テラーノベル
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勇斗の家の前まで来たはいいものの、インターホンを押す指が少しだけ震えていた。時刻はもう、夜の九時を回っている。
仕事帰り、勢いだけでタクシーに飛び乗り、ここまで来た。
「……何やってんだろ、俺」
自嘲気味に呟く。
でも、このまま帰ったら、明日も、明後日も、あいつのあの避けるような目を見なきゃいけない。
そんなのは耐えられない。メンバーとして、相方として。……それ以上に、今の俺には、あいつの沈黙が毒みたいに胸に回っていた。
ピンポーン、と無機質な音が鳴る。
数十秒の沈黙の後、バタバタと慌ただしい足音が聞こえて、ドアが勢いよく開いた。
「……え、仁人!?」
そこにいたのは、さっきまで現場で俺を避けていた男、佐野勇斗だった。
部屋着のスウェット姿。セットを落とした無造作な髪。
驚きで目を丸くしている勇斗を、俺は冷めた目で見据えた。
「お邪魔しますよ、佐野さん」
「ちょ、待っ……!」
制止を振り切って、リビングへと上がり込む。
勇斗の部屋は、相変わらず整理されているのか散らかっているのかよく分からない、あいつらしい空間だった。積雪は見られないようで少し安心した。
俺はソファにどかっと腰を下ろし、腕を組んで、立ち尽くしている勇斗を睨みつけた。
「……お前の思う恋愛って、相手を無視して傷つけることなんだ。へぇー、斬新だね。勉強になりますよ」
嫌味たっぷりに言うと、勇斗は「うっ……」と呻いて、視線を泳がせた。
さっきまでの勢いはどこへやら、デカい体を縮こまらせて、近くの椅子に腰掛ける。
「いや……あの、違うんだよ」
「何が違うの。今日一日、俺がどんな気持ちだったか分かる? 挨拶すらまともにできないなら、あんな宣言すんなよ」
「ごめん。……ごめんって。でもさ、よく考えたら俺、恋愛とかしたことないし……。昨日あんなこと言った後、急に『え、恋人って何すればいいの?』ってパニックになっちゃって……」
勇斗は頭を抱えて、もにょもにょと話し出した。
「仁人の顔見たら、なんか変に意識しちゃって。……今まで通り接しようと思えば思うほど、どうしていいか分かんなくなって……。考えすぎて、気づいたら避けてた。マジで最低だよな、俺」
「……はぁ?」
思わず、大きな溜息が出た。
あんなにかっこつけて「俺が教えてやる」なんて言っておきながら、ただの自爆かよ。
バカ。本当にバカだ、こいつ。
「……別にさ、いきなりイチャイチャしたいわけじゃないけどさ」
俺は少しだけトーンを落として、膝の上で手を握りしめた。
「……避けられるのは傷つきますよ、流石に。俺、お前に嫌われたのかと思ったんだから」
語尾が少しだけ震えたのは、計算じゃない。
自分でも驚くほど、あいつに拒絶されるのが怖かったんだ。
「……仁人」
勇斗が顔を上げた。その瞳には、さっきまでの困惑じゃなく、確かな後悔が滲んでいた。
「ごめん。……本当にごめん。傷つけるつもりなんて、これっぽっちもなかったんだ」
勇斗が椅子から立ち上がり、俺の隣に座った。
ソファが沈む。
勇斗の大きな体温が、すぐ近くにある。
「……やり直させて。俺、ちゃんとお前に向き合うから」
「……どうやって」
「レベルの低いやつから。……まず、慣れていこう」
勇斗が、ゆっくりと右手を差し出してきた。
「……繋いで、いい?」
俺は黙って、自分の左手を差し出した。
勇斗の大きな手が、俺の手を包み込む。
指を一本ずつ絡める、いわゆる「恋人繋ぎ」。
……これくらい、撮影で何度もやった。
ライブの演出でも、バラエティのノリでも。
でも、今の静かなリビングで、勇斗の節くれ立った長い指が俺の指の間に食い込んでくる感触は、今まで知っていたどんなものとも違っていた。
「……熱いね」
俺が呟くと、勇斗の手がピクッと震えた。
「……お前も、冷てぇよ」
冗談めかして言い合うけど、繋いだ手からは、ドクドクと速い拍動が伝わってくる。
これが勇斗の鼓動なのか、俺のものなのか、もう区別がつかない。
「次は……ハグ」
勇斗の声が、少し低くなった。
繋いでいた手が離れ、代わりに大きな腕が俺の背中に回る。
ぐいっ、と引き寄せられて、俺は勇斗の広い胸板に顔を埋める形になった。
「……っ」
思わず息が止まる。
デカい。やっぱり、こいつはデカいんだ。
俺だって男だし、世間一般からすれば小さい方じゃない。でも、勇斗の腕の中に収まると、自分がひどく華奢になったような錯覚に陥る。
勇斗の胸から伝わってくる、力強い心音。
柔軟剤の匂いと、勇斗自身の微かな体温の匂いが混ざり合って、鼻腔をくすぐる。
勇斗の腕が、少しだけ力を増した。
「……仁人、いい匂いする」
「……お前、キモい」
「はは、照れんなよ」
軽口を叩きながらも、俺の心臓はもう限界だった。
こんなの、練習なんかじゃない。
本物の恋愛より、よっぽど心臓に悪い。
勇斗がゆっくりと体を離した。
でも、腕は俺の肩に置かれたままで、顔の距離は数センチしかない。
勇斗の瞳が、じっと俺の唇を見つめている。
その熱っぽい視線に、逃げ出したくなるのと、もっと触れられたいと思う矛盾した感情が渦巻いた。
「……仁人」
「……何」
「キス……してみる?」
勇斗の顔が、さらに近づいてくる。
逃げる隙なんて、いくらでもあったはずだ。
でも、俺は石になったみたいに動けなくて、ただゆっくりと目を閉じた。
触れたのは、ほんの一瞬だった。
羽が触れるような、柔らかな感触。
……でも、勇斗はそれで終わらせてくれなかった。
一度離れた唇が、今度は角度を変えて、深く重なる。
「ん……っ」
勇斗の大きな手が俺の後頭部を支え、逃がさないように固定した。
驚くほど柔らかい唇。そこから入り込んできたのは、熱くて、湿った、あいつの舌だった。
「ふ、ぁ……っ!?」
不慣れな感触が口内を侵食して、脳がパニックを起こす。
無理、何これ。
どうすればいいのか分からなくて、思わず勇斗のシャツを強く掴んだ。
勇斗の舌が、俺の舌をなぞり、絡めとる。それだけじゃなく、あいつの熱い舌先が、俺の上顎の敏感なところをヌルリと撫で上げた。
背筋を電撃が走ったような衝撃。
逃げ場のない口内で、執拗に粘膜を擦り上げられる感覚に、腰の力が抜けそうになる。
その時、自分の口から漏れた声に、俺自身が一番驚いた。
「は、ぁ……っ、ん……ぅ……」
高くて、震えていて。
まるで女の子みたいな、無意識に可愛こぶっているような、聞いたこともない自分の声。
それが静かな部屋に響いて、恥ずかしさで頭がどうにかなりそうだった。
ようやく唇が離れた時、銀色の糸が、二人の間に細く伸びた。
「……はぁ、はぁ……っ」
俺は肩で息をしながら、潤んだ目で勇斗を見上げた。
勇斗も同じだ。頬を赤く染めて、少しだけ呆然とした表情で俺を見ている。
今の、何……。
ただの練習でしょ。
なのに、どうしてこんなに全身が熱くて、痺れてるんだ。
勇斗が震える指先で、俺の唇をなぞった。
「……今の声、可愛い」
「……うるさい。……お前が、変なことするから……っ」
言い返そうとしたけど、声が掠れてうまく出ない。
メンバーとしての境界線が、音を立てて崩れていくのが分かった。
気まずさと、熱情。
お互いにどうしていいか分からず、数秒間の沈黙が流れる。
でも、勇斗の瞳の奥には、まだ隠しきれない熱が灯っていた。
勇斗が掠れた声で、囁くように言った。
「……仁人。もっかい、しとく……?」
その問いかけに、俺は拒絶する言葉を見つけられなかった。
むしろ、その言葉を待っていたような気さえして、俺はまた、静かに目を閉じたんだ。
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お待ちしておりました そして、更に続きが…気になります! 2人の関係のもどかしさがたまりません