしてくれたじゃない?どうして?」
「そういう顔を見たかったの。だから優しくして信用させた」
智花は席を立って逃げようとしたが、バランスを崩して床に倒れこんだ。
「あ、あれ?脚に力が入らない……どうなってるの?」
「薬が効いてきたの。グラスに仕込んでおいたのよ。あらかじめ少量の薬を少量の水と一緒にグラスの底に凍らせておく。すぐにワインを注げば気がつかれない。現にあなたも気がつかなかったでしょう?」
「ど、どうして私だけ?あなたをいじめていたのは由利も茉莉も紅音も同じじゃない……どうして私だけを?」
「勘違いしないでね。由利は私に謝罪してきた。お母さんの件には関わっていない。だから許したの」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「ククク……ずっと私と一緒にいて、ようやく今になって謝罪したね」
私は肩をゆすった。
「それにあなただけじゃないから。茉莉と紅音ならあなたより前からこの家にいるわ。福島先生も。しかも目の前に。さっきからずっとそこにいるわよ」
「はあ?」
手をついて体を起こしリビングを見まわす智花。
「ど、どこに?」
「鈍いわねえ。そこよ」
私は作成中の「蜘蛛の糸」を指した。
智花の目が見開かれて釘付けになる。
「あの子たちの肉や内臓は庭にいる犬の餌にした。髪の毛は焼いて、骨は細かく砕いてから粘土に混ぜて作品にしたの。無価値なあの子たちを価値のある作品に生まれ変わらせてあげたってこと」
「ひっ……ひっひっ……」
智花はなにか言葉を発するでもなく、顔を引き攣らせて声を上ずらせているだけだ。
「でもあなたは私の作品にしてあげない。あなたにはそんな価値も資格もない」
「い、いや、いや……」
「内臓は掻き出して犬の餌。それから死体は辱めて晒してやる」
智花はようやくあらん限りの声を出して叫びだした。
泣きわめくような声はリビングにかかっている音楽が聞こえなくなるほどの音量だ。
次は千尋だ。
愛しい千尋。
私はあなたの幸せをなにもかも滅ぼすために帰ってきたの。
智花を殺した後にある程度の処理を済ませると、興奮した私はシャワーも浴びずにルイと交わった。
情事が終わった私は、一人寝室で窓際にあるラタンチェアに座ると13年前の朝を思い出した。
背もたれに体を預けて月を眺めると、頭の中の靄が晴れるように鮮明に浮かび上がってくる。
千尋。
千尋と出会ってから私の全てが変わった。
学校の行き帰りに友人と語らいながら歩くなんて、それまでは無縁なことだと思っていた。
夏休みに作った私の作品が全国コンクールで最優秀賞に輝いたとき、一緒に登校していた千尋は自分のことのように喜んでくれた。
「おめでとう一華!コンクールで受賞したんだってね!」
「うん。千尋のおかげ」
「私の?」
「前に言っていたじゃない。栽培は没頭していると嫌なことや細かいこと考えなくなるって。そういう場所を作って幾重にも柵を作る……最初は逃げ場所だけど、そのうちそれは逃げ場所なんかじゃなくって自分の宮殿になるって。私もやってみたの」
「それが彫刻だったんだ……前にやってたの?」
「初めて。千尋みたいになにかを創り出してみたくて」
「凄いよ一華!それでいきなり全国コンクールで受賞なんて!学校の帰りに行ってみようよ!展覧会の会場に」
放課後になると私たちは全国コンクール展覧会会場へ行った。
私の作品を見つけた千尋は、「早く早く!」と、手を引っ張るように駆け寄った。
「ねえ、この土台がゴツゴツした岩のような感じになっていて、たくさん棘のようなものが出ているのはなにを表現しているの?」
「地獄……」
私は千尋の問いに作品を見ながら答えた。
地獄。あれは地獄だ。
私が育った地獄があそこにある。
「なるほどね……土台が地獄なら、そこから伸びるたくさんの手は亡者の手ってことね」
「うん」
「ある一点を掴もうとしているように絡まり、重なり、もがいているよう。タイトルは蜘蛛の糸か……まるで手の先に本当に糸が垂れているみたい。亡者の声も聞こえてきそう」
「蜘蛛の糸は亡者にとっては救済。でもあまりに脆くか細い救済……」
「蜘蛛の糸……掴んだじゃない一華は」
千尋がいつもの笑顔で言った。
それが受賞したことを言っているのか、他の意味があるのか、千尋の顔からはうかがい知れなかった。
「まだ。でももうすぐかな」
私が返すと、千尋は私の顔から作品へ視線を移した。
じっと作品を見つめている。
「一華か受賞したと聞いて、お母さんは喜んでくれた?」
作品を見ながら千尋がふいに聞いてきた。
「うん」
あのとき私は嘘をついた。
お母さんは、私が受賞したことを話したとき、引きつったような笑みを貼り付けて喜びを口にしたけど、私に伝わってきたのは恐れと怯えだった。
私たちは他の作品を見ながら会場を一周すると外に出た。
秋らしい夕焼け空だった。
夕日を見た私は、太陽を掴むように手を伸ばした。
「お父さん……まあ、もともとお母さんが離婚した後にできた恋人で私とはなんの関係もない他人なんだけど、その人が家を出て行ったの。どういうつもりか知らないけど、これで私とお母さん。本当の家族の生活が始められる。千尋って素敵な友達もできたし。今までが最低だったから、これからは上がるだけ。千尋が垂らしてくれた蜘蛛の糸が切れないように」
「私はそんな大層なことしてないよ。一華の才能と行動が引き寄せた結果だよ。今度、私の家でお祝いしよう!二人で!」
千尋。あなたはああ言ったけど、あのとき掴もうとした太陽は、私にとっての太陽はあなただった。
私があなたの異質に気がついたように、あなたも私を異質だと気がついているだろう。
あなたを理解して共感できるのは世界中で私だけだ。
理解してあなたになりたい。
そう思いながら私は沈み行く太陽に手を伸ばした。
でも、あなたはそれを許さなかった。
そのままの私では我慢できなかった。