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どれくらい眠っていたのか、ドラコには分からなかった。
最初に意識へ戻ってきたのは、熱ではなく、柔らかさだった。
地下室の石床とは違う。
硬く冷えた長椅子とも違う。
身体の下にあるのは沈み込む寝台で、頬に触れているのは乾いた枕布だった。空気も違う。冷気ではなく、火の気のある部屋の匂いがする。薬草と煎じ薬と、少しだけ古いリネンの匂い。
ドラコはまぶたを開けようとして、そこで喉の奥が焼けるように痛むことに気づいた。
息を吸うだけで苦しい。頭も重い。全身にまだ熱の名残がこびりついている。だが、地下室のあの冷え切った鈍さではない。
「坊ちゃま」
小さな声がした。
視界がゆっくり定まる。
寝台の脇に、あの年老いた屋敷しもべ妖精がいた。目を赤くして、両手で布を握りしめている。寝台の足元には湯気の立つボウルが置かれ、暖炉には火が入っていた。
ドラコはそれを見て、ようやく理解した。
地下室から出されたのだ。
「……何日」
声はほとんど掠れていた。
妖精はすぐには答えられず、ただおろおろと首を振る。
「坊ちゃま、今はお休みくださいませ。お話は、どうか、お体が」
ドラコは目を閉じた。
何日かという問いに、自分で答えられないことが嫌だった。地下室で時間を落としてきたことが、今になって現実の重みを持つ。
だが、身体はその嫌悪感に付き合ってくれなかった。
起き上がろうとした瞬間、視界が黒く揺れ、妖精の悲鳴に近い声が上がる。
「駄目です、坊ちゃま!」
ドラコは小さく息を吐き、そのまま再び枕へ沈んだ。
熱は引ききっていない。手足にはまだ力が戻っていない。喉は痛み、頭の芯には鈍い重さが残っている。それでも、地下室のあの底なしの冷えと比べれば、ここはほとんど別世界だった。
数日、ドラコはその部屋で看病を受けた。
煎じ薬を飲まされ、眠り、汗を拭われ、薄いスープを少しずつ口に入れた。
窓には分厚いカーテンがかかっていて、外の景色は見えない。だが、朝と夜の明るさの差だけは分かる。人間はそれだけで、自分がまだ時間の中にいると知ることができるのだと、ドラコは妙に冷静に思った。
母は二日目に来た。
ナルシッサはひどくやつれていた。
頬が少しこけ、唇の色も薄い。髪は整えられていたが、その整い方がかえって無理を感じさせた。ドラコの顔を見た瞬間、彼女の目にはっきりと安堵が浮かんだ。
「ドラコ」
その呼び方だけで、ドラコは胸の奥が痛んだ。
ナルシッサは寝台のそばへ来て、そっと額へ手を当てた。
昔から変わらない手つきだった。熱を測る時も、子どもの頃に悪夢で起きた時も、彼女はいつもまず額に触れた。
「熱はかなり下がっているわ」
声が少し震えていた。
「本当によかった……」
その一言が、地下室では聞けなかった種類の響きを持っていて、ドラコは一瞬だけ目を逸らした。
泣きそうになったからだ。体調が戻りきっていないせいもある。人は弱ると、普段なら耐えられる種類のやさしさにひどく脆くなる。
「母上」
ようやくそれだけ言うと、ナルシッサは小さく笑った。
だがその笑顔の奥に、何か硬いものが残っているのをドラコは見た。
本題がある。
そう分かった。
その予感は、回復したと判断された日の夕方に現実となった。
ルシウスが部屋へ来たのである。
寝台脇の椅子に座ることもなく、父はただ部屋の中央へ立った。
相変わらず整った装い。相変わらず冷たい輪郭。だがドラコには、それが地下室へ閉じ込められる前よりさらに遠く見えた。
ナルシッサも同席していた。
彼女はドラコの枕元に立ち、手を組んでいる。緊張が伝わる。部屋の空気は静かすぎた。
ルシウスは前置きなく言った。
「婚約を整えた」
ドラコは、一瞬意味を理解できなかった。
「……何」
「お前の許嫁だ」
ルシウスの声は平板だった。
「名家の令嬢だ。家柄に申し分はない。躾も教育も行き届いている」
一拍置く。
「話はほぼまとまっている」
ドラコの中で、何かが急速に冷えた。
熱の名残とは違う。
もっと内側の、血そのものが一瞬止まる感覚だった。
「父上」
声がうまく出ない。
喉の奥がまだ痛い。だが、それ以上に言葉が形を取らなかった。
「冗談ですよね」
ルシウスは眉一つ動かさない。
「私はこの状況で冗談を言う趣味はない」
そこでようやく、事態が現実として落ちてきた。
婚約。
許嫁。
話はまとまっている。
ドラコは寝台の上で半身を起こそうとして、脇腹に鋭い痛みを覚えた。病み上がりの身体が追いつかない。それでも起き上がらずにはいられなかった。
「嫌です」
はっきりと言った。
言った瞬間、自分でも驚くほど声が震えていた。
ナルシッサが目を閉じる。
ルシウスはただ息子を見下ろしている。
「却下だ」
「父上!」
「感情的になるな」
「感情的にもなります!」
ドラコの呼吸が乱れる。
「勝手に決めないでください。そんな話、僕は」
「お前の意見を求めているのではない」
その言葉はあまりにあっさりしていて、逆に残酷だった。
ドラコは寝台の縁を強く掴んだ。
指先が白くなる。
「僕の人生です」
「だからこそだ」
ルシウスの目が冷たく光る。
「お前に任せておけば、どこへ転がるか分かったものではない」
その一言で、ドラコの胸の中の何かがひどく音を立てた。
任せておけない。
信用できない。
正しい道を選べない。
父が言っているのはそういうことだ。
ナルシッサがそこで、ようやく口を開いた。
「ドラコ」
その声は静かだった。優しいが、優しさだけではない。
「今は、これがいちばん丸く収まるのよ」
ドラコは信じられない思いで母を見た。
「母上まで」
「分かってちょうだい」
ナルシッサは苦しげに言う。
「今のままでは、あなたはもっと酷い立場へ追い込まれる」
その目には涙の気配があった。
「家にも、あなた自身にも、これ以上の傷がつく前に」
「傷がつく前に?」
ドラコの声が裂ける。
「もう十分だ!」
その叫びは、病み上がりの喉にはきつすぎた。
咳がこみ上げる。肺が痛い。だが止められない。
「父上は僕を地下室へ閉じ込めた!」
ドラコは息を切らしながら言う。
「ホグワーツにも戻らせないって言った! 今度は、何もかも勝手に決めて、僕にまともな顔で受け入れろと言うんですか!」
ルシウスは少しも揺れなかった。
その揺れなさが、ドラコをさらに追い詰める。
「お前は今、正常な判断ができない」
「できます」
「できていない」
ルシウスは一語ずつ区切る。
「できている人間は、家名を危険にさらす選択を“情”で正当化したりしない」
ハリーのことだ。
その名をあえて出さないところに、父の明確な拒絶があった。
口にする価値もない。そういう切り捨て方だった。
ドラコは息を吸った。
胸が苦しい。頭もまだ少し熱い。だが、ここで黙れば全部終わると分かった。
今まで、父にここまで逆らったことはない。
反発はしても、どこかで折れてきた。恐かったからだ。父を怒らせることも、見捨てられることも、ずっと恐かった。
でも今は、恐怖より先に別のものがあった。
失いたくない。
その一点だけが、今の自分を立たせていた。
「僕は」
ドラコは必死に声を整えた。
「父上が思っているよりずっと、自分が何をしているか分かっています」
喉が痛む。だが止まれない。
「分かったうえで、あの人を選んでいる」
ナルシッサの顔からさらに血の気が引く。
ルシウスの表情は変わらない。
ただ、眼差しだけがさらに冷えた。
「選んでいる?」
「そうです」
その返事をした瞬間、ドラコの身体の奥を恐怖が貫いた。
言ってしまった。父の前で、隠しようもなく。
足が震える。喉が詰まる。それでも今さら引き返せない。
「僕は」
ドラコは低く、必死で続ける。
「父上の言う“まとも”を、もう信じられません」
その一言で、部屋の空気は完全に変わった。
ナルシッサが小さく息を呑む。
だがルシウスは怒鳴らなかった。
怒鳴らないことのほうが、今は恐ろしかった。
「なるほど」
ルシウスはゆっくり言った。
「ようやくそこまで来たか」
その言い方に、ドラコは一瞬だけ怯んだ。
だが、今の父の中には怒りだけではない、もっと根深い確信があると感じた。
ルシウスは静かに息を吐く。
「お前は、私を悪役にしたいのだろう」
低い、落ち着いた声。
「自分の人生を奪う父。理解しない家。息子の望みを踏み潰す愚かな古い男」
そこでわずかに顎を上げる。
「結構だ。そう思うならそう思えばいい」
ドラコは父の目を見た。
そこには、迷いがなかった。
「だが、私は父親として正しいことをしている」
ルシウスの声は冷たい。しかし不思議なことに、どこか本気だった。
「息子が道を踏み外そうとしている時、それを引き戻すのが私の役目だ」
一歩、寝台へ近づく。
「お前が今それを憎んでも構わない。理解しなくてもいい。将来、お前が私を恨んだままでもかまわん」
静かに、しかし揺るがずに言い切る。
「それでも私は、お前を“まともな道”へ戻す」
ドラコはその言葉を聞いて、ぞっとした。
父は怒りに任せているのではない。
本気で、これが正義だと思っている。
息子に嫌われてもいい。憎まれてもいい。そうまでして、自分の信じる正しさへ押し戻すことが父親の責任だと、本気で考えている。
その確信こそが、一番厄介だった。
怒りなら揺らぐかもしれない。
感情なら変わるかもしれない。
だが、正義だと信じている人間は折れない。
「それは」
ドラコの声が震える。
「僕の望まない人生です」
「今のお前には判断できない」
「できます!」
「できない」
ルシウスは断言する。
「お前は今、欲望と反抗心と幻想を混同している」
その言葉が、ドラコの胸を抉った。
欲望。
反抗心。
幻想。
ハリーとの関係を、その三つで切り捨てられることが、息ができないほど苦しかった。
「幻想なんかじゃない」
初めて、ドラコの声に涙が混じった。
隠そうとしても無理だった。
「僕は、あの人といる時だけ」
そこまで言って、喉が締まる。
「……安心できるんです」
ナルシッサが顔を背けた。
ルシウスだけが、まっすぐに息子を見ていた。
「なら尚更だ」
淡々と返す。
「一人の人間に安心を依存するなど、未熟で危険だ」
そして容赦なく続ける。
「お前は、救われたがっているだけだ」
その一撃で、ドラコはしばらく何も言えなかった。
図星ではない。
少なくとも、全部がそうではない。
でも、まったく否定できない部分がある。ハリーのそばでだけ、胸の奥のざわめきが静まる瞬間があった。安心したことのない自分が、ようやく少し呼吸できる場所を見つけた気がした。
それを父は、一言で依存だと言った。
正しいのかもしれない。
だからこそ苦しい。
「……それでも」
ドラコは枕元を握りしめる。
「それでも、僕は」
そこから先が出ない。
好きだと、愛していると、そんな言葉は父の前で口にできなかった。口にした瞬間、何か大事なものまで汚される気がした。
ルシウスはそれを最後まで待たなかった。
「話は終わりだ」
ナルシッサが一歩前へ出る。
「あなた」
だがルシウスは首を振った。
「これ以上、情に流されるつもりはない」
その声は疲れていた。
「私は父親としての義務を果たすだけだ」
そう言って踵を返す。
ナルシッサはその背中を見つめ、次にドラコを見た。何か言いたそうだった。だが結局、何も言えなかった。
扉が閉まる。
ドラコはその場で、初めて心の底から理解した。
父とは、分かり合えない。
怒りの強さではない。
価値観の根の深さが違う。
父にとっては、愛も、自由も、安心も、「正しい形」の外にあるかぎり、矯正されるべき異常でしかない。
ドラコは寝台の上で、しばらく動けなかった。
喉が痛い。頭も重い。だが、それ以上に、胸の奥のどこかが冷え切っていた。
一方その頃、ハリーは八方塞がりだった。
マクゴナガルから得た情報は曖昧で、スネイプは意地でも口を割らない。梟を飛ばしても返事はない。マルフォイ家に直接手紙を送っても、おそらく握りつぶされるだけだろう。
そこでハリーが思いついたのが、ドビーだった。
自由なしもべ妖精なら、マルフォイ家の様子を探れるかもしれない。
そう思った瞬間には、もう呼び出していた。
ドビーはすぐ現れた。
相変わらず大きな目を見開き、ハリーのことを敬意と熱意の入り混じった顔で見上げる。
「ハリー・ポッター様がドビーをお呼びです!」
「ドビー、頼みがある」
ハリーは膝を折って目線を合わせた。
「ドラコのことを調べてほしいんだ。マルフォイ家に戻ってから、何の連絡もない。無事かどうかだけでも知りたい」
ドビーの耳がぴくりと動いた。
そのあと、いつもより少しだけ慎重な顔になる。
「ドビーは……」
珍しく言葉を選ぶ。
「マルフォイ家の魔法は、昔よりもっと厳しいです。しもべ妖精でも、簡単には入れないです」
ハリーの胸が冷えた。
「でも、方法はあるだろ?」
「ドビー、何度か試しました」
その声には悔しさが滲む。
「けれど屋敷の境界で弾かれます。中のしもべ妖精とも、うまくお話できません。みんな怯えていて……」
ハリーは思わず立ち上がった。
「怯えてる?」
「はい」
ドビーは小さく頷く。
「何か、悪いことが起きているです。でも、はっきり分からないです」
悪いこと。
その四文字だけで、ハリーの頭の中の何かが一気にざわついた。
「ドビー、もう一回試して」
「試します」
ドビーは即答した。
「何度でも」
それから少しだけ耳を伏せる。
「でも、もし駄目だったら……ハリー・ポッター様、他の方法を考えてください」
その言い方が妙に切実で、ハリーの焦燥は一段深くなった。
そしてドビーは、その日も、その翌日も、決定的な情報を持ち帰れなかった。
見えない。
届かない。
何か起きている気配だけはあるのに、それ以上が分からない。
ハリーは二晩まともに眠れなかった。
頭の中で最悪の想像ばかりが膨らむ。地下室、拘束、父親の怒声、ドラコの蒼白な顔。どれも証拠のない想像なのに、何ひとつ笑い飛ばせない。
ついに三日目の夜、ハリーは地下牢へ向かった。
もう遠慮も何もなかった。
スネイプが嫌いだろうが、利用されたくなかろうが、そんなことはどうでもいい。知っている人間がいる。なら、聞き出すしかない。
魔法薬学教室の扉を開けると、スネイプはまた一人だった。
この男はまるで最悪のタイミングでいつも一人だ、とハリーは本気で思った。
「先生」
スネイプが顔を上げる。
「まだ来るか」
「お願いします」
その一言に、スネイプの眉がわずかに動いた。
ハリーは構わず前へ進む。
「もう、意地悪はやめてください」
声が掠れている。自分でも分かる。
「先生は知ってる。知ってて黙ってる」
さらに一歩。
「お願いです。ドラコが無事かどうかだけでも教えてほしい」
スネイプは冷たく言う。
「それがお前の頼み方か」
「何でもします」
その言葉が口をついて出た瞬間、ハリーは自分の誇りがどうこう言っている場合ではないと改めて悟った。
スネイプの目が細くなる。
「安いな」
「安くていい」
ハリーは食い下がる。
「笑いたければ笑ってください。でも、もう本当に分からないんです。ドビーでも無理だった。マクゴナガル先生も何も知らない。先生しかいない」
声が震える。
「お願いだから、教えてください」
そこで初めて、スネイプの表情に本当の不快さとは違うものが混じった。
それは困惑ではない。もっと厄介な、見たくないものを見た時の翳りだった。
ハリーは気づかず、さらに言った。
「僕、あいつにひどいことをしたんです」
喉が熱い。
「最後に会った時、やっと少し話せたのに、そのあとまた何もできなくて」
一歩、また一歩と机へ近づく。
「もしこのまま何も知らないまま、取り返しがつかなくなったら」
そこまで言って、ハリーは止まれなかった。
机の前で膝をつきそうになるのを、かろうじて堪える。
だがその姿勢だけでも、十分すぎるほど必死だった。
「先生」
今度は、ほとんど縋る声だった。
「無事かどうかだけでも」
息が乱れる。
「お願いです」
静寂が落ちた。
地下牢の空気は冷たい。
薬品の匂い。蝋燭の火。石壁の沈黙。
その中心で、スネイプは長いこと何も言わなかった。
ハリーの肩が小さく震えている。
怒りではない。恐怖と焦燥で、自分でも制御しきれていない震えだ。
スネイプはそれを見ていた。
見たくない、とどこかで思った。
かつて誰にも届かない場所で何年も燻り続けた、あの手遅れの感情を思い出させるからだ。知るのが遅い。動くのが遅い。なのに、いざ本気で失う気配が見えた瞬間だけ、こうして無様なほど必死になる。
愚かだ。
あまりにも愚かしい。
そして、その愚かさを嘲るには、ハリーの今の顔は少し切実すぎた。
スネイプはゆっくり目を閉じ、短く息を吐いた。
何かが、そこで折れた。
「……立て」
低い声だった。
ハリーが顔を上げる。
スネイプは相変わらず仏頂面のまま、机から離れる。
「ひとつ言っておく」
その声には、いつもの皮肉がほとんど戻っていた。戻っているからこそ、逆に本気だと分かる。
「これを話したからといって、お前にどうにかできる保証はない」
ハリーはかすかに息を呑んだ。
「それでも聞きます」
「だろうな」
スネイプは暖炉の火もない教室の中央で立ち止まり、振り返る。
「ミスター・マルフォイは屋敷へ呼び戻された」
淡々としていた。
「監督生に選ばれなかったこと、最近の成績、その他諸々を理由にな」
一拍置く。
「そこで、お前との関係が父親に露見した」
ハリーの顔から血の気が引いた。
スネイプは容赦なく続ける。
「父親は激怒した。ミスター・マルフォイをホグワーツへ戻さないと決め、地下へ閉じ込めた」
その眼差しは冷たいままだ。
「二週間だ」
ハリーの喉が鳴った。
何も言えない。
頭の中で“地下へ閉じ込めた”という言葉だけが、何度も何度も反響する。
スネイプの声は淡々と続く。
「時間の感覚を失った。体調を崩した。高熱を出した」
一語ずつ、事実だけを並べる。
「まともに食事も取れず、最後は起き上がれない状態だった」
そこでほんの僅かに顎を引く。
「しもべ妖精がようやく外へ出した」
ハリーはその場で息ができなくなった。
目の前の景色が少しだけ揺れる。
二週間。
地下室。
高熱。
起き上がれない。
自分がその間、何をしていたかを思うと、胸の内側がひどく痛んだ。
ただ待っていた。休暇だろうと勝手に楽観していた。少し不審には思っても、もっと早く何かできたかもしれないのに。
「……っ」
声にならない。
スネイプはその顔を見ても、慰めるようなことは何一つ言わなかった。
ただ、いつも通りのぶっきらぼうさで最後に言った。
「今は暖かい部屋にいる」
それだけだった。
「まだ死んではいない」
ハリーはそこでようやく、細く息を吸った。
死んではいない。
たったそれだけの言葉に、情けないほど救われている自分がいた。
同時に、そこまで落ちた状況でなければ安心材料にならないことが恐ろしくてたまらなかった。
スネイプは目を逸らした。
「聞きたいことは以上か」
ハリーは答えられなかった。
聞きたいことなら山ほどある。
今どうしているのか。
会えるのか。
助けに行く方法はあるのか。
でも今は、まず“二週間の地下室”という事実だけで頭がいっぱいだった。
それでも、無理やり口を開く。
「……先生」
声が震える。
「もっと早く、教えてくれれば」
スネイプの目がすっと細くなる。
「そうだな」
その返事は、肯定でも謝罪でもなかった。
ただ、冷たい事実としてそこへ置かれた。
ハリーは唇を噛んだ。
責めたい。だが責める資格があるのかも分からない。もっと早く気づけたかもしれないのは、自分も同じだからだ。
スネイプは最後に短く言う。
「焦るのは勝手だ。だが今からやることを間違えるな」
それは助言にも命令にも聞こえた。
ハリーは震える指を握りしめ、ようやく小さく頷いた。