テラーノベル
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寒い冬がきた。 初夏からずっと……。日に三度の食事のたび、エダから折檻を受け続けてきたリリアンナの小さな手は、袖をまくると幾筋もの痣に覆われていた。
服で隠れて見えないところを狙うのは、エダの狡猾さの表れだ。
井戸水で水仕事を繰り返していたため、荒れてところどころ切れて血のにじんだ手指に眉根を寄せながら、リリアンナは今日も懸命に洗濯物を屋外の物干し場へ干している。無残に伐り倒されたミチュポムの木の根があった場所は、今や切り株も完全に腐って、穴だけが残されていた。
それを見ると悲しい気持ちになる。
ここ最近は息をするのも億劫なくらい疲れ果てていて……いつ両親の元へ召されてもいいとすら考えるようになっていた。
と、不意に屋敷の入り口の辺りが騒がしくなって、リリアンナは物干しへ伸ばした手を止める。静かな昼下がりの庭まで、よく通る男性の声が聴こえてきた。
「こちらに、前ウールウォード伯爵のご息女、リリアンナ嬢がいらっしゃいますね?」
どうやら誰かが自分を訪ねてきたらしい。
どこか敬うような口調で自分のことを話されたのは何年振りだろう?
そう思うと、リリアンナは氷り掛けていた心の片隅に、ほんの少しだけれど木漏れ日が挿し込んできたような錯覚を覚えた。
その暖かさに引き寄せられるように、リリアンナは無意識に玄関の方へ向かって歩き出していた。
自分の名を呼ばわる男性のバリトンボイスに、どこか懐かしさを感じてしまうのは気のせいだろうか?
洗濯物を手にしたままフラフラと歩いていたリリアンナは、いきなり背後からグイッと手を引かれれ手にしていた洗濯物を落としてしまった。
「キャ……」
突然のことに悲鳴を上げそうになった口を、よく肥えた分厚い手が塞いでくる。ギュッと抱きすくめられた首筋を生暖かい呼気が撫でて、リリアンナは気持ち悪さにゾクリと肩を震わせた。
「リリアンナ、そんなに怯えなくても大丈夫だ。おじさんだよ」
リリアンナの口を封じたまま、華奢な姪の身体をギュッと抱え込むように抱き締めているのは、叔父のダーレンだった。
ダーレンに口を封じられたままのリリアンナの耳に、意地の悪い声が聴こえてくる。
「ああ。リリアンナ。確かにおりましたが、先月流行り病であっけなく……」
グスグスとわざとらしく鼻をすする音とともにそんな嘘の説明をしているのは、叔母のエダに違いない。その声に被せるように、従妹のダフネが「とても優しいお姉さまでしたのにっ」と、うわぁっと泣く声がする。
猿芝居にもほどがあるでしょう? ……とダーレンに口を塞がれたまま、リリアンナは呆れてしまったのだけれど。
「んんーっ……」
ダーレンの手がリリアンナのブラウスのボタンを数個外して襟口から挿し込まれるように胸へと伸びてきて、会話を聞くどころの騒ぎではなくなっていた。ゾワリと走った嫌悪感を伴う身の危険に、半ば無意識、思いっきり叔父を振り解いて突き飛ばしていた。
「あ、こらっ。待つんだ!」
無様に地べたへ尻餅をついた状態でダーレンが喚き散らすけれど、待てるはずがない。
リリアンナは訪問者がどんな人物かも分からないまま、それでもここにいる人間たちよりははるかにマトモに違いないと信じて、玄関へと向けて駆けだしていた。
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