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転校してきた殺し屋君 第1章:偽物の日常第2話:普通の日常
教室という場所は、殺し屋にとって情報の掃き溜めだ。 「凪君の席は、あそこの空いている席ね」 前川先生に促され、俺――凪浩一(なぎ こういち)は席に着いた。隣の席から「よろしくな!」と声をかけてきたのは、指谷(さしや)ホルビーという快活な少年だ。
「よろしく」 短く返し、俺は無意識に彼の顔をスキャンする。瞳の色、骨格、肌の質感。 「……一つ聞いていいか? 親御さんのどちらか、フィリピンの方?」 「えっ!? そうだけど……なんで分かったんだよ!?」 指谷が椅子を鳴らして驚く。組織での訓練のせいで、俺の目は嫌でも人間の遺伝的なルーツを見抜いてしまう。 「……親戚に似ている人がいただけだ」 「なんだ、びびらせんなよお前!」 危ない。つい「普通」の基準を忘れて口を滑らせてしまった。
一時間目の休み時間。男子トイレで同期の黒蜜(広島玄白)と接触する。 「調査の役割を決めよう」 黒蜜が手短に切り出した。俺が3年生全員、黒蜜が1・2年生、藤堂(水原)が全職員を洗う。 「……ところでさ」 黒蜜が蛇口を閉め、鏡越しに俺を見た。 「なんでボスは、お前一人じゃなくて俺たち三人を入れたんだろうな。お前一人で片付く任務だろ?」 「さあな。だが……この学校には、俺たち三人がかりでも足りない『裏』があるのかもしれない」 俺がそう言うと、黒蜜は少しだけ顔をこわばらせ、先にトイレを出て行った。
次の時間は、校庭での体育だった。 昨日までの地獄のようなマット運動が終わり、今日からはサッカーだという。 「よっしゃぁぁぁーーー!!」 男子連中の喜びようは異常だった。 海沼という生徒は、まるで戦争が終わったかのように泣き崩れ、ある者は某海賊漫画の主人公のように跳ね、ある者は十人で肩を組んで踊っている。 (三ヶ月もマット運動をやってたのか……? 組織でそんなことされたら、二秒で暴動が起きるぞ) ランニング中も、前の組が「マジカルバナナ」を叫びながら走っている。 「バナナと言ったら黄色!」「黄色と言ったらピカチュウ!」「ピカチュウと言ったら十万ボルト!」「走る俺たちは、ウサイン・ボルトー!」 「真面目に走れ!」という小曽根先生の怒号が飛ぶ。 これが……これが「普通の中学校」なのか? 俺の常識が音を立てて崩れていく。
数日後。給食の時間。 今日の献立は「ししゃもの海苔塩揚げ」だ。 席替えで隣になった海沼玲亜(かいぬま れあ)は、お椀に具のない味噌汁を少しと、牛乳だけを置いて黙っていた。 俺の鋭すぎる耳は、彼女が小さく呟いた「ありがとう」を聞き逃さなかった。先程ハンカチを拾ってやった時の礼だ。周りからは「お礼も言えない変な奴」と思われているようだが、彼女の声は、誰よりも震えていた。
「おい、玲亜!」 突然、怒鳴り声が響いた。黒藤奏(くろふじ かなで)だ。 「味噌汁残ってんぞ! 全部飲めよ!」 「ごめん、もうお腹いっぱいで……」 「言い訳すんな! 早く飲め!」 海沼をいびる黒藤の声が、俺の耳に不快なノイズとして刺さる。 「おい、奏。それくらいにしろ」 俺が口を挟むと、黒藤は顔を真っ赤にして睨んできた。 「なんだよ、お前には関係ねーだろ!」 「関係ある。食事中に大声を出されると、食べ物の味がさらに不味くなるんだ」 俺は立ち上がり、黒藤の目を真っ直ぐに見据えた。 「海沼が残しているのを責める前に、自分はどうなんだ? お前も毎日残しているだろ。お腹いっぱいならまだしも、好き嫌いで残しておいて他人に強要するのは、礼儀知らずだ」 「……チッ。お前みたいな、父親だけの家庭のクズが偉そうに……!」
その瞬間、俺の中で「凪浩一」という仮面が剥がれ落ちた。 空気が凍りつくような低い声が、俺の口から漏れる。 「おい。今、なんて言った?」 「やってやるよ! お前みたいな――」 黒藤が言い切る前に、俺の拳が彼の鼻梁に叩き込まれていた。 「グビッ……!?」 鈍い音とともに黒藤が吹き飛ぶ。加減はしたが、殺し屋の「癖」が出てしまった。
「痛いか。鼻の骨が折れる感触はどうだ?」 俺は見下ろす。鼻血を流しながら震える黒藤。 「被害者ぶるな。お前がこれまで踏みにじってきた連中の痛みは、そんなもんじゃない」
教室内が騒然とする中、教頭先生が駆け込んできた。 終わった。……確実に退学だ。ボスの顔が浮かび、俺は来世はラクダになろうと心に決めた。 ところが――。 「君の言うことは正しい」 教頭先生は、床に転がる黒藤を冷たく見下ろした。 「黒藤君。君の素行については、以前から多くの苦情が来ています。万引き、器物破損……学校への請求額は、すでに五百万円を超えている。君と、君に加担していた者たちは今日から半年間の停学処分……いや、それ以上の処分も検討します」
翌日。 登校した俺を待っていたのは、ボスからの叱責ではなく、クラスメイトたちの「感謝」だった。 「凪、サンキューな!」「あいつ、マジで嫌われてたんだよ!」 次々と声をかけられ、俺は困惑するしかなかった。
(……あいつ、嫌われすぎだろ)
殺し屋としてではなく、一人の生徒として感謝される。 それは、鉄の味しかしない俺の日常に、ほんの少しだけ違う味が混ざったような……そんな不思議な感覚だった。
(つづく)
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