夕暮れ時。
「喜びで世の中が明るくなるって本当なのだな」と思いながら、泣きそうな顔で素振りや打ち込み稽古に励む隊士たちがいる大きな屋敷の中を見渡す。 肌寒い風が吹くと、屋敷の周りの木々が静かに揺れてざわざわと心地よい音を奏でる。その音を耳にしながら、緊張で暴れ回る心臓を落ち着けるように、私はゆっくりと息を吸った。
そんな私を、目の前の少年が怪訝そうに見つめている。
「……僕は鉄森穴さんだけにお願いしたはずなんだけど。」
『私と鉄森穴さんニコイチなんで!』
鉄穴森さんは、そう言ってにっこりと笑う私と「え?」とでも言いたげな表情で眉を顰める時透さんの顔を交互に見つめると、困ったように苦笑いを浮かべた。
───数日前 刀鍛冶の里にて
ここ、刀鍛冶の里の長である鉄珍様の座敷の端にどすんと腰を下ろし、膝を胸に寄せて足を下に折り曲げた状態で座りmそのまま自身の膝に顔をうずめて私は呟いた。
『私も時透さんのところに行きたいです』
もうかれこれ何時間も同じことを繰り返し言っている気がする。喉がびりびりと麻痺するような感覚にぼんやりとそう思った。
繰り返している内容はただ一つ。
“私も鉄穴森さんと一緒に時透さんの所へ行きたい”、ただそれだけ。
だが、どれだけ強く訴えても、懇願しても、鉄珍様の返事は「駄目」の一点張りで一向に首を縦に振ってくれない。しまいには「しつこいすぎる」という理由で外出禁止令まで出てきそうになってきた。
『…時透さんのところ行きたいです』
もう一度言う。酷く掠れた声が膝に押し当てた自身の口元から静かに零れた。そんな私を見下ろし、鉄珍様は困ったように眉を顰めて大きく溜息を零した。それから先に続けられる言葉が簡単に予想出来てしまい、胸にじわりと憂鬱の色が広がっていく。
「何度言うたら分かるんや。駄目っちゅーとるやろ」
きっぱりと吐き捨てられたその言葉に体がしゅんっと冷えて、胸が細い糸で締め付けられたように痛む。納得できない…いや、納得したくない理不尽さに鼻の奥がじんと痺れた。 普段は比較的おちゃらけていて温厚な性格の鉄珍様だが、説教の時になると一変する。 里長らしい重い気迫に気圧され、石のように黙り込む私に、鉄珍様は続けた。
「遊びやないんや。言うたやろ、鬼の出現が減ったって」
「これから今まで以上に大きな戦いが起きるかもしれへんねんで。柱の方も忙しくなる」
そんな硬い声を最後にぷつんと会話が途切れ、どこか含みのある沈黙が私たちの間を流れる。そんな静かさが嫌で、何とか言い返してやりたいのに、唇は微動だにしない。私も、鉄珍様も、様子を見に来てくれた鉄穴森さんも、流れる空気の重さに身を任せるしかなかった。
こうなったら鉄穴森さんを脅して無理やりにでも連れて行ってもらおうかと考え始めた、その瞬間。
「……行かせてあげてもいいんじゃないですかね」
不意に、それまでおろおろと両手を空中でさまよわせていた鉄穴森さんが、ぽつりとそう言った。途端、その場にいた全員の視線が一斉にその言葉に向く。
「〇〇少女の刀鍛冶としての腕は大人顔負けですよ。実際に柱の方の刀も担当している」
鉄穴森さんはそう言うと、どこか誇らしげに微笑みで私を見つめた。その視線に、くすぐったいような淡い喜びを感じ、嫌な感情が詰まっていた頭が紙のように軽くなる。
「きっと時透殿も許可してくれるでしょう。私も居ますし」
年相応に落ち着いている穏やかな声が、私を庇うように優しく言葉を綴っていく。 そんな鉄穴森さんの言葉を聞いて、鉄珍様がまた大きな溜息を吐いた。先ほどとは違う、どこか諦めを含んだ音に、自然と期待で目が輝いていく。
「……絶対に柱の方の邪魔したらあかんで。邪魔してもうた思ったらすぐ帰ってきぃや」
ついに、降参と言いたげに両手を軽く宙に上げながら、鉄珍様がぽつりと言葉を落とした。
その瞬間、胸の中に突き上げるような喜びが駆け抜け、限りない幸福感が体中に溢れ出す。
『ありがとう、鉄穴森さん!』
勢いのまま鉄穴森さんのもとへ駆け寄り、感謝を言うと「いえいえ」といつも通りの穏やかな笑みを浮かべて優しく頭を撫でてくれた。
そうして、今に至る。
「……そう。わかった」
にこにこと笑う私に、時透さんは呆れとも困惑とも捉えられるような声でそう告げると、木刀を握って早々と隊士の方たちの方へと向かっていった。
『……ふぅ』
こうして鉄穴森さんとの同行許可を無事に貰えた私は、高鳴る心臓を落ち着かせようと何度も息を吸って吐く。だが、好きな人にようやく会えた興奮はなかなか収まらなかった。
「夢見るような眼差しでしたよ。時透殿を見つめる貴方の目」
不意に、鉄穴森さんがいたずらっ子のような明るい声で私に言う。ひょっとこの面をかぶっている彼の表情は分からないが、きっと声色通りの無邪気な笑みを浮かべているのだろう。
『…えへへ』
簡単に見透かされた恋心にパッと顔が破裂してしまいそうなほどの恥ずかしさを抱きながらも、私は幸福感をかみ締めるように小さく笑みを零した。
翌日。
強い陽射しが道場の床板を照らす昼下がり。柱稽古の一環として、時透さんの前には数人の隊士が、緊張した面持ちで立っていた。
「……反応が遅い、攻撃が避けられたら死ぬと思いながら動いて」
「はいッ!」
「そこ、呼吸が乱れてる。もっと落ち着いて」
「は、はいっ……!」
そんな、声だけで厳しいということが分かる稽古が行われている屋敷から少し離れている小屋、そこで私と鉄穴森さんは時透さんや稽古中の隊士の方が使う刀を研いでいた。
『はぁ~~~……時透さんかっけぇ~~~……』
「はいはいさっさと手を動かしてくださいね」
鉄穴森さんが慣れたようにそう言葉を返してくる。だが、そんな言葉も聞こえてこないくらい、少し先に居る彼の背を目で追いかけ、私はごくりと息を呑む。
やっぱり時透さんはすごい。
こちらが相手の気配を捉えた瞬間に時透さんはすでに刀を振るっている。 霞のように姿を消すと、相手が反応する間もなく、その背後を木刀で叩く。グッと呻き声をあげて倒れこむ相手を冷酷に見つめ、また次の攻撃に移る。その動きには一切の躊躇いも無駄もない。ひと振りで相手の重心を見抜き、次の瞬間には木刀の柄がきれいに相手の胴へと入っている。
「…はい、死んだ」
淡々とした声。
だが、その一言で場の空気はぴんと張り詰めた。 打ち倒された隊士が息を切らしながら頭を下げている。時透さんは頷くだけで、それ以上の言葉はない。無理に叱咤することも、甘やかすこともしない。ただ、必要な技術と心構えを淡々と教えていく。
そんな周りとは違う大人びた姿に、どうしようもなく心が震え、手のひらがじっとりと湿る。
淡々と言葉を零し、当たり前のように常人には真似できない動きを繰り返していく時透さんから視線をそらすことができず、ただ彼の動きに釘付けになって叫びだしてしまいそうになる自分が怖い。
『恋って恐ろしいですね鉄穴森さん』
「うちの嫁の話聞きます?」
『大丈夫です』
はっきりと断りを入れたというのに始まる鉄穴森夫婦の長い惚気話を、適当な相槌を打ちながら聞き流し、目の前の刀を研ぐことだけに集中する。
そっと手に取った刀の古びた鞘をゆっくりと押し上げると、ひんやりとした金属の冷たさが豆だらけの自身の指先に触れる。刀身は赤茶色の錆がこびりついていた。その錆のついた部分を湿らせた砥石の上に置き、丁寧に滑らせていくと、しゅ、しゅと風が空気を裂くような音とともに、錆に覆われていた刀身が目を覚ますように少しずつ輝きを取り戻していく。
この刀が、私の研ぐ刀が、少しでも時透さんの役に立つといいな。
そんな淡い思いを抱きながら、私は鉄と焦げ臭いにおいの籠る小屋に意識を没頭させた。
コメント
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うわぁぁぁやっばい‼️‼️恋する乙女は可愛いもんだね🥹🥹 ほんとにくろ文才ありすぎ😫💗
もうすぐ大きな戦い始まっちゃう😢恋愛ってほんとにタイミングって言うよね💕︎