テラーノベル
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#お仕事
#秘密
舞台のボルテージは最高潮に達していたが、物理的な現実は容赦なく肉体を蝕み始めていた。
春先の夜気は目に見えない牙を持ち、裸足の指先から冷酷に這い上がってくる。
私は精神的な陶酔を愛でる性質だが、物理的な苦痛にはからきし無力だった。
肉体は、精神ほど強固な構造を持ってはいないのだ。
寒さに贅肉が小刻みに震え、その振動は波となって全身を伝播する。
やがてそのリズムは、物理法則に従い、あのゴム紐が食い込む境界線の内側――月光に浄化されたはずの聖域へと集中していった。
「あは……」
意思に反して、喉から湿った声が漏れる。
反応してはいけない。
これは崇高な演劇の一部なのだ。
だが身体は正直だった。寒冷刺激と、この異常な滑稽さがもたらす興奮。
反射によって増幅された波は、月の光で浄化されたはずの黄ばんだ布地の内側を、残酷な力加減で責め立てていく。
「おやおや、立派な幕が上がっているようだね」
不意に、脳内の最も暗い部分から響くような、無機質な声がした。
相手を小馬鹿にするような、ねっとりとした余韻。
私は慌てて周囲を見回した。
しかし人影はない。忍者の如く目を閉じ、全神経を研ぎ澄ませる。
……。
聞こえるのは自らの乱れた呼吸音だけだった。
湿った草の匂いと、古い陶器の埃っぽい匂いが鼻腔を突き抜ける。
私は覚悟を決め、ゆっくりと目を開けた。
視界は一変していた。
銀色のススキ野原は、眼前に屹立する「茶色の絶壁」によって遮断されていた。
あまりにも近く、あまりにも巨大な質量。
ニスを厚塗りしたような滑らかな壁が、月の光を反射して不気味に照り輝いている。
「どうだ、見事に黒光りしているだろう?」
声は頭上から降ってきた。私は恐怖より先に、静かな怒りを感じた。
「黒……? いや、茶色だろ。それに、その色は最悪なものを連想させる」
真夏の台所。
油ぎった「G」の質感。
慌てて素手で掴んでしまった時の絶望的な感触。
記憶が背筋を駆け抜け、私は毒を吐きながら震え続けた。
「ずいぶんと……お熱いようだね」
明らかな嘲笑だった。
「違う……。これは、不可抗力だ!」
叫びながら、私は気づいた。
目の前の巨大な茶色の壁。
土着的な温かみ。独特な曲線美。
「ああ、そうか。お前だったのか」
天を仰ぎ、私はその正体を捉えた。
偉そうな態度で私を蹂躙し、舞台の幕を無理やり引き降ろそうとしていたそいつは――古びた蕎麦屋の軒先に鎮座する、あの巨大な信楽焼のタヌキであった。
コメント
1件
第2話、読み終えました…! もう、最初の茶色い絶壁の描写がめちゃくちゃ不気味で、背筋がゾワッとしたのに、まさか信楽焼のタヌキだったとは…(笑)あの「慎ましい」発言からの音消滅、完全に空気読めなさすぎて笑っちゃいました。怖さとユーモアのバランスが絶妙で、一気に引き込まれました🖤 続き、気になります…!