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「……その、悪かった……です」
第三者の登場によって、頭に血が上っていた俺の思考が、ようやく冷静さを取り戻していった。
拳を握っていた手のひらがじんじんと痛い。怒りが引いた途端、代わりに押し寄せてきたのは、強烈な罪悪感だった。
挑発するような態度を取ったあの男も悪い。だが、先に手を出したのは紛れもなく俺だ。……納得はしていないけど、反省はしている。
「まぁ大方、コイツが気に食わねぇ態度取ったってとこだろ。……いつものことだ。相手をおちょくって、酒の肴にする節がある」
俺の拳を止めた男が淡々とそう言った。
静かな声なのに、妙な説得力がある。長い付き合いなのだろうと、自然に察してしまう。
「……おっと、自己紹介がまだだったな」
男はようやく俺の腕を離し、顎を軽くしゃくって言った。
「俺の名は、氷見零夜。……んで、こっちのバカ大将が廻谷敦だ」
「おい、“バカ大将”は余計だろ」
廻谷が苦笑混じりに肩をすくめる。その余裕たっぷりな態度が、さっきの怒りをまた少しだけ刺激した。
「……お前は?」
氷見の視線が俺をまっすぐ射抜く。無駄な感情のない、真っ直ぐで鋭い眼差しだった。
「……俺は、赤坂颯で、す」
声が思っていた以上に小さくなった。
室内に流れる独特の緊張感と、二人の圧に、胸がきゅっと締めつけられるようだった。
「赤坂、合格だ。お前も今日から俺の事務所の社員ってわけだ。……で、歳は?」
廻谷がこちらをじっと見て問いかけてきた。
急な“合格宣言”に呆気を取られながらも、俺は答える。
「……18です」
「ほぉ……やっぱりまだガキだな」
……殴りたい。非常に殴りたい。
……落ち着け、俺。
俺の表情を見て、廻谷が愉快そうに喉を鳴らした。
その時だった。
「……いい加減やめとけ」
ゴンッ!!
鈍い音が響き、廻谷の頭に見事なコブが形成された。
氷見が、呆れ半分・怒り半分といった絶妙な顔で、拳を振り抜いていた。
「いだだだだっ! テメェ、氷見!! 何しやがんだ!!」
大きなコブを押さえながら、廻谷が氷見を睨みつける。
その様子はまるで子供の喧嘩のようで、さっきまでの不敵な空気が一瞬で台無しだ。
「いや、手が滑っただけだ。問題ない」
氷見は涼しい顔で自分の艶のある黒髪をかきあげ、不敵な笑みを浮かべた。
だが、その翡翠色の瞳はまったく笑っていなかった。
……疲れた。
なんなんだ、コイツら。
それが、俺の率直な感想だった。
あれからすぐにコブを治した廻谷によって、俺は事務所の業務内容についての説明と確認を受けることになった。
「化け物たちと戦うにあたって、テメェの“得物”を見つけなきゃなんねぇんだが……。赤坂、何か特技あるか?」
「……特技?」
不意に投げられた言葉に、思わず聞き返してしまう。
言われるがままに頭の中を探ってみるが、何も思い浮かばなかった。運動神経が抜群というわけでもないし、勉強が得意なわけでもない。
「特に……ない」
少し気まずさを覚えながらそう答えると、廻谷は苦笑を漏らした。
「別にそんな大層なもんじゃなくていい。……じゃあ好きなもんは?」
好きなもの……?
それも、すぐには出てこなかった。
俺は無言のまま視線を彷徨わせる。それを見て廻谷は腕を組み、少しだけ真面目な顔つきになる。
「……じゃあ、お前が“一番記憶に焼き付いて離れないもの”は?」
その言葉に、脳裏にあの夜の光景が一瞬で蘇った。
血の匂い。母の声。あの女の、裂けた口。そして──
「……鋏」
絞り出すような声だった。
あの女が、母を殺した時に手にしていたもの。それが、俺の中で最も深く刻まれている“記憶”だった。
「……そうか」
廻谷は一瞬だけ、何かを考えるような目をしたあと、ふっと笑い、俺の頭をくしゃりと撫でた。
その仕草に、ほんのわずかだが心の緊張がほどける。
まるで、「それでいい」と肯定されたような気がした。
「お前の得物は──鋏だな」
廻谷の言葉に、俺は思わず眉をひそめた。
「……鋏で戦うのか? どうやって……」
呟きに反応したのは、すぐ隣にいた氷見だった。
「別に、ただの鋏で戦えなんて言うわけないだろ。……特注だよ、特注」
そう言って氷見は、無駄のない動きで自分の太腿に固定されたホルスターへと手を伸ばす。
カチャリ、と軽い音を立てて取り出されたのは、一見するとごく普通の拳銃だった。
「ただの拳銃に見えるだろ?……でもな」
氷見はその場でふっと目を細め、銃口を軽く上に向けた。
そして、誰にも聞き取れないほど小さな声で、何かを呟いた。
ほんの一瞬、唇が微かに動いたのを俺は見逃さなかった。
空気がわずかに震えた気がした。
「──ほら、この通り」
次の瞬間、拳銃の形がぐにゃりと歪み始めた。
金属が生き物のように形を変え、銃身が伸び、パーツがせり上がっていく。
まるで鋼鉄に命が吹き込まれたようだった。
一瞬で、それは拳銃とはまったく異なる形──アサルトライフルにも似ているが、どこか異様で異質な、見たことのない銃へと変貌していた。
無骨さと滑らかさが混在するフォルムは、人間の作った兵器というより、まるで“何か”と融合しているようだった。
「これが……」
「“呪具”だ」
氷見が銃口を軽く下ろし、当然のように言った。
「怪異を相手にするには、こういう“異能”を持った得物じゃなきゃ話にならねぇ。お前の鋏も、ここで仕立てる」
正直、何が何だか分からなかった。
ただの拳銃が、あんなヤバそうな見た目の得体の知れないモノに変わるなんて──誰が想像できるだろうか。
けれど、ここで取り乱すわけにはいかない。
せめてもの虚勢で、俺は理解したふりを装った。
「……そう、ですか。……氷見さんは、何を呟いていたんだ?」
恐る恐る問いかけると、氷見は一瞬だけ視線を寄越し、淡々と答えた。
「──“真名”。聞いたことあるだろ? 物にも名を名づけるんだ」
真名……どこかで聞いたことがあるような響きだったが、具体的な知識は何もなかった。
俺が考え込んでいると、今度は廻谷が、氷見の説明に続くように口を開いた。
「テメェの得物の“名前”を、他人に知られるのは御法度だ。……たとえ仲間でもな」
「仲間……でも……?」
「あぁ。万が一……いや、億が一を想定して動け。じゃねぇと、簡単に足をすくわれるぞ」
その声はいつもの軽さとは打って変わって、妙に低く響いた。
廻谷の視線は、俺ではなく、どこか遠くを見つめている。
まるで──過去の何かを思い出しているように。
その表情に、軽口ばかり叩いていた男の“本当の顔”を垣間見た気がした。