めくるめく大人のお医者さんごっこの妄想を無理やりに打ち消して、ホテルのキーと御堂の顔を交互に見比べてみる。
「飲み会で帰りが遅くなるから、周防の部屋を予約しておいたんだ。王領寺くんは、そこで待っていてもらえるかな? 飲み会が終わったら、周防を部屋まで送り届けてあげる」
「わかりました。その代わり、タケシ先生に指一本触らないでくださいね!」
鍵を受け取りながら告げてやると、二枚目が台無しになるような変な笑みを浮かべた。その微妙すぎるほほ笑みに、嫌な予感しかしない。
「心の底から勉強が大好きな周防を可愛がるべく、教授たちがここぞとばかりに取り囲んでいるだろうし、俺としてもそんな鉄壁を乗り越えられるような、できた人間じゃない。絶対に手が出せない環境だと思うよ。だから安心してくれ」
「はあ……」
「ちなみに王領寺くんは、どうやって周防と恋人同士になったのかな?」
しげしげと自分を見つめる御堂から、思いっきり顔を背けてしまった。余計なことを喋ったなら間違いなく、タケシ先生に叱られるであろうと察知したからである。
「王領寺くんってば、すっごくつれないなぁ。俺がせっかくホテルの一室を予約しただけじゃなく、飲み会の雰囲気まで教えてあげたというのに」
「うっ……」
痛い場所を的確に突いてくるところなんて、タケシ先生にそっくりじゃないか。もしかして類友なんだろうか。
「これはもう、周防を俺の部屋に連れて行っちゃおうかなぁ」
「それはやめてください!」
背けていた顔を、思わず御堂に向けてしまった。すると逃がさないようにするためなのか、いきなり顎を掴まれた。
(至近距離で見つめ合う男同士なんて、傍から見たら絶対に可笑しいだろ)
嫌そうに眉根を寄せて御堂を睨んでやったがなんのその、ニヤけながら更に顔を寄せる。
「素直に教えてくれたら、解放してあげるよ。とっとと口を割った方が、身のためだと思うけどね」
「……わかりました。教えますから手を放してください」
『このバカ犬っ!』なんていうタケシ先生の怒号が頭の中で響いたが、背に腹は代えられなかった。しぶしぶ了承した俺を見つめながら、向かい合うように椅子に腰かけ、テーブルに頬杖をついた御堂の様子は楽しそうにしか見えない。
「済まないね。どうにもふたりの馴れ初めが気になっちゃってさ。うんと年下の王領寺くんが周防と付き合ったのが、どうしてなのかなぁって」
タケシ先生ごめんなさいと心の中で詫びながら、セリフを読むように口を開いた。
「出逢いは、タケシ先生の病院前で俺が倒れたからです。甲状腺がんだった俺が治療を引き換えにして、交際を迫りました」
言い終えたタイミングで御堂は口笛を鳴らし、あからさまな作り笑いを浮かべる。
「がんの治療と引き換えか。クソがつくほど真面目な周防が、その条件を素直に飲むわけないよな。口煩いくらいに『とっとと治療を受けなさい』と連呼するのがオチだ」
こんな顔して言うだろうと人差し指で両目を吊り上げて、怒ったときのタケシ先生の真似をした。
「よくご存じで……」
目の前でおどける御堂を白い目で見つめると、俺の視線に気がついて寂しげな微笑みを口元に湛えた。
「そりゃあ好きだったから、わかっていて当然のことだろう。邪な想いで近づいてくる奴に対して、アイツは容赦しないしさ」
「だけど俺は諦めなかった。自分ができることから始めて、タケシ先生の心を掴んだんです」
「まぁね。躰目当てで近づく男と命がけで交際を迫る男なら、間違いなく後者を選ぶだろう。しかもそれが、手のかかる子どもなら尚更だろうなぁ」
「手のかかる子ども――」
不機嫌になるような言葉を吐いた御堂を睨んだら、胸の前で両腕を組んだまま、余裕綽々な顔で受け流されてしまった。
「周防が外科医じゃなくて良かったな。検査結果が分かり次第、何らかの手を使って王領寺くんを眠らせた後に、自らの手で手術をしちゃう気がするよ。それこそ面倒くさいガンと一緒に、王領寺くんを放り投げそうだよね」
普段はおねぇのような喋り方で患者の子どもたちに優しく接しているけれど、外科医ならそんなことをする必要はない。
手術着に身を包み、マスクで顔を覆われたタケシ先生に見つめられたら、間違いなく蛇に睨まれた蛙状態になっちゃいそう。
というか、ナース服だろうが手術着だろうが、どんな服でも着こなせてしまうタケシ先生の格好良さにメロメロな俺っていったい……。
「周防が君と付き合った理由が分かって、スッキリした! いやぁ胸にひっかかったものが取れた気分だ」
「そうですか。良かったですね」
淡々と告げた俺の顔を見ながら立ちが上がり、左手をひらひらと振る。
「それじゃあ約束通り、周防を部屋まで送ってあげるから」
「教えたんですから、約束は絶対に――」
「きちんと守るよ。それに手を出さないから安心してくれ。どんなに言い寄ったって、俺が子どもにでもならない限り、周防の心変わりはありえないだろうしね」
そう言って、格好よく肩を竦めるなり去って行った御堂。
どこまで信用していいのかわからなかったが、俺ができることといえば、ホテルの一室でじっと待つ以外なかったのである。
まさに、ご主人さまの帰りを心待ちにしているワンコの気分だった。