テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第三章 氷晶と炎音
第一話 白銀に閉ざされた夜
雪が降っていた。
静かで、冷たい夜だった。
大陸の北側に位置し、ほぼ一年中雪と氷に覆われている国、
フィルディア。
その日は満月だった。
王城の大きな窓から見えるのは、
雪原を白銀に染める月明かり。
夜空に浮かぶ満月はあまりにも美しく、まるで世界を優しく見守っているようだった。
王城の一室、
まだ幼い少年が暖炉の前に座っていた。
美しい銀色の髪と瞳が、暖炉の火を赤く映している。
膝の上には本。
けれどその視線は何度も、隣に横たわる白狼へ向かう。
「リュカ」
呼びかけると、白狼はゆっくり顔を上げた。
金色の瞳。
けれど最近は、その瞳の奥の光が弱々しく見える。
純白の毛並みも、少し艶を失っていた。
昔は、誰よりも速く雪原を駆けた。
吹雪の中を走り回り、少年を背に乗せて遠くまで連れて行ってくれた。
けれど今は違う。
食事を残すことが増えた。
立ち上がるのも辛そうな日がある。
散歩へ行っても、
すぐに休みたがるようになった。
少年は知っていた。
侍医達が何度も部屋へ来ていたこと。
父王や母が難しい顔で話していたこと。
そして、偶然聞いてしまった会話。
『老衰です』
『長くはないでしょう』
その言葉が、胸の奥へ棘のように刺さっていた。
信じたくなかった。
リュカは家族だ。
兄弟だ。
友達だ。
生まれた時から、ずっと一緒だった。
だから、いなくなるなんて考えたくなかった。
少年は本を閉じる。
そしてリュカの隣へ移動した。
白い毛並みにそっと触れる。
リュカは安心したように目を細めた。
「ねぇ」
小さく呟く。
「春になったらまた雪原へ行こうね」
白狼は答えない。
けれど尻尾だけが、一度小さく揺れた。
それが嬉しくて、少年は少し笑う。
「約束だからね」
その時だった。
窓から差し込む満月の光が、
リュカの身体を照らした。
純白の毛並みが銀色に輝く。
けれど。
ほんの一瞬だけ、少年は違和感を覚えた。
床へ落ちた影が、ゆらりと揺れた気がしたのだ。
まるで生き物のように。
「……?」
首を傾げる。
だが次の瞬間には元へ戻っていた。
気のせいだろう。
そう思った。
その時。
部屋の扉が開く。
「ジュウタロウ、まだ起きていたの?」
優しい声だった。
振り返ると、母が立っていた。
白銀の髪を揺らしながら、
穏やかに微笑んでいる。
「お母さま」
王妃はジュウタロウの隣へ腰を下ろした。
そしてリュカを見る。
その瞳に、ほんの少しだけ寂しさが宿る。
けれどすぐに消えた。
「リュカも眠そうね」
「うん……」
ジュウタロウは俯く。
少し迷ってから、小さな声で尋ねた。
「……お母さま」
「なあに?」
「リュカは……大丈夫だよね?」
王妃の表情が僅かに揺れる。
けれど彼女は優しく微笑んだ。
温かな手が頭を撫でる。
「ええ」
柔らかな声。
「きっと大丈夫よ」
その言葉に、ジュウタロウは小さく頷いた。
本当は不安だった。
怖かった。
けれど母がそう言うなら。
信じたかった。
やがて夜も更ける。
ジュウタロウは寝台へ入り、
リュカもいつものように傍へ横になった。
大きな身体から伝わる温もり。
聞き慣れた呼吸。
安心する匂い。
ジュウタロウは白い毛へ顔を埋めた。
「おやすみ、リュカ」
返事はない。
けれど温もりはそこにあった。
何も変わらない明日が来る。
そう信じて、ジュウタロウは目を閉じた。
-–
異変に気付いたのは夜半過ぎだった。
「ヴゥゥゥ……」
低い唸り声。
荒い息遣い。
苦しげな呼吸。
「……リュカ?」
ジュウタロウは目を開く。
白狼が震えていた。
全身を痙攣させながら、苦しそうに喘いでいる。
「リュカ!」
慌てて起き上がる。
カーテンの隙間から差し込む満月の光。
その白い光が、
まるで導くようにリュカの身体を照らしていた。
「どうしたの……?」
近付く。
その時だった。
床へ落ちた影が揺れた。
ゆらり。
どろり。
黒い影が、生きているように蠢いている。
ジュウタロウは息を呑んだ。
影は満月の光に呼応するように、
ゆっくりとリュカの身体へ絡みついていく。
純白の毛並みを侵し。
身体へ染み込み。
飲み込むように。
「リュカ……?」
声が震える。
リュカが苦しげな咆哮を上げた。
その声は
まるで助けを求めているようだった。
黒い瘴気が部屋を満たしていく。
白い毛並みが黒く染まる。
身体が膨れ上がる。
牙が異様に伸びる。
金色の瞳は濁り、理性を失っていく。
「やだ……」
ジュウタロウの瞳から涙が溢れる。
「リュカ……リュカ……!」
何度も呼ぶ。
けれど返事はない。
もう、そこにいたのはリュカではなかった。
黒い魔物だった。
それでも、ジュウタロウは名前を呼び続ける。
「リュカ……!」
「リュカ!!」
黒い魔物がゆっくり顔を向ける。
濁った瞳。
剥き出しの牙。
そして
咆哮。
凄まじい瘴気が部屋を揺らした。
獣が飛びかかる。
ジュウタロウは動けなかった。
恐怖で身体が凍り付いていた。
その瞬間だった。
「ジュウタロウ!!」
扉が勢いよく開かれる。
飛び込んできたのは母だった。
王妃は迷うことなく息子を抱き締める。
同時に
黒い爪がその背を深く切り裂いた。
鮮血が舞う。
温かな血が、ジュウタロウの頬へ落ちた。
「お母さま……!!」
母の身体が震える。
苦痛に顔を歪めながらも。
王妃はジュウタロウを見つめた。
優しく。
いつものように。
微笑みながら。
震える手が、そっと頬へ触れる。
「……ジュウタロウ」
その声は掠れていた。
それでも
どこまでも優しかった。
「大丈夫よ……」
その瞬間だった。
ジュウタロウの中で、
何かが、音を立てて壊れた。
失いたくない……。
怖い……。
嫌だ……!
死なないで……!!
そして
轟音。
白銀の魔力が溢れ出す。
部屋中の温度が一気に下がる。
床が、
壁が、
空気が。
世界そのものが凍り付いていく。
銀色の瞳が青白く輝いた。
吹雪が生まれる。
存在するもの全てを凍らせるような、圧倒的な魔力。
黒い魔物を
壁ごと、王城の部屋ごと、
全て凍結させた。
そしてそれは、
轟音とともに砕け散った。
白銀の氷が舞う。
満月だけが
静かにその光景を見下ろしていた。
ーーー
やがて騒ぎを聞きつけた兵士達が駆け込んでくる。
「王子!!」
「王妃様!!」
彼らが見たのは
月明かりの中
血に染まって倒れる王妃と
吹雪の中心で静かに立ち尽くす王子の姿だった。
銀髪は白い魔力に舞い。
その瞳から涙は消えていた。
だだ、凍てつくような冷気だけが、部屋を満たしていた。
コメント
1件
読ませていただきました…。 リュカとの約束を信じていたジュウタロウの心境が、暖炉の火や月明かりの描写でとても繊細に描かれていて、胸が締め付けられました。母の「大丈夫よ」という台詞の後ろにある寂しさを思うと、もう…。そして最後の王妃の献身と、吹雪のような魔力の発露。美しくて、切なくて、でもとても残酷な夜でした。続きが気になります、comiさん…😢
#見て
.
22