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ゆ
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ゆ
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ヴァニティの放った一撃は――完璧だった。
一切の迷いがない。
一切の無駄もない。
愛用の包丁が空気を切り裂き、白銀の世界に鮮烈な赤い軌跡を描く。
アクチュアリティの純白のドレスに、一本の赤い傷跡が刻まれた。
それは、この世界の自動修復さえも拒絶するほど強烈なものだった。
白一色だった世界に、ヴァニティだけが刻み込める「赤」が残る。
「……」
ヴァニティは静かに息を吐いた。
そして、赤い帽子のつばを指先で整える。
「……これで終わりだね」
包丁を下ろす。
「約束通り、ボクを元の場所に――」
「……あはっ」
「……?」
ヴァニティの動きが止まった。
「……あははっ……!」
アクチュアリティが笑っていた。
膝をつきながらも、その表情には苦痛ではなく――奇妙なほどの歓喜が浮かんでいる。
「素晴らしいわ……!」
「……」
「なんて綺麗なの……!」
アクチュアリティは自分のドレスに残った赤い痕を眺め、うっとりと目を細める。
「あなた、本当にすごいのね……」
「……気味悪いな」
ヴァニティの眉がぴくりと動く。
「こんなに綺麗なものを残してくれたのに……もう終わりだなんて、そんなの駄目よ」
アクチュアリティが立ち上がる。
「もっと見せて」
一歩。
「もっと刻んで」
さらに一歩。
「あなたの『精密さ』を、もっと私に――」
「触るな」
ヴァニティは即答した。
アクチュアリティが伸ばした手を、ヴァニティは冷たい目で払いのける。
「……ボクはキミの玩具になるために来たんじゃない」
「でも――」
「それに」
ヴァニティは周囲を見回した。
白い床。
白い壁。
白い天井。
そして、どこまでも続く無菌の空間。
「もう十分だよ」
「何が?」
「この世界」
ヴァニティは心底うんざりした顔をする。
「白すぎる」
「……まあ」
「静かすぎる」
「……ふふ」
「それに何より――」
ヴァニティは包丁を握り直した。
「食材がつまらない」
アクチュアリティが笑う。
「なら、ここに残ればいいのに」
「冗談じゃない」
ヴァニティは即座に背を向けた。
その瞬間だった。
空間の一角が、不自然に揺らいだ。
「……あ」
ヴァニティの目が輝く。
白銀の空間に、黒い亀裂が走っている。
「これ……」
ヴァニティは迷わなかった。
「帰れる!」
「待って!」
アクチュアリティが声を上げる。
「ヴァニティ!」
「じゃあね、白い女王様!」
「もっと遊びましょうよ!」
「絶対イヤ!」
ヴァニティは即答した。
そして――
裂け目へ飛び込んだ。
「あなたのために、もっと素敵な食卓を――!」
「いらないってば!!」
視界が反転する。
白。
銀。
静寂。
無菌。
そして――すべてが一瞬で遠ざかっていく。
「うわっ……!」
ヴァニティの身体が暗闇を抜ける。
次の瞬間。
べちゃっ。
「……」
足元に、泥が跳ねた。
ヴァニティは固まった。
鼻先を、濃厚な鉄の匂いがくすぐる。
腐敗した土。
湿った空気。
遠くから聞こえる叫び声。
そして――
「嫌だ……!」
「誰か……助けてくれ……!」
ヴァニティの瞳が、ゆっくりと見開かれる。
物陰では、ひとりのサバイバーが震えていた。
顔は恐怖に歪み。
呼吸は荒く。
必死に逃げ道を探している。
何よりも――
ちゃんと怯えている。
ちゃんと生きようとしている。
ちゃんと死を恐れている。
ヴァニティはしばらく黙っていた。
やがて。
「…………あ」
口元が震える。
「……ああ」
長い黒髪が、肩の上でゆっくり揺れる。
「……帰ってきた」
漆黒の瞳に、みるみる光が宿っていく。
「これだよ……」
小さな笑い声が漏れる。
「これ……!」
やがて、その笑いは抑えきれない歓喜へと変わった。
「あははははっ!」
ヴァニティは両腕を広げる。
「これだよ、これ!!」
血煙の漂う空。
泥だらけの地面。
遠くから聞こえる恐怖の叫び。
何もかもが懐かしい。
「これがボクの世界!」
包丁を握る手が、嬉しそうに震える。
「これが本物の命!」
ヴァニティは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
「……うん」
恍惚とした笑み。
「この匂いだ」
白銀の世界には存在しなかったもの。
血。
恐怖。
絶望。
そして、生きようとする命の気配。
それらすべてが、ヴァニティにとって最高の「調味料」だった。
「やっぱり……」
赤い帽子のつばを後ろに回す。
「ボクはここが一番好きだな」
その声には、心の底からの安堵が滲んでいた。
「待たせてごめんね」
ヴァニティは、物陰のサバイバーへ視線を向ける。
「ボクの可愛い食材ちゃん」
サバイバーの顔が青ざめる。
「……え?」
ヴァニティが一歩踏み出す。
「今度こそ――」
もう一歩。
包丁が、月明かりを受けて鋭く煌めく。
「誰にも邪魔されない、ボクの『愛の精密さ』を見せてあげる」
「う、うわああああっ!!」
サバイバーが走り出す。
「ふふっ!」
ヴァニティも駆け出した。
「待ってよ!」
血煙の向こうへ消えていく二つの影。
その顔に浮かんでいるのは、恐怖と狂気。
そして――
ヴァニティの、最高の笑顔。
白銀の異界で奪われていたものを、彼女はすべて取り戻した。
血の匂い。
恐怖の声。
逃げ惑う命。
そして、自分自身の狂気。
「やっぱり――」
遠ざかっていく笑い声。
「FORSAKENが一番だねぇっ!!」
血煙に包まれた世界の中。
再び、ヴァニティの歓喜の声が響き渡るのだった。