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翌朝
江戸の町を照らす陽光は昨日と変わらず眩いというのに
鬼狩り組織『鴉』の本部には、陽の光さえ凍りつかせるような、刺すような緊張感が漂っていた。
磨き上げられた木造の廊下を歩く隊士たちの足音はいつもより荒く
誰もが無言のまま、腰に帯びた刀の柄に指をかけている。
その異様な殺気と、そこかしこで交わされるひそひそとした囁き声に
私の胸のざわつきは抑えようもなく膨れ上がっていた。
「あざみ、来たか」
奥の広間。
重苦しい空気の立ち込めるその場所で私を待っていたのは、師匠であり
両親を亡くした私を育て上げた親代わりでもある、初老の男だった。
彼の前には、刷りたての墨の匂いがまだ生々しく残る、数枚の紙が置かれている。
師匠の厳格な顔つきが、事態の深刻さを物語っていた。
「江戸を騒がせている『最凶の鬼』の正体が、上層部の徹底した調べで判明した。奴は人の姿を模して我らの網を掻い潜り、数代に渡り、鬼狩りの精鋭たちを無残に屠ってきた怪物だ。……これを見ろ」
差し出された一枚の紙。
それを受け取った瞬間
指先から熱が奪われ、血の気が一気に引いていくのがわかった。
「……っ、これ……は……」
そこには、驚くほど精緻な筆致で、一人の男の人相書きが描かれていた。
涼やかで知的な目元。
穏やかでありながら、どこかこの世の理から外れたような浮世離れした鼻筋。
そして、見間違えるはずのない、あのアシンメトリーな漆黒の着物。
昨日、私と一緒に笑い、美味しそうに団子を食べ
人混みの中で「危ないよ」と私の手を優しく引いてくれた、あの『暁』の顔そのものだった。
紙の隅には、まるで血を滴らせたような赤黒い墨で、残酷な文字が大きく記されている。
────【指名手配:鬼・暁(あかつき)。見つけ次第、即刻断罪せよ】
「名は『暁』。浪人の姿で市中に紛れ込み、情けを装って鬼狩りの隙を伺っているという」
「あざみ、お前が先日襲われた現場にも奴の濃厚な妖気が残っていた。……おそらく、意図的にお前を助ける振りをし、油断させてから我ら鴉の精鋭をおびき寄せる餌にするつもりだったのだろう」
「……そんな、そんなの違います」
乾いた、震える声が自分の喉から漏れた。
視界がぐにゃりと歪む。
昨日、彼に頭を撫でられた感触がまだ髪に残っているのに。
手の中の手配書が、私の絶望的な震えに合わせて、カサカサと乾いた悲鳴を上げる。
「違います、師匠。彼は……暁さんは、死にそうだった私を助けてくれたんです。素手で、あの大鬼を追い払って……夜通し、私の怪我の手当までしてくれた」
「あんなに、あんなに透き通った優しい瞳をした鬼なんて……人を喰らう化物なんて、いるはずがありません!」
「黙れッ!!」
師匠の雷のような怒号が広間に響き渡り、私はびくりと肩を大きく揺らした。
突き刺すような師匠の視線が、私の心の弱さを暴こうとする。
「鬼が人を助けるだと!?そんな浅ましい欺瞞に騙されるな!奴らは人を喰らい、その心を弄び、弄ることを悦びとする化物だ!」
「あざみ、忘れたのか!?お前の目の前で両親を食い殺し、その肉を啜ったのも、同じ『鬼』という呪われた種族であることを!」
脳裏をよぎる、真っ赤な雨。
両親の最期の叫び。立ち込める血の匂い。
忘れられるはずがない。
私の人生は、その憎しみを燃料にして今日まで繋いできたのだから。
けれど、それ以上に。
昨日、夕暮れの中で暁が見せた
どこか寂しげな微笑みと、私の頭に置かれた大きな手の温もりが
今の私を、鬼狩りとしての使命から強く引き止めてしまう。
(何かの間違いだ……。きっと、誰かが彼を陥れようとしてるんだ。そうじゃなきゃ、あんな風に笑えるわけがない……)
否定したい。
すべてを投げ出して叫び出したい。
「彼は浪人だと言った」
「江戸の町を歩いて喜んでいた」──
そんな、鬼狩りの理屈では一文の価値もない
あまりに脆弱な記憶を必死にかき集めて、私は心の中に彼を信じるための盾を作ろうとしていた。
「……あざみ。お前にこの任務を任せる。奴を見つけ出し、今度こそその手で薊丸を振り下ろせ。それが、お前の……鬼狩りとしての唯一の『価値』だ」
価値。
この間、暁が「君には君だけの価値があるんじゃないかな」と言ってくれた
あの魂を揺さぶるような言葉が、今は鋭い棘となって胸を締め付ける。
「……御意」
私は、震える拳で手配書をぐしゃりと握りつぶし、深く、深く頭を下げた。
顔を上げた時、私の瞳には、すべてを切り捨てた冷徹な鬼狩りの光を宿したつもりだった。
けれど、血が滲むほど噛み締めた唇の裏側で
ただ一つの願いが、祈りにも似た悲鳴となって繰り返されていた。
(そんな、嘘だよ。信じたくない…暁さん…あなたが、人を喰う鬼だなんて……お願い、何かの間違いであって…)