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私は社長に嫌われたいのでしょうかね……と思いながら、夏菜は長い廊下を歩いていた。
確か風呂上がりに、半裸で、ぷはーをしたらいいとか。
厨房に向かい、レストランにあるようなシルバーで無機質な巨大冷蔵庫を開ける。
缶ビールを出してみた。
……半裸か。
恥ずかしいな。
それに此処は、社長以外の男の人もたくさんいるしな。
夏菜は少し悩んで、半裸になるように露出を増やそうとした。
パジャマを腕まくりし、ズボンの裾をめくってみる。
まだ、半分、裸になってないな、と思いながら、できるだけ上に裾をひっぱり上げているところに、有生が加藤と通りかかった。
「どうした。
掃除でもするのか?」
と言って有生は通り過ぎていく。
……うーむ。
失敗したようだ、と思いながら、夏菜はズボンをめくる手を止め、起き上がった。
なんだあいつは、ズボンの裾なんてめくって。
腕まくりも可愛いじゃないか。
何故だかわからないが、必死にズボンの裾をめくったり引っ張り上げたりしていた夏菜を思い出し、有生は赤くなった。
……しかし、こんな時間からなにするんだろうな? 風呂掃除か?
いや、それは雪丸たちがやってたな。
もしや、更に身体を鍛えようとかっ。
夜のトレーニングメニューとかあるのかもしれない、と思い、有生はゾッとする。
今でも、こいつ、実は俺より強いんじゃ、と思う瞬間があるのに、と不安になった有生は横を歩く加藤に呼びかけた。
「あの、加藤さん。
すみません」
「なんです?」
「誰か俺を鍛えてくれませんかね?」
そう言うと、加藤は笑い出した。
「それは感心なことですね。
わかりました。
手配しときましょう。
……もしよろしければ、少しなら私がお相手しますが?」
と加藤は笑う。
加藤は焦げ茶の作務衣など着て、普段は事務仕事をしていることが多いようだが。
総帥の右腕というくらいだから、きっと強いのだろうな、と思い、有生は身構えた。
さすが総帥の右腕……。
一時間後、ボロボロの状態で、有生は寝床に引き上げていた。
手合わせなんて頼むんじゃなかった。
明日の仕事に差し支える、と思いながら、
「此処でおやすみください」
と加藤に言われた部屋に行く。
痛む足腰で障子を開けると、そこは、だだっ広い広間だった。
この家、どんだけ部屋があるんだ、と思いながら見ると、広間のど真ん中に布団があったが、そこでは既に誰かが寝ているようだった。
その布団の向こう、部屋の隅にもう一組布団があったので、
あれを敷いて寝ろってことかな、と思いながら、有生は布団を取りに行く。
誰が寝てるんだろうな。
俺と一緒ってことは雪丸かな?
いや、銀次かもしれん、と思いながら、ひょい、と見たそこに寝ていたのは夏菜だった。
その衝撃に、思わず、足を止める。
「いたたた……」
雪丸は顔をしかめて歩いている加藤と廊下ですれ違った。
「あれ? どうしたんですか?
大丈夫ですか? 加藤さん」
「いや~、最初が肝心と思って。
ちょっとやりすぎました。
あれじゃ、せっかく夏菜様と同じ部屋でも、
……無理でしょうね」
悪いことしました、と笑いながら、加藤はよろよろと部屋に戻っていった。
貴女は、何故、此処でおやすみなのですか……。
何故か敬語になりながら、有生は寝ている夏菜の顔に向かい、心の中で問いかける。
なんとなく、夏菜の布団の横に正座してしまっていた。
自分が同じ部屋で寝ることを知っているのか知らないのか。
夏菜は、すかーっと気持ちよさそうに寝ている。
あまりに幸せそうに寝ているので、ぶちたくなる感じだ。
「……襲うぞ」
と寝ている夏菜を脅してみる。
いや、とてもじゃないが、襲う元気などないのだが。
しかし、可愛いな。
なんにも考えてなさそうで、と夏菜が聞いたら、怒り出しそうなことを思う。
でも、そうか。
結婚したら、この寝顔を毎晩見てもいいのか。
贅沢な感じがするな、とちょっと幸せな気持ちになりながら、有生は痛む身体で布団を廊下に引きずっていって寝た。
早朝、
「うわっ」
と一番下っ端なので、一番早くに起きてきた雪丸に驚かれるまで。
「えっ、社長、廊下で寝てたんですか?」
ほかほか炊きたてご飯とししゃもと味噌汁の並んだ朝食の席。
広間でみんなと並んで食事をしていた夏菜は雪丸からその話を聞き、思わず、責めるように加藤を見てしまう。
弟子たちの部屋割りなどをしているのは加藤だからだ。
えっ? と夏菜の視線に振り返った加藤は足を止め、いやいやいや、と手を振る。
夏菜の膳の前に来て、
「いじめじゃないですよ。
可愛がりでもないですよっ。
夏菜様のご主人になられる方にそんな恐ろしいことしませんよっ」
と弁明するが。
いやいやいや。
でも、体育会系の人って、新人はいっちょ揉んでやるかっとか言いますもんね、という目で夏菜は見た。
有生がいたら、
「待て待て待て。
体育会系の人って、お前は違うのか」
と言ってきそうだったが。
だが、そこで、夏菜は気がついた。
は、そういえば、朝食の席に社長がいないっ。
やはり、新人いじめっ? と加藤を見ると、
「いやいやいやいやっ。
御坂社長は職場からお電話で、あちらで話してらっしゃいましたよっ。
昨夜だって、私はちゃんと、社長には夏菜様と同じ部屋で寝るように言いましたからねっ」
と大きな声で言い訳してくる。
おお、とみながこちらを振り向いた。
し、しまった。
なんだか藪蛇だっ。
みなさんっ、社長は廊下で寝てたんですからねっ、と夏菜は大声で叫びそうになる。
今まで、寒いのに廊下で寝かせたら可哀想、と思っていたのに。
そのとき、障子が開いて、スマホを手にした有生が現れた。
「しゃっ、社長っ、言ってやってくださいっ。
ゆうべは廊下で寝てたって」
突然、叫ばれた有生が、は? という顔をする。
「いや~、だから、知らなかったんですよ、私は。
社長が来られたから、部屋割りが変わったので、大広間で寝てくださいって言われただけで」
と夏菜は有生とともに、普段は閉じられている門をくぐって、車が入れる場所まで山を下りる。
「お前は自分の部屋があるんじゃないのか。
あの家の娘なのに。
かわってくださいとかあるのか」
荷物や家具があるんじゃないのかと有生に問われるが。
「いやいや、それがよくあるんですよ。
だから、私は家具も荷物もあまり持ってないんです。
いつでも移動できるように。
さすらいのジプシーみたいな感じですよ」
と言って、
なんだ。
さすらいのジプシーって、という目で見られる。
「ま、家具なんかの大きな荷物はほとんど家に置いてますしね」
「家、此処じゃないのか?」
「子どもの頃から、だいたい此処に住んでますけど。
基本、此処はおじいちゃんちなんで、一応、親の家もあるんですよ。
そっちにも部屋があるので、大きなものはみんな、そっちに置いてます」
その言葉にふと思い出したように、
「そういえば、ご両親にもご挨拶せねばな」
と有生が言ってくる。
「まあ、ご挨拶はともかくとして、私もそろそろ親の顔が見てみたいです」
「親の顔が見てみたいって、普通、子どもになにか問題があるときに言うんじゃないのか」
「そういうあれじゃないですよ。
って、そういう発想にすぐなるってことは、もしや、社長が、親の顔が見てみたいって思ってるんですかね? 私を見て」
「そうかもな」
「……私、なにか問題ありますか?」
「いろいろ、あるだろう」
などと言い合っているうちに、黒木の車が待っている場所に着いていた。
有生が山を振り返りながら言ってくる。
「朝から軽くトレーニングしたくらいの運動量だな。
毎日、これ通ってたのか。
強くなるわけだな」
「あー、まあ、仕事前にすでに疲れてるときありますね」
と言いながら、……ははは、と夏菜は笑った。