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結局、魔導書を持っているのは野盗たちではなかった。昼前から感じていた魔導書の気配はこの放浪楽団の誰かだろうか、とユカリは一人一人を観察しながら考えを巡らせた。

気配を感じるだけで距離も方向も分からないものだから、気配を感じたところで自分がどのような行動をとるべきなのか、判断するにあたってあまり参考にならない。


「結局あんたも奴らの懐を探るんじゃないか」とハルマイトにからかわれ、ユカリは苦々しく思う。


かといって野盗が魔導書を持っているかもしれないから探していたとも言えず、そういうことにしておくしかなかった。


身ぐるみを剥がした野盗たちをその場に捨て置いて、放浪楽団はしばらく川の流れに沿って歩き、日の暮れる少し前に小さな清らかな円い泉にたどり着いた。ここから三つの川が流れ出ている。平原にあって随分深い不思議な泉だった。


ユカリが不思議な泉を覗き込んでいると楽団の長アムニウスに声をかけられた。「食事の準備は全てこちらで行いますので、助けていただいた礼と言ってはなんですが劇をご覧になりませんか?」

ユカリは礼儀正しく答える。「いえ、そこまでしていただかなくても、大したことはしていませんから」

「まあまあ、ご遠慮なさらず、どちらにしても練習は我々の日課ですので」


強く拒む理由もないので、ユカリは快く誘いを受け入れた。一方で人生で初めての観劇に胸が躍る。


橙に目映い輝きを引き連れて日は夜の帳の向こうに隠れた。焚火の他にも急ごしらえの舞台を挟むように篝火が設置された。


ユカリは用意された特等席に座り、心地よい炊事の香りに惹かれながらも劇の始まりを待つ。ハルマイトも誘ったが、「劇には興味がない」の一言でつれなく振られた。


役者たちは煌びやかとはいえない控えめな衣装に身を包み、狭く簡素な舞台を行き来するが、楽団の演技と奏でられる楽の音の響きは瞬く間にユカリを引き込み、物語の世界へと連れて行った。主役の歌声は美しく、涙を誘い、笑いを引き出し、一人一人の真に迫った言葉と生き生きと躍る演技はそれが作り事の話と思わせない臨場感をもたらしている。


物語はとても素朴で、ほんのわずかな不思議と驚異を除けば、人々の心の有様を描いた老若男女の心に訴えかけるものだ。大都市の華やかな劇場の作り込まれた舞台で貴族に向けて演じられるそれとはまるで違う。しかしユカリを空想の世界へと引っ張り込む力は義母のジニが語る本当にあった冒険譚にも迫るものがあった。


『如何なる罪を背負いし女といえども鳥を産むことはあるまいよ。我が君の慈悲深き御沙汰は下った。行け。呪いとわざわいを携えて、其方の土地に帰るが良い。そして屋根の下に住む者たちよ。己のさいわいを懐に仕舞うこと忘れるなかれ』


『さあ、耳を澄ませ、と言うまでもない。あの妙なる歌声のどこに邪なる心があろうものか。其は甘き泉の如し。渇きを知らぬ駱駝とて喉を潤さずにはいられぬものよ。其は真冬の炉辺の如し。孤独を知らぬ羊とて温もりを求めずにはいられぬものよ』


『あなやと言いて耳を塞ぐは何者ぞ。童を攫い、賢者を戒め、山の如き怪物を使嗾そそのかした魔女に違わぬ。いざ行かん。勇ましき者どもよ。いざ歌わん。揺るぎなき者どもよ。我らが郷のさいわいを取り戻すべし』


ユカリは気が付けば主人公の女の子と共に苦しみ、己の歌に慰めを求め、自身を認めてくれる隣人に励まされ、幾多の困難を超えて、幸せの国にたどり着いていた。物語の終わる頃には、ただ生まれつき嘴を持っていただけの女の子が生来の親友のように感じられた。


「いかがでしたか?」と語り手を担当していた楽団の長アムニウスが微笑みを浮かべて言った。

「とても面白かったし、楽しかったです。私、劇を見るのは初めてで、話には聞いていたのですけど、こんなにも、心を震わせられるものだとは思いもよりませんでした」とユカリはアムニウスにまくし立てる。

「ありがとうございます。失礼ながら、ユカリさんの合切袋からはみ出しているクチバシちゃんの人形が見えたので、この演目を選んだのです」


その種明かしは、てっきり運命的な出来事だと思い込んでいたユカリを赤面させた。


「でも、このお話は人形劇だと前に知人に聞いていたのですが」

アムニウスは孫を抱く老人のように目じりに皴を深く刻んで頷く。「そうですね。最も有名なのが人形劇です。機会があればご覧になると良い。大きな街の街角では必ずこれをやっているでしょう。歌声を口笛で表現したり、嘴を開閉する仕掛けを使ったりと人形劇の方もまた別の素晴らしい味わいがありますよ」


これがユーアのクチバシちゃん人形の由来だ。異形に生まれて迫害されながら、持ち前の明るさと特技でもって幸せを掴み取る少女の物語だ。


「さて」とアムニウスが手を合わせて、特設の炊事場の方へと目を向ける。「食事にしましょう。なにぶん、放浪の身です。ご馳走というにはいささか物足りないかもしれませんが、我らが恩人を招待致しましょう」


干し肉や酢漬けの野菜が主だった食事だったが、大所帯ゆえに多くの調理器具を常備しており、泉で捕った魚や無花果いちじくも手間をかけた料理となっていた。何より旅をする身としては暖かい食事を温かい人々と共にできるだけでユカリは幸せだった。


星の移り変わりとともに、小さな宴は水と食事から葡萄酒ワイン蜂蜜酒ミードに移っていく。人々は饒舌になり、諸国の出来事を多く語り、歌った。

彼らの口に上るのは物騒だったり、血なまぐさいものだったり、あまり快い出来事とは言えなかったが、語り口は妙に楽し気だった。


襲撃してきた氷原の民トバール人が厚着のためにすぐにばてた話。

祈りの時間が多すぎるために、休戦が多く、いつまでも決着のつかないアルダニの宗教紛争。

自分たちの寺院に飛び火してしまった救済機構の焚書。


憎しみで始まった物事が、多くの哀しみを生んだだろう出来事が、彼らにかかればなぜか楽し気な滑稽話に変わっていた。


それらの歌や物語には古くから伝わるものほどではないが力があり、泉を出入りする妖精や星影にとっては甘い汁のようなもので、彼らの揺らめく水面のような喜びは宴の騒ぎに掻き消えることなく、長い旅を続ける人々の疲れをわずかながら取り去って行った。


ユカリはひとしきり笑い、これ以上物語をせがんでも酔っ払いの口からは獣のようなうめき声と酒気しか出てこないことに気づいた。弾む気持ちを宥めつつ、改めて辺りを見渡すと、少し離れたところでハルマイトが一人飲んでいることに気づく。


ユカリは薄めた蜂蜜酒ミードを持って、ハルマイトのそばに座った。


「劇、観てましたよね? 興味はないとか言っちゃって、少し離れたところで観てましたね。ひょっとして照れ屋さんですか?」

「そういうお前は酔っ払いか? 宴はいいのか?」とハルマイトは活気を失った宴の方に目をやる。「俺は、別に、暇だから眺めていただけだ」


そう言うハルマイトの顔も少し赤らんでいる。


「傭兵なのに。夜盗の襲撃があれば真っ先に見つけなければいけないのに」

「うるさいな。ちゃんと用心はしてる。むしろあいつらは警戒心が薄すぎないか? 篝火なんぞ立てやがって」

「警戒心……」ユカリは口の端を拭って言う。「まあ、そうですね。傭兵を雇うのに一人だけってのは何とも中途半端な話です」


「また、その話か。俺を何か疑っているのか?」とハルマイトはユカリを睨みつける。ユカリの方はそんなつもりはなかった。「別に隠しごとをしている訳じゃないぞ。ただ、いちいち喧伝しないってだけだ」

「皆さん、三日月湾トイナムの港町に行くそうですね」

「ああ、そうだ」とハルマイトは素直に頷く。「俺と同じ目的地だってんで同行してるのさ。お前と同じく飯の代わりに用心棒をするってな」


ユカリは話の流れと無関係に仕切りに頷く。「何かを売りに行くそうで」


「あの酔っ払いどもめ」とハルマイトは悪態をつくが、すぐに我に返る。「いや、そもそも俺があいつらに口を滑らせたのか。まあ、いいや。そう、単なる取引さ。お前、魔導書って知ってるか?」


ユカリは一気に覚醒した気分になった。態度に出さないように気をつけつつ、ほとんど反射的に魔導書の気配を探っていた。何も変わらない。魔導書の気配を感じるが距離も方向も分からない。ただ存在を感じるだけだ。

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