萌夏ちゃんがいなくなってから十日。
遥は毎日のように電話で話をしているらしいが、相変わらず会えない日が続いている。
きっと心配で仕方ないんだろうに、それでもいつも通り仕事に出てくる遥を俺はすごいと思う。
「それで?」
リビングのソファーに座り、機嫌が悪そうに俺を見るおじさん。
そろそろ何か言われるだろうとは思っていた。
必要もないのに平石建設に出向き、用事もないのに礼のそばをうろついているんだから。
「お前は何をしたいんだ?」
「何をって・・・」
おじさんはいつもそうだ。
俺がどんなことをしでかしても、「で、お前はどうしたい?」と俺の意志を確認する。
決して頭ごなしに叱ったりしない。
それはどんな事件を起こした時も一緒で、学校に呼び出されても、警察に補導されたときだって俺の気持ちを聞いてくれる。
「遥が呼んでいるわけじゃないよな?」
「もちろん」
この非常時に自分の気持ちを必死に抑えて、完璧なまでに業務をこなしている遥が、俺にヘルプを求めるはずがない。
あいつはそんなに弱くはない。
「じゃあ、お前の意志で毎日うちに顔を出しているんだよな?」
「そう、なりますね」
「それで?」
仕事が終わったら家に来いと言われた時点で、言い訳なんてできないとわかっている。
それでも、こんな風に面と向かって聞かれると・・・
「ったく、誰が言いつけたんですか?」
つい、いつものわがままが出てしまった。
***
毎日のように平石建設に行っているのは認める。
褒められた行動ではないとも思う。
それでも、与えられた仕事はすべてこなしている。
朝早く行って昼休みもとらずにきちんとやっているし、外出の時だって常に連絡はとれるようにしている。
「今ここで、誰が告げ口したのかが重要か?」
おじさんのあきれた顔。
「いいえ。しかし、」
悔しいじゃないか。
やるべきことはやっている。
仕事をしないことへの文句なら、もっと他に言うべき相手はいるはずだ。
年功序列で上がってきた取締役のじいさんたちは日中一日デスクに座っているだけだぞ。
となると、この話を持ち出したのは雪丸さんだろうか?
彼は遥の側近として常に側にいる。俺がチョロチョロとうろつけばきっと目障りだろうから。
「坂田じゃないぞ。あいつはそんなことを言う奴じゃない」
確かにそうかもしれない。俺だって仕事のサポートをすることはあっても、遥の邪魔をした覚えもないし。
「史也だ」
「ああぁー」
忘れていた。
HIRAISIの統括本部長。HIRAISIを影で動かす男。
三崎史也さんかあ。
彼なら苦言の一つぐらい言いそうだ。
「それで、どうなんだ?」
「えっと・・・与えられた仕事はしています。文句を言われる覚えはありません。しかし、」
「しかし?」
「最近HIRAISIにいないのは事実です」
「うちに入り浸っているって?」
「ええ、まあ」
「女性を追いかけることに熱心で仕事に身が入っていないのは、陸仁さんのご指導ですか?と抜かしたぞ」
「それはまた」
随分はっきりと言ってくれる。
とても三崎さんらしいが。
「まあ、史也の言うことも一理ある。空、仕事とプライベートの区別はわきまえろ。人から文句を言われないような行動をとれ。そもそも簡単に心のうちをさらけ出すんじゃない」
おじさんの息子のような存在としてHIRAISIに行ったからには、俺の評価はおじさんに帰ってくる。
それを自覚しろってことだろう。
「すみません、気を付けます」
俺は素直に頭を下げた。
***
「それで、お相手はどんな方なの?」
数か月ぶりに帰った実家のマンションで、母さんの手料理を前にさあ食べようとなった時母さんが口を開いた。
「まだちゃんと付き合っている訳ではないんだ。時期が来たら紹介するから」
本当に、めんどくさい人が告げ口してくれたものだ。
礼の気持ちがはっきりするまでは黙っていたかったのに。
「お、餃子かあ。旨そうだな」
「ええ、珍しく三人そろったし。それに、二人とも好きでしょ?」
ホットプレートにぎっしりと並んだ餃子。
俺もおじさんも母さんが作る餃子が好きだ。
確か遥の家のおばあ様直伝って言っていたっけ、平石家の味ってわけだ。
「じゃあ、いただこうか」
「「いただきます」」
小さいころから夕食は三人で食べていた。
どんなに忙しくても夜になればおじさんが帰ってきて、夕食を食べ、小学生の頃は一緒にふろに入り勉強を見てくれた。
母さんは口やかましくてすぐに小言を言うけれど、おじさんはいつも俺の味方で笑ってくれていた。
「うん、やっぱり旨いな」
焼きあがった餃子を頬張るおじさん。
俺も習って餃子を口に入れ、ビールを開けた。
「あら、飲まないの?」
おじさんの前のビールが開いてないのに気付いた母さんが声をかける。
「ああ、仕事を少し持って帰ったんだ」
「そう」
きっとおじさんは忙しいのに、俺のために無理して帰ってきたんだろう。
こうなるのが嫌だから、おじさんとの関係は隠して一般入社を希望したんだが・・・
つい出そうになった愚痴もビールとともに飲み込んだ。
***
三人で夕食を囲みながら、子供の頃を思い出していた。
先日来大地とかかわるようになったからかもしれないが、おじさんとのことを思い出す機会が増えた。
「川田さんとうまくいっていないのか?」
「え?」
食事が終わり、母さんが片づけのために台所に消えてからおじさんが聞いてきた。
「大丈夫です、嫌われてはいません」
ただ、色々と踏み切れないみたいだ。
「お前たちだけの問題じゃないんだ。子供の気持ちも考えてやらないとな」
「そう、ですね」
大地とはいい関係を築いていると思う。
兄貴のように慕ってくれているし、男同士で話しやすいのか学校でのこともよく話してくれる。
ダメだぞと注意すれば不満そうにしながらでも言うことを聞く。
でも、これは仲のいい近所のお兄さんだからなのかもしれないと思う。
一緒に暮らす家族となれば、そう簡単にはいかないだろう。
「ビジネスも子育ても同じだ。正解はないんだから、自分の信念をちゃんと持て。親がブレれば子供は気づくし、そうなればついてこなくなるぞ」
「わかっています」
血のつながらない俺をおじさんがどうやって育ててくれたかを見てきたんだ。
そう言えば、いつも俺の味方になってかかばってくれていたおじさんに一度だけ叩かれた記憶がある。
あれは確か・・・
***
中学年の頃だったか。
小学校で友達とうまくいかなくなり、公立の中学に進学した俺は勉強もせずに遊んでいた。
もともと勉強は嫌いではなかったし、勉強なんてしなくてもわかるんだという思いがあった。
そういえば、今の大地と似ているのかもしれないな。
学校には行くものの授業は出たりさぼったり、時には街に逃げ出して補導されることもあった。
そんな時もおじさんはいつも俺の味方で、ヒステリックに叫ぶ母さんとの間に入って俺をかばってくれた。
聞くところによるとおじさんも若いころはやんちゃだったっていうから、きっと強いことが言えなかったのかもしれない。
そんなある日、ちょっとした事件が起きた。
ちょうど夏休み。
中二の夏休みなんてみんな遊び惚けている頃、俺も例外ではなく普段からつるんでいた仲間の家を泊まり歩いていた。
母さんからはひっきりなしに電話が入っていて、それがうざくて電源を切ってしまった。
「なあ、花火しようぜ」
それは誰が言ったのかもわからない言葉。
「「「いいなぁ、やろう」」」
その場にいた仲間達も賛成した。
スーパーで花火を買い、暗くなるのを待って近くの河川敷で火をつけた。
楽しかった。
みんなで騒ぎ、盛り上がっていた。
あの時までは・・・
***
「ワァー」
花火を初めて二十分ほどたった時、叫び声が聞こえた。
慌てて振り向くと仲間の一人が火だるまになっていて、地面を転がっている。
「おい、早く消せ」
みんな怒鳴るけれど、誰も近づくことができない。
俺自身も、完全に直立不動で見ていることしかできなかった。
それから1時間後。
近くの救急病院。
火だるまになった友人と、煙を吸った俺たちは救急搬送された病院にいた。
当然警察も来てそれぞれの家に連絡し、保護者が駆けつける。
母さんとおじさんも病院へやってきた。
あっ。
救急外来の出入り口に駆けこむ母さんを見てまた叱られるのかと肩を落とした。
何日も家に帰っていなかったし、電話も切っていたし、叱られる要素しかないんだが、素直に謝れる気分ではなかった。
警官と救急隊員と白衣の男性も交えて親たちが話をしている。
この時点で、友人の火傷は酷いもので命は取りとめるものの治療には長い時間がかかるだろうと俺達も聞いていた。
集まった保護者達が火傷をした友人の親の前で頭を下げるのが見える。
悪いのは俺たちなのに、何でおじさんや母さんが謝るんだよ。
まだ子供だった俺はそのことが無性に腹立たしかった。
***
それからしばらくして、
「空」
いつもなら強い口調で俺の名前を呼ぶ母さんが、泣きそうな顔で俺を呼んだ。
「何だよ」
なんか文句があるなら言えよ。
そんな気持ちで睨み返した。
ギュッ。
いきなり母さんが俺を抱きしめる。
「よかった。空が無事でよかった」
周りの目を気にしてか小さな声で囁く母さん。
え、何だよ。何でだよ。
「やめろっ」
反射的に体が動き、母さんを突き飛ばした。
ドンッ。
よろけた母さんが、壁にぶつかった。
いつもすぐに怒って、叱ってばかりの母さんが今日は違う。
悪いことをしたのはわかっているのに、素直になれない自分がいた。
「何でだよ、いつもみたいに怒ればいいじゃないか。火事を起こして火傷をさせたのは俺たちなのに、何で母さんたちが謝るんだよ」
子供だったからの一言で済まされる話ではないと今ならわかる。
ただただ俺が甘えていたんだ。
「いい加減にしろ」
いつもなら優しく俺の肩を叩いてくれるおじさんが、怖い顔で近づいてきて、
バンッ。
俺は殴られた。
グーだったのか平手だったのか、その場に倒れ込んだ俺にはわからない。
ただ、一斉に集まった周囲の視線が痛かった。
「自分が悪いと思うなら反省しろ。間違っても母さんにあたるんじゃない。今度同じ事をしたら、俺が許さないからな」
襟首をギュッと締め上げて睨みつけるおじさんを、この時初めて怖いと思った。
この日以降、俺は門限を決められた。
学校はさぼらずに行くこと。外泊はしないこと。門限は守ること。今までは無視していたことなのに、破ろうとすると「陸仁さんに言うわよ」と母さんが脅すようになった。
まあ、おかげで無事高校大学と卒業できたんだが。
おじさんに叩かれたのは後にも先にもその時だけ。
今でも忘れることのできない記憶だ。
***
「ねえ、泊っていくんでしょ?」
片づけを終えた母さんが寝室の用意をしようとしている。
「ああ、もう飲んだし。明日の朝帰るよ」
「そうね、そうしなさい」
やはりここは俺の実家。
たとえ苗字が違っても2人が両親だ。
俺も大地と親子になれるだろうか?
ブブブ。
ん?
「空、あなたの携帯じゃない?」
「本当だ」
珍しいな、こんな時間に着信なんて。
え?
立ち上がって相手を確認してさらに驚いた。
『川田礼』
そこには礼の名前が表示されていた。
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