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モノクロナツキ
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モノクロナツキ
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しばらく遅番が続いた、休日の前日の深夜。珍しくリビングに一人きりになり、ふと、やりきれないほどの寂しさが襲ってきた。
これまでは、こんな時間でも秀太か洸のどちらかがこの場所にいたのに。最近の秀太は、相変わらずもとちゃんの店に入り浸っては車で送ってきてもらい、深夜に帰宅することも多くなった。洸も、仕事の付き合いや研修で帰りが12時を過ぎることが増えている。
あんなにいつも三人で固まって、仲が良かったのに。急にそれぞれの世界へ歩き出し始めたみたいで、寂しくて仕方ない。
リビングの静寂に耐えかねて、俺はもとちゃんが持ってきてくれたフルーツのお酒を手に取り、グラスに注いで一口飲んでみた。
「……うんまっ」
濃厚なフルーツの甘みと、鼻に抜ける爽やかなお酒の香りに、思わず独り言が出た。
空くん、これ、もう飲んだんかな。
ふと気になって、ポケットからスマホを覗き込む。けれど、もう夜の11時半を回っている。こんな遅い時間にメッセージを送るのも、流石に迷惑で失礼やろうか。
画面を点けたり消したりしながら、スマホと何分も睨めっこを繰り返す。
すると、俺の念が壁を越えて届いたかのように、急にブブッと手の中で画面が白く光った。
『こないだ貰ったジュース、美味しすぎて全部なくなった。また貰ってきて』
「ふふっ、おねだり上手やな……」
思わず口元が緩む。でも、これって、ジュースを口実にして「また俺に会いたい」って言うてるとか?そんな自惚れが、今の寂しい俺の心をじわじわと幸せな気持ちで満たしていく。
『わかった。今家にジュースはないけど、お酒はまだあるで? 空くん、もう飲んだ?』
『ううん。どのタイミングで飲んでいいんかわからんくて、まだ飲めてない』
そっか。今までちゃんとお酒を飲む機会がなかったんやもんな。そうなるか。
『俺、今まさに飲んでるで! 飲むなら、今が最高のタイミングじゃない?』
少し誘うようにメッセージを送る。……送ってから、ハッと我に返った。
待て、これじゃ、一緒に家で飲もうって誘ってるみたいか。でも、もし勘違いしてくれたら、それはそれで一歩踏み出すええ機会かもしれん。
「……家、行ってええかなぁ。いや、こんな遅くにあかんか」
独り言を言いながら、リビングの床をウロウロと徘徊する。いや、別にただの友達相手に、なんで俺はこんなに心臓をドキドキさせながら迷ってるんや。
画面が再び震える。
『1人で飲んでも楽しくなさそうやから、またいつか機会があったら』
ちょっと待って。今ちゃう!?
これ、もしかして、ちょっとだけ「来てほしい」って誘われてるんちゃうか……!?
『行っていい? 空くんのとこ』
文字を打ち込んだものの、送信ボタンの上で親指がピタッと止まった。
「ええやんな! これ、送っても! 友達やもんな!! いや、でも流石にこんな遅くにあかんよな!!」
ちょっと鼻息を荒くしながら、自問自答を繰り返す。画面の前にかざした手が、緊張でプルプルと震えてボタンを押せない。
「じゃあ、代わりに押したろか?」
「え?」
後ろから、突然、聞き慣れた可愛い声が聞こえた。
驚いて振り返るより早く、俺のスマホの画面に、綺麗に黒いネイルが塗られた細い指が伸びてきて──送信ボタンを迷いなくタップした。
カチャ、と小気味いい送信音がリビングに響く。
「……洸!? いつからおったん!?」
「ん? なんか、弦が大声出して徘徊し始めた時からずっと」
ふふっ、と小悪魔みたいに悪戯っぽく笑う洸を見て、俺は緊張の糸が切れて思わずその場にへたり込んだ。
「……あ、『いいよ』って。良かったな、弦」
俺の手からすり抜けた、白く光るスマホの画面を上から覗き込んで、洸が嬉しそうに笑っている。ほんま、この弟と一緒におったら心臓がいくつあっても足りひんわ。
「あ、秀太にぃのおつまみ持っていったら? 美味しそうなチーズとか、昨日めっちゃ詰め込んであったで」
「あ……うん、ありがとう……」
せかせかと俺の世話を焼いて、洸は冷蔵庫から拝借したお酒とおつまみの入ったビニール袋を俺の手に握らせると、そのまま玄関から俺の背中をポンッと押し出した。
夜の冷たい空気が肌を刺す。お隣の蜷川家の玄関の前に立つ。
えっと、インターホン押したらええんか? それともLINEした方がええのか?
なんや、めっちゃ緊張すんねんけど……!! 口から内臓が全部飛び出しそうや……!!
俺の強靭なはずの心臓が、バタバタと騒ぎ出す。
そっとインターホンを押して、一歩も動けずに立ち尽くしていると、少しして、ガチャリと静かな金属音が響いた。
ゆっくりと、玄関のドアがそっと内側から開く。
俺は、その光景に激しい感動を覚えていた。
あの日、部屋から出てこられへんかった空くんが、俺のために、自ら玄関に出てきて、ドアを開けてくれたのだ。
「……お邪魔します」
もしかして、空くんのお顔、初めてちゃんと見られるんやろか。あかん、心臓がもたへん。
「……どうぞ」
小さな、低い声。
俺が中に入るのと同時に、黒い大きなパーカーの影がくるりと背を向け、奥の部屋へと戻っていく。
うわ、ほんまや……めちゃくちゃデカいな……。
野中さんが言っていた通りや。モデルみたいに背が高くて、スタイルが良い。
玄関の鍵をそっと閉めて、暗い廊下で一呼吸ついて立ち尽くす。あかん、ドキドキが絶好調すぎて、この場で気絶してしまいそうや。
俺がいつまでも入ってこないことを気にしたのか、奥の部屋のドアから、ひょこっと黒い影が覗いた。
深く被ったフードの隙間。
その時、俺は確かに──薄暗い空間の中で、微かに見える、甘くて優しい大きな瞳と、真っ直ぐ視線が合った。
「……ガチの、イケメンやん……」
いや、分かってた。秀太も「甘い顔」って言うとったし、心構えはしとった。
やけど、俺の周りには、秀太も洸も野中さんももとちゃんも、系統の違うハイレベルなイケメンが溢れかえっとるわけよ。世の中のイケメンの在庫は、もう俺の周囲で売り切れてるはずやろって思っとったのに……何やこれ、こんな国宝級のイケメンがまだこの世界に残ってたんか。
「……弦? どうかした?」
「……いえ! お邪魔いたします!」
「うん、どうぞ」
ガチガチに緊張しながら、促されるまま空くんの部屋に向かう。え、こんなにすんなり部屋に入れてもろてええの?
「……部屋、辞めとく? リビングにする?」
「いや、空くんのお部屋が良いです!」
「……なんでさっきから敬語なん?」
オレンジの小さな光だけがつく、部屋の中で、確かに空くんが動いてる。うわ、もう、胸のキュンキュンが止まらんねんけど!!
「……空くんの顔、ちょっとやけど、初めて見た」
俺がぼそっと呟くと、空くんはベッドのヘリに腰掛けながら、少しだけからかうような余裕のある声で聞いてきた。
「どうやった? 想像通り?」
あれ? なんか、前の時よりずっと明るい雰囲気やな……?
「いや、思ってた以上でびっくりしてる」
そう素直に言うと、空くんは「どういう意味で?」なんて、フードの中で嬉しそうに照れて笑っている。それでも、正面からがっつり目を合わせるのは、まだ少し恥ずかしいみたいやな。
「あ、空くん。初めて見た俺の顔はどう? どんな感じ?」
自分の爆発しそうな心臓を落ち着かせようと、少しおどけて話題を変えてみる。まぁ、秀太や洸みたいに超美形ってわけやないけど、一応同じ血は流れとるからな。そこまで不細工ってほどでもないはずやし。
すると、空くんはフードの奥でふふっと優しく笑った。
「……実は、初めてじゃないねんなぁ」
「え!?」
嘘やろ、どこかで俺、空くんに会ってた!? 記憶にないぞ、めっちゃ失礼なことしてへんかったか、俺!?
「どんな人なんやろーって、朝、ベランダから下の道路、何回か覗いてた。管理人さんに大きい声で『おはようございます!』って挨拶してたから、その声聞いて、絶対この人やって分かった」
「ええ!? 気づかんかった! じゃあ、弟の洸とか、野中さんの顔も、上から覗いて知ってるってこと?」
「洸くんは多分あの子やろなって、なんとなくはわかってる。流石に新くんの顔は……最初に家に来る時、確認しとかな不安やったから、ちゃんと見た」
「なぁんや。てっきり、太陽の光が苦手なんかと思っとったわ」
「俺のことドラキュラかゾンビやと思ってる?」
くすくすと、空くんが床を見つめながら楽しそうに笑う。
ええなぁ、本物の、生身の空くん。文字だけの想像と全然違う。やっぱり俺、この子といつか外の世界へデートしに行きたいなぁ。
俺がその、薄暗い部屋の光に照らされた綺麗な横顔に見惚れていると、空くんがぽつりと言葉を零した。
「……可愛いなぁって、思った」
「へ?」
「話し方が元気やから、もっとゴツゴツした、男らしい感じの人かと思ってた。けど笑顔がさ、なんか、柴犬みたいやなぁって」
「誰が柴犬やねん。柴犬が笑ろてるとこ、見たことないわ!」
間髪入れない俺のツッコミに、空くんは「クククッ」と声を殺して肩を揺らした。もう、お酒なんて一杯も飲んでへんのに、この空間にいるだけで楽しくて仕方がない。
「……それ、飲んでみたい」
空くんの視線が、俺の持つ袋へと向けられる。
「うん、これな! 甘くてめちゃくちゃ飲みやすいで。兄貴の高級チーズも拝借してきたからな」
ビニール袋を差し出すと、空くんが細くて綺麗な指が伸びてきた。
受け取る瞬間、お互いの指先が、ほんの少しだけ触れ合った。