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土曜、日曜と週末は雨が続いた。そして真昼の中も雨降りだ。玉井真一との初めてのドライブは萎れた花のように終わってしまった。
雨音を聞きながらソファでクッションを抱えていると、デリカシーの無い父親が掃除機を掛けながら近づいて来た。
「おう、しけった煎餅みたいな|顔《ツラ》しやがってどうした」
「煎餅って失礼ね!」
「この前のクッキーまた作ってくれ、美味かった」
「はぁ!?食べたの!?」
「そこに置いてあったから食った」
「いつの間に!」
「あの飴はなんだ入れ歯が取れそうになったぞ」
「冷やしてあったの!」
(そうだ)
あの夜、ステンドグラスクッキーを見てから玉井真一は機嫌が悪くなった。
(それになにか、言っていた)
ーーーー《《良い奥さんですね》》
真昼はソファから飛び起きると携帯電話を掴んだ。
(え、なに、玉井さんは私が既婚者だって知っていたの!?)
ショートメールの画面を開くがどんなメッセージを送信すれば良いか分からなかった。文字にすればするほど嘘を積み重ねているようで真昼の思考回路は限界を迎えた。
(ーーーーーそうだ!)
自分でも馬鹿げているとは思うがそれが一番手っ取り早いと思った。真昼は指先を忙しなく動かした。
玉井さん明日、月曜日また会えますか
仕事が終わったら私も車でこの前の場所に行きます
待っています
来てくれるまで待っています
案の定、玉井真一からの返信は無かった。
月曜日も雨だった。
「はぁーーーーーーーーーーーーー」
スチールデスクに突っ伏して盛大なため息を吐いていると営業の山本くんが事務所の冷凍庫からバニラアイスを差し入れしてくれた。
「これ、俺の奢りっす」
「これ、私が買って来たんだけど」
「すんません、で、今度はどうしたんですか?」
「今度ぉーーーー?」
「あ、真昼さん、旦那にフラれたんすよね」
真昼は鬼の形相で立ち上がると山本くんの襟元を締め上げた。
「わ・た・し・が!離婚するって言ったの!」
「そ、そうなんすか」
アイスクリームをスプーンですくい、口に含むとこめかみに響いた。
「ねぇ、山本くんって何歳?」
「26歳っす」
「バツイチの年上女性ってどう?あり?なし?」
「んんーーー、恋愛ではありですけど結婚となるとハードル高いっすね」
「やっぱり」
「親が許してくんないと思うんすよね」
「やっぱり」
真昼がしんみりしていると山本くんは再び地雷を踏んだ。
「なんすか、またフラれる予定でもあるんすか」
「あ・り・ま・せ・ん!」
「ぼ、暴力反対っすーーーー!」
(やっぱり年上でバツイチは無理かぁ)
「じゃ、お先に!」
壁の時計は17:15、玉井真一があの高等学校の駐車場に現れない可能性は大いにある。
(でも、行くしかないでしょ!)
真昼はクリアファイルに挟んだ茶封筒を手に、会社裏手の社員駐車場へと急いだ。
真昼が車のハンドルを握る頃、雨は上がり西の空にはうっすらと夕焼け雲がたなびいていた。
(えーーーと)
玉井真一が通っていたという高等学校へ向かう経路はうろ覚えだったが、桜並木手前の一方通行の道路標識を目印に左折した。
「あ、ここだ」
その急勾配の坂道は萎れてしまった金曜日の夜を思い起こさせた。
(ーーー玉井さん、来てくれるかな)
いつまでも待っていますと玉井真一にメッセージを送信したものの、それが何時何分何秒までなのかと真昼は思い悩んだ。
(そうよ、それにお父さんが居たわ)
娘が週末、週明けと連続して帰宅が遅いとなれば、プライバシーの侵害など我関せずな父親にあれこれと詮索される事は間違いなかった。
(玉井さん、早く来て!来て!絶対、来て!)
そして何よりこの気不味さを引き摺ったまま郵便局窓口に顔を出す事は躊躇われた。「あなたが好きです」「ごめんなさい」玉井真一への告白が受け入れられるか否か、キッパリバッサリ斬られた方が諦めもつく。
(ただの事務員と郵便局の男の子に戻るだけよ)
そう自分に言い聞かせながらも気分は沈んだ。
(それに、玉井さんに声を掛けた時はまだ離婚していなかったんだよね)
あの誠実そうな青年が|不貞《うわき》行為を受け入れるとは考え難かった。
(はぁーーーーー)
負の感情の渦に巻き込まれた真昼は髪の毛を掻きむしった。
(あ、ああっ!)
すると約束の時間よりやや早く、車の白いヘッドライトが坂道を登って来た。違う人の車かもしれない。でも、真昼は茶封筒を挟んだクリアファイルを胸に抱いて車の外に出た。
(玉井さんだ)
真昼の軽自動車の隣に停車したのはセダンタイプの白い車だった。雨に濡れたアスファルトに立ち竦む真昼を見た玉井真一は硬い表情で運転席から降りた。
「こんばんは」
「こんばんは」
真昼は足元に目線を落とした。
「なにかありましたか」
少し突き放されたような気がした。
「お話ししたい事があって」
「そうですか」
玉井真一は後部座席のドアを開けた。
「どうぞ」
「はい」
真昼が座席シートに座った姿を確認するとそのドアはバタンと音を立てて閉まった。
室内灯の灯りが点き、一瞬、玉井真一の横顔が見えた。目付きは厳しく口元な真横一文字に硬く結ばれていた。これまでの和かな面持ちではなかった。
(やっぱり、なにか知っているんだ)
真昼がその横顔を見詰めていると暗がりの中で玉井真一の手が真昼の手を握った。その突然の出来事に驚いた真昼は思わず引いたがそれは力強く身動きが取れなかった。
(ーーーーなに、なに、これはどういう事!?)
玉井真一は真昼を見る事はなく、助手席のヘッドレストを凝視していた。
「あ、あの」
戸惑う真昼、玉井真一は大きく息を吸い込んだ。
「真昼さん」
「は、はい」
「真昼さんは旦那さんと仲が悪いんですか」
「え、どういう」
「だから僕に声を掛けて来たんですか」
「玉井さん」
「浮気だったんですね」
真昼は言葉を失った。そしてその時、誰が玉井真一に自分が結婚していた事を知らせたのだろうかとその行動を恨んだ。
(でも、それは本当の事だわ)
玉井真一の手のひらに汗が滲み始めた。本当は違うのだと、浮気ではなかったのだと真昼に否定して欲しい、そんな雰囲気が伝わって来た。
「玉井さん、手を離して」
「ーーーーえ」
真昼の言葉に狼狽えた玉井真一は初めて真昼の顔を見た。
「ごめんなさい、浮気でした」
一瞬の間、そして悲しげな表情。同じ背の高さ、同じ目線、真昼はゆっくりと目を閉じて玉井真一の唇を啄んだ。
「ーーーー真昼さん!」
玉井真一は真昼を強く抱きしめるとその首筋に顔を埋めて強く吸い上げた。
「痛っ!」
その行為に驚き痛みを訴えたが唇の動きは止まる事なく次の場所を強く吸った。
「玉井、さん、玉井さん」
玉井真一は無言で《《真昼は自分のものだ》》と言わんばかりに彼方こちらに痕を付け続けた。真昼の中で痛みが快感へと変わり吐息が漏れ始めたその時、ようやく熱を帯びた玉井真一の声が耳に届いた。
「真昼さん、好きなんです、帰したくない」
「玉井さん」
玉井真一は眼鏡を外すとドリンクホルダーに入れ、口を大きく開けて覆い被さり舌先を絡め始めた。頭の芯が痺れる、真昼は何年振りかの愛撫に身体の中身が熱く蕩け始めるのを感じた。涎が糸を引き、首筋で熱く囁かれる。
「真昼さん、好きだ」
「玉井さん」
「好きなんです、旦那さんと別れて下さい」
「玉井さん」
「好きなんです」
その手が真昼のブラウスをたくし上げ、胸元へと伸びた。
「ーーーーあ」
指先がゆっくりとブラジャーを引き下ろし突起を摘んだ。
唇を離れた玉井真一は豊かな胸に吸い付くと舌を使って下から上へと何度も舐めた。真昼は愛されたかった女性として愛して欲しかった、五年ぶりに自身へと向けられる恋情に身体が熱った。
「玉井、玉井さん」
「真昼さん、結婚して下さい!」
けれど、誤解は解かねばならない。
「玉井さん、ちょっと、ちょっと待って」
「旦那さんと別れて下さい!」
妖しく動く指先がパンティストッキングを割って茂みを掻き分け、滑った窪みへと滑り込んだ。
「玉井さん、ちょっと待って」
「結婚して下さい!」
「はい」
真昼の言葉に玉井真一の指の動きが止まった。
「ーーーはい?」
「はい」
「どういう事ですか」
「こういう事です」
真昼は下着やブラウスをパッパと整えクリアファイルから茶封筒を取り出した。
「室内灯を点けて下さいますか?」
「は、はい」
「眼鏡を掛けて下さい」
「はい」
「これを見て下さい」
先ずは銀行通帳を取り出して目の前に広げて見せた。
「タケムラ マヒル、残金3850,521円」
「そうなの」
「タケムラ、タケムラマヒルさん」
「そうなの」
次は戸籍謄本。
「竹村真昼」
「そうなの」
「田村真昼じゃないんですか」
髪の毛の乱れた玉井真一はそれを両手に持つと交互に見比べた。
「真昼さん、離婚されたんですか」
「はい」
「ーーーーっえ!」
「離婚したんです」
「いつ、いつの間に」
「数週間前、かな」
玉井真一は前のめりになって詰め寄った。
「ま、まさかとは思いますが理由は僕ですか」
「いえいえ、とんでもない!元夫の不倫です!」
「ふ、不倫ですか」
「私ね五年も前から夫に裏切られて、不倫されていたみたいなんです」
「そうなんですか」
「はい、馬鹿ですよね」
「そ、そんな事は」
「り、離婚したんですか」
鳩が豆鉄砲を食ったようとはこの事だ。
「はい」
「離婚」
「はい」
玉井真一の熱情はすっかり鎮火し、真っ赤な顔をして襟足を掻いていた。