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『降り続く雪は君の記憶』
雪が降っている。
静かで、音もなくて、
世界がゆっくり薄くなっていくみたいな雪。
「……また、降ってる」
私は窓に手をついた。
指先の温度で、白く曇った景色が少しだけ滲む。
隣に立っている人が、
小さく息を呑んだのがわかった。
「今日も、思い出せない?」
やさしい声だった。
知っているはずの声なのに、
胸の奥がひりつくだけで、名前が出てこない。
「ごめんなさい」
謝る理由だけは、ちゃんと覚えている。
この人は、
忘れてはいけない人だった。
きっと、
何度も笑い合って、
同じ時間を重ねて、
泣きたい夜も隣にいた人。
なのにもう、
顔を見ても、思い出が結びつかない。
写真を見ても、
アルバムの中の私は確かに笑っているのに、
どうして笑っているのかわからない。
忘れるたびに雪が降る。
最初は粉みたいに軽かった。
次は靴が埋まるくらい。
今はもう、街の色が全部消えてしまうほど。
「……寒く、ない?」
その人が聞く。
不思議だった。
こんなに降っているのに、
私は少しも寒くない。
きっと、
大事なぬくもりから順番に、
なくなってしまったから。
「あなたは、どうして泣いているんですか?」
気づいたら、そう言っていた。
その人は笑おうとして、
失敗したみたいな顔をした。
「君が、忘れていくからだよ」
胸がぎゅっとした。
意味はもう理解できないのに、
その言葉だけが痛い。
忘れたくて忘れているわけじゃないのに。
「……私、あなたが大切だったことは、わかるんです」
覚えていられる最後のもの。
名前も、声も、
触れられた指先の感触も消えたのに、
そ れだけが、しぶとく残っている。
「それで、いい」
雪が強くなる。
視界が白く、白く、閉じていく。
「あのね」
私は、目の前の知らない人に微笑いかけた。
きっともう、 これが最後だから。
「あなたが、誰かはわからないけど」
泣いている理由も、
隣にいる理由も、 もう何も知らないけど。
それでも。
「こんなに悲しい顔をさせるくらい、
私はあなたが好きだったんですね」
その人の唇が震える。
声にならない何かが、
白い息になって空に溶ける。
やがて私は、
やさしく頭を下げて、
初めて会う人にするみたいに、
少しだけ距離を取った。
雪は降り続く。
まっさらで、
救いみたいに残酷な色。
「……はじめまして」
そう言った私に、
その人は、
泣きながら頷いた。
コメント
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𓏸解説
主人公ちゃんは記憶喪失で、大切だった思い出も、大切だった人の名前も、全部雪のように、真っ白な記憶に埋もれてしまった、、 ※いつも考察してごめんなさい