「シエル」のエントランスでは、ランタンが灯っている。
空間中が、優しい暖色で満ちている。
ランタンと言っても、キャンプなどで使うものではなく、空に飛ばすような形のものだ。
その小さな明かりが、何個も置かれている。
なぜそんなものが突然現れたのか。
それは、旅人を弔うため。
6人で花火を見た3日後、優吾が、空へと旅立った。
ここではそういう人たちを「旅人」と呼ぶ。そしてその日の夜、一晩中こうしてランタンが灯される。
昨晩も、煌々と柔らかな光は輝いていた。
優吾がいなくなった寂しさを紛らわそうと、樹はジェシーの部屋に向かう。
誰かに来てほしかった、と言って嬉しそうに迎えた。
外は雨。空までもが、死を悼んでいるようだ。
しとしとと降る雨音が聞こえる中、ジェシーはベッドの上で何やらグラスを傾けていた。
「…ん? 何飲んでるの?」
「見ての通り、赤ワインだよ」
グラスの中身は、深紅のワインだった。
「え、飲んでいいの?」
入院中はもちろんアルコールはダメだったし、身体に悪いと思っていた。
「うん、ここでは基本自由だからね。でもね、これ普通のワインじゃないんだよ」
「え?」
「モルヒネ入り」
と言って笑った。
「ちょっとしんどいときとか、モルヒネをほんの少し溶かしたやつを飲むと楽になるんだよね。身体が楽になると心も楽になる。一石二鳥だよ」
ワイン苦手じゃない? と聞かれてうんと答えると、新しいグラスに注がれたワインを渡された。
一口含むと、芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
「モルヒネ入ってるなんて思いもしないね」
「でしょ」
2人して、そっとワインを傾けた。しばしの静寂のあと、
「最初からわかってたことなのに、悲しいよね」
ジェシーが口を開く。樹はそのやや悲しそうな瞳を見返した。
「ここにいる時点で、いつかいなくなるってことはわかってた。それは誰もが同じ。でも、あともうちょっと一緒にいたかった、そばにいてほしかったって思うのはエゴなのかな」
樹は静かに首を振る。
「…ううん。俺もそう思うよ」
ジェシーは樹を見やった。
「せっかく出会った人なのに、あっけないよね。儚すぎるっていうか。あとほんの少しでいいから、時間があればよかったのに…」
と言ってから、ふっと笑った。
「…ま、俺らに時間なんてそんなにないんだけど…」
ジェシーは黙って聞いている。
「…美味しいね、このワイン」
「だよね。これ、瀬戸内のぶどうから作られてるんだって」
「へえ、そうなんだ。どうりで美味しいわけだ。ワイン好きだから、もっと早くに飲んでみたかった」
「でも、今でこそ特別な味がするよね。最後まで味わい尽くそうって思える」
確かに、と樹は笑った。
「……ちょっと俺眠たくなってきた。マスターに言ったらワイン出してくれるよ」
「そっか、ありがとう。じゃあ戻るね」
おやすみ、と言ってドアを閉めた。
ジェシーが空へ優吾の後を追いに行ったのは、その夜のことだった。
雨は上がり、月が綺麗に姿を見せた夜であった。
続く
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!