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「なぁ荒木。一応聞いてみるんだが……。お前、風呂は自力で入れそうか?」
荒木羽理のアパートに着いてはみたものの、そのまま建物前で「じゃあな」と言う気になれず、彼女の腕を支えて一緒にエレベーターへ乗り込んだ大葉だ。
部屋の前まで来てモタモタと鍵を探す荒木に焦れながら問い掛けてみたら、酒で潤んだ熱っぽい瞳を向けられてドキッとしてしまう。
「ふぇ~? お風呂れしゅかぁ? 大丈夫れす。しゃわぁでササッとすませましゅのれ」
しゃわぁ、と言うのはシャワーのことだろうかとふと考えて。
本人はその気なんてないだろうが、余りに色っぽい視線に当てられそうで、思わず顔を逸らしつつも、
「立ちっぱなしで湯なんか浴びて、ふらついて転倒したらどうするんだ!」
などと、大葉はまたしても母親めいたことを言ってしまった。
かといって、温かいお湯を張って湯船に浸かったら、そのままブクブクと沈んでしまいかねないとも思ってしまう。
「あー、けどっ。風呂へ浸かるのもなしだ! 危なすぎる!」
「ふふっ。屋久蓑部長ってばホント心配性さんれしゅねー。良い奥しゃんになれしょうれしゅ♥」
腕の中でフラフラと揺れながら荒木がヘラリと微笑むのを見て、大葉は半ば無意識。(いや、妻になるのはお前だろ。俺は夫になりたい!)と思ってしまってから、「妻」「夫」と言う単語が妙に恥ずかしくなった。
(こいつが家にエプロン姿で、とか……悪くないかも知れん!とか……断じて思ってないからな!)
それで照れ隠し。
「こ、今夜は風呂なんぞ入らずそのまま寝ろ!」
つっけんどんにそう言い放ったら、荒木から盛大なブーイングを喰らってしまう。
「えぇぇー? 嫌れすよぅ。ベタベタして気持ち悪いのにぃ」
「明日早起きして入れば問題ない」
「ぶちょぉは髪の毛短いかりゃ分かんにゃいかも知んないれしゅけろぉ、長い髪は濡らしゅとなかなか乾かないんれしゅよぉ? 朝からドライヤーとか面倒っちぃじゃないれすか」
そんなことをしていたら遅刻しかねないとぷぅっと唇を膨らませる荒木を横目に、大葉は(可愛い顔はやめろ)と心の中でつぶやいて、溜め息を落とす。
「どうしても今から入るとか吐かすんなら俺が洗うぞ!? 良いのか!?」
わざとガシッと両肩を掴んで真顔で言ったら、さすがに酔っ払い娘もヤバイと思ったのか、「ひっ」とつぶやいて「き、着替えて寝ましゅ」と約束してくれた。
大葉は、なかなか手にした鍵が鍵穴へ刺せずにモダモダする荒木の覚束ない手元に苛立って鍵を奪うと、ガチャッと開けて彼女を支えたまま中へ入った。
「……合鍵はないのか」
靴を脱ぐのも怪しい荒木へそう声を掛けると、「何れれすか?」と至極まともな答えが返って来て。
「お前が向こうへ行くのを見届けたら、鍵を確実に閉めて帰るために決まってるだろ、馬鹿者め」
自分でも結構強引なことを言っているという自覚はある大葉だけど、酔った荒木は気付いていないらしい。
「ぶちょぉが鍵、閉めてくれりゅんれしゅか? 助かります」と言って、玄関脇にぶら下がったキーボックスから「702」と書かれたタグの付いたディンプルキーを手渡してきた。
「明日会社れ……」
返せということだろう。
「よろしくお願いしましゅ」
ヘラリと笑って敬礼する荒木に、「分かったから早く行け」とガラス戸の方を指さしたら、「ひゃーい」と返事をして、ズリズリと壁を擦りながら奥の方へと歩いて行った。
その姿を見送りながら、大葉は手のひらの鍵を宝物でも手に入れたみたいにギュッと握りしめる。
(必要だったから仕方なく、だ)
自分に言い聞かせるみたいに頭の中で思いながら……明日どう言い訳をしてこの鍵をそのまま手元に残すかを考えている自分の存在はひとまず無視することにした。
***
荒木羽理を下ろして一人、自宅へ向けて車を走らせながら、大葉はふと思う。
(そういえばアイツ、会社に車置いて帰ったんだよな。明日はどうやって出社する気だろう)
子供じゃないんだから、公共の交通機関を利用するなりタクシーを使うなりするだろうと思いはするが、気付いてしまったら妙に気になって。
(迎えに行ってやろうか?って聞くのも変だよな)
そもそも付き合ってもいないのに一緒に出社したりしたらまずいだろう、と至極まともな思考が脳裏を過ぎる。
(いや、……近場で下ろせば問題ないか?)
だがすぐそんなことを思ってしまう程度には、どうも荒木羽理のことが気になって仕方がない大葉だ。
(裸を見ちまったからか?)
やけに庇護欲を搔き立てられてしまうのは。
会社で見た荒木羽理と言う女性は、プライベートで目にした無防備な彼女よりはるかにしっかりして見えたのだけれど。
酔っ払った荒木は、見た目こそ出来る会社員といった綺麗な格好のままだったのに、中身は先日有り得ない状況で対面した時のぶっ飛んだ彼女そのもので。
倍相岳斗も荒木のあんな姿を見たんだと思うと、妙に落ち着かない気持ちになった。
(酔った荒木。アホみたいに可愛くて……危なっかし過ぎるだろ)
〝アホみたい〟ではなくアホそのものなのだが、荒木羽理に対してお花畑な大葉はそのことには気付けないまま、一人危機感を募らせる。
大葉の勘だが、倍相は荒木のことを憎からず思っている気がするからだ。
(そんな男の前で無防備に酔い潰れてんじゃねぇよ)
普通気になる男の前ではもっと配慮をするものではないのだろうか。
およそ大葉の中にある〝常識的な女性〟の言動には有り得ない動きをする荒木に、大葉ははっきり言って翻弄されまくり。
アルコールで潤んだ荒木の瞳と、上気した頬。
あれは本当に色っぽくてやばかった!と無意識に思ってしまってから、大葉は(これはきっと、酔っ払い女の酒気に当てられたに違いない)と思って。
そう考えてみれば、今ハンドルを握っている車内にもそこはかとなく荒木の纏っていた甘い芳香と酒のにおいが残っているようで、大葉は「マジか……」とつぶやいて、反応しかけている股間を意識した。
***
屋久蓑大葉は、帰宅するなりぴょんぴょんと飛び跳ねながら「お帰りなさい」をしてくれる愛犬キュウリに出迎えられて、デレデレで「ウリちゃんただいま」とその小さな頭を撫で繰り回す。
「ウリちゃん、パパが帰って来て喜んでくれるのは嬉しいけど……そんなに飛び跳ねたら駄目でちゅよ? 腰を痛めたら大変でちゅからね」
いつも通りやたら丁寧な幼児語でキュウリに語り掛けた大葉は、〝うり〟という響きに気付いた途端、照れ臭さに心臓をバクバクさせた。
「ウリちゃん、もしもお家に〝うり〟ちゃんがふたりになったらどうしまちゅか?」
ボソリと独り言のように問いかけてみたら、キュウリにキョトンとした顔で見上げられてしまう。
「いや、今の忘れて?」
はぁ~、と吐息をこぼしつつ……(風呂でも入ってシャキッとするか)と決意した大葉だ。
いつもより設定温度低めのぬるま湯を浴びれば、このよく分からないモヤモヤした感情もリセット出来るかも知れない。
(いっそ水でも浴びるか!?)
荒木羽理には別れ際、ちゃんと明朝風呂へ入るよう指示を出して来たし、よもや裸でこんばんは♥なハプニングは起こらないだろうと思って。
よくは分からないけれど、何となく……。
大葉は彼女と同時に入浴しなければ、あの妙な通路は開かれないんじゃないかと勝手に思っている。
(荒木の、あの綺麗な裸が見られないのはちょっぴり残念だな……なんて、これっぽっちも考えてないからな!?)と、車の中で彼女の香りを意識しただけで半勃ちになりかけた愚息を吐息交じりに見下ろして。
(何だってお前はあいつにはやたらと反応するんだ!)
きっとスッピンの顔立ちが思いのほか好みのド・ストライクだった上に、やたらと唆られるプロポーションだったから……以外に理由なんてありはしないのだけれど、今まであんな可愛い社員が同じフロアにいたのに気付けなかったのは痛恨のミスだと思ってしまう。
だって、きっと……そのせいで倍相岳斗に一歩も二歩も先を越されているのだから。
ふとそんなことを考えて(俺はバカか……)と自分をたしなめた大葉は、尻尾を振りながらずっと足元に待機しているキュウリの頭を再度ヨシヨシ、と撫でてやる。
「とりあえず……パパはシャワー浴びてきまちゅね……」
一人玄関先へ立ち止まったまま百面相をする主人を見上げてくる純粋無垢なキュウリの視線に居た堪れなくなった大葉は、足元の愛犬に別れを告げるとそそくさと脱衣所へ向かった。
***
「冷てっ!」
シャワー水栓本体部、温度調節ハンドルを水にして勢いよく頭から冷水を浴びた大葉は、その冷たさにギュッと身体を縮こまらせた。
季節は初夏。
確実に夏へ向かって日々気温が高くなっている昨今とは言え、直射日光の当たる場所でなし。
夜の風呂場で浴びるには冷水は冷たすぎた。
お陰様で熱を持ちかけていた愚息もキュゥッと縮み上がって自己処理をする手間は省けたけれど……。
(風邪ひいちまうわ!)
ほんのちょっとハンドルを回してぬるま湯が出るように切り替えると、大葉は自分を甘やかした。
シャンプーを適当に出してガシガシと髪を洗って……、頭に泡を乗っけたまま牛のマークの固形石鹸で全身を乱暴に清めてから……。
(上がるか……)
一気にシャワーで泡を洗い流してサッパリした身体から水滴を滴らせながらドアに手を伸ばした。
と――。
こちらから開ける前に勝手に扉が開いて。
「あれぇ? 屋久蓑部長? 何れまだうちにいるんれしゅかぁ?」
真っ裸の荒木羽理が水滴を滴らせ、フラフラしながら愛くるしい瞳でキョトンと大葉を見上げてきた。
(ちょっと待て。何でだ!!)
ぐわりと勃ち上がる息子に戸惑いながら、大葉が思わず声にならない悲鳴を上げたのは言うまでもない――。