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第3話 意外と楽しそう
廊下から見えた顔の男子生徒――斎賀敦(あつし)。
後ろを刈った黒髪短髪に、目が合った綾菜に向けた笑顔は爽やか。
綾菜、そして夕子の中学時代の知り合いである。
だが、よくしゃべっていた、よく一緒にどこかへ行った、などといったことは一切ない。
本当に、ただの「元クラスメイト」だ。
(なんだけど! 下に弟と妹がいるって話は知ってるけど……あの穏やかで優しい物腰でいられるのがすごい……)
以前一度だけ同じクラスになったときの印象が、今でも綾菜の中の斎賀敦を印象的なものにしていた。
――ようするに、綾菜の片思いの相手である。
(でもなんで笑いかけられたんだろ今……あの感じなら、話しかけてもいいのかな)
すでに廊下に敦の姿はない。
「綾菜ちゃん?」
「へ?」
「どうかした? もしかして飛鳥馬くん来たとか?」
「ち、違うちがうそんなんじゃない!」
口では否定した綾菜だったが――
(でも、このままでいいの? 不毛な相手から言い寄られて逃げ回るだけで……)
そう自分に対して思った瞬間――綾菜は席を立っていた。
「! 綾菜ちゃん?」
「やっぱり何でもあった。ちょっといってくるね」
「え」
(ごめんね、夕子――!)
長女気質である綾菜は、日ごろから甘えてくる夕子に対して弱みを見せられないところがあった。
そのため、敦に対する淡い想いのことも話していない。
そのため状況がわからず目を見開いた夕子を置いて、綾菜は廊下に出た。
敦の背中は、廊下の数メートル先に見える。
(今から追うのはちょっと不自然かなぁ……変に思われたらどうしよう……いやでも)
不安に思いながらも、綾菜は歩みを止めなかった。
だが――
「お? もしかして俺のお出迎え?」
聞き慣れたくはなかったが、すでに聞き慣れたとしか言いようのない声が綾菜に突き刺さった。
振り返らなくても綾菜には――その声の主が司郎だということに気づいていた。
徐々に、またあのギャラリーができつつある。
綾菜は確固たる意思を持って振り返った。
「朝も来たばっかりなのに、さっきの今で返事は変わらないです! 以上!」
「俺まだ何も言ってないよ?」
「じゃ、そういうことで!」
司郎の言葉には一切反応せず言いたいことだけ言うと――綾菜はその場から全力疾走を開始した。
「あ、廊下走るとあぶねーぞー」
(知ったことか! もう一回いつもの茶番に付き合ってるんだから見逃して!)
背中にのんびりした司郎の声を聞きつつ、綾菜は足を止めなかった。
――全力疾走、およそ数十秒。
(斎賀くん通り越して何やってんの私は!)
息が上がりきった綾菜は、人影の少ない廊下の端っこで一人、座り込んでいた。
司郎が追ってくる様子はない。
むしろ他の生徒たちに捕まったのかもしれない。
(なんだかんだで人気者だしな……もう放っておいてほしい……あいつに会わなかったら、斎賀くん追い越して廊下の端まで走りきるなんてバカなことしないで済んだのに……)
変な悔しさに、綾菜はリノリウムの床を叩こうと少し手を振りかぶった。
そのとき。
「鈴野さん、大丈夫?」
「……!?」
一瞬の間の後、綾菜は勢いよく顔を上げた。
するとそこには、心配そうに綾菜を覗き込んでくる――斎賀敦の姿があった。
(え、え、なんで!?)
「なんかすごい急いで走ってたみたいだけど……足ケガした?」
「あ、えと、だ、だいじょうぶ……全力疾走してちょっと……つ、疲れただけだから!」
(いい人……!)
「そっか」
敦の返事の後しばらく、沈黙が落ちる。
遠くからは休み時間をまだ堪能する生徒たちの声が騒がしく聞こえてきた。
「……なんか、すっかり有名人だね。鈴野さん」
「……へ」
「さっきも、『いつもの人』に追いかけられたんじゃない? 教室の近くにいるの見たし」
「!」
(あ、だからさっき笑ってたのか)
廊下で司郎の姿を見て、さらに教室にいる綾菜の姿を見たから、敦はその後の展開を想像して笑っていた、ということらしい。
「そ、そうなんだ……だからつい全速力で……」
(って、元々は斎賀くんに話しかけようとして廊下出てきたのに! なんでこんなことに!)
と、綾菜はそこまで考えて。
(え、ちょっと待って……)
ようやく、ここであることに気づく。
「あ、あの、斎賀くん」
「なに?」
「も、もしかして……その、今まで私が飛鳥馬くんに絡まれてたところとか……見たことあったり……」
「うん」
(あああやっぱりぃぃぃ! ほんと最悪……!)
「……鈴野さん?」
絶望のあまり再び膝を床につく綾菜に、再び心配そうに声をかけてくる敦。
「まぁ、実際に付き合うかどうかは別として……でもなんか、意外と楽しそうだよね」
「!? え、楽しそうって誰が」
「鈴野さんと飛鳥馬くん」
「っ……!」
(これって……まずい)
瞬間、夕子にも似たようなことを言われたのを思い出した綾菜は。
(このままだと誤解される……まかり間違って私があいつのこと好きとかってなったら……私色々立ち直れない……!)
――何かのスイッチが入ったかのようなキビキビした動きで立ち上がった。
「ほんっと誤解だから……私は飛鳥馬くんのこと何とも思ってないし、むしろここまできっちり断ってるのに諦めない飛鳥馬くんが意味わからないって感じ!」
「なかなか容赦ないなー」
「結構本当に迷惑してるから……」
「あー……だとしたら、見て楽しむのも悪いか。ごめん」
「あ、いや、斎賀くんが謝ることは……!」
「でも……これただの勘なんだけどさ」
言いつつ、敦は肩越し軽く振り返る。
綾菜もつられて、その視線の先を探った。
廊下のだいぶ離れたところに、司郎の姿が見えた。
視線は周りにいる生徒たちに向いており、楽しそうに笑っている。
「本当に、心から嫌だったら……きっとやめてくれると思うな。だから、本気で耐えられないってなったら、直接本人に言うといいよ」
「……え?」
「まぁホント、勘なんだけど。俺、何回か鈴野さんたちのこと見てたけど……鈴野さんが本気で終わらせたくなってんじゃないかなーってときは、割とすんなり引いてる気がしてさ」
「そう、なの……?」
(言われてみれば、今はもう追いかけてこない……毎日必ず顔見せにくるからしつこいはしつこいけど……最初みたいに休み時間のたびにとかじゃないし、本気で逃げたときは逃がしてくれてたような……)
「よくわかんないけどさ。仲良くなりたいからやってることではあるんじゃないか。まぁもちろん鈴野さんが本気で嫌なら、やめるべきだと思うけど」
困ったような笑みを浮かべながらそう告げる敦。
(いい人……ほんといい人……!)
感動でむせび泣きそうになるのを、綾菜は内心で留める。
「……なんか、ありがとう」
「ん? 何が」
「あの状況が嫌なら、もっとちゃんと言うべきだよね! 言ってもらえて決心がついた!」
「そっか。あのやり取り見れなくなるのはちょっと残念だけど」
「……そんなに見てるのも面白いものなの?」
「うん」
(そう嬉しそうにハッキリ言われるとなぁ……いやでも)
「中学の頃の鈴野さんとは違った、新しい一面発見、みたいな感じでさ」
「!」
(え、そんな、気にして……くれてたの……!?)
「……」
「……」
一瞬沈黙するも、お互いへらっと笑い合う。
「んじゃまたな」
「う、うん! また!」
笑顔のまま、二人は手を振って別れた。
「……」
敦の姿が見えなくなって。
(今日は何、て、天国……!?)
再びその場に座り込んでしまう綾菜なのだった。
「……」
「……」
そんな姿を、鋭い眼光で見つめる人影があることに、このときの綾菜は気づきようがなかった。
次回へつづく