テラーノベル
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「お姉様、行き先はどちらなのですか?」
私たちは今、馬車道を歩いている。
本来なら馬車で移動するはずだったが、生憎、馬小屋は屍人の襲撃を受け、
中にいた馬は一頭残らず死んでいた。
「……本当はね」
お姉様は、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「今日、ギルバード様の馬車が、屋敷へ来る予定だったの」
その声は、どこか沈んでいる。
「……でも、こんな状況になってしまって」
「もしかしたら、道中で立ち往生しているかもしれないわ」
伏せられた睫毛が、わずかに震えた。
「だからね、 エリアス伯爵邸を目指したいの」
そう言って、お姉様は空を見上げる。
曇った空は、不安を映したように重たい。
ギルバード・エリアス。
我がアースウェル家と並ぶ、五大伯爵家の一つ、エリアス家の長男。
そして、お姉様の婚約者。
その事実だけで、胸の奥がちくりと痛む。
嫌いだ。
理由なんて、単純すぎるほど単純だ。
だって。
あの人はいつか 大好きなお姉様を、私の元から連れて行ってしまうのだから。
「……そう、ですか」
平静を装って、そう答えながら、
私は無意識に、お姉様との距離を少しだけ詰めた。
腕の中の子犬が、小さく鳴く。
「ワフ……」
「大丈夫よ」
子犬を撫でながら、
それが誰に向けた言葉なのか、自分でも分からないまま、前を向いた。
お姉様は、私の世界の中心だ。
誰にも、奪わせるつもりなんて、ない。
たとえそれが、
“正しい未来”だと言われたとしても。
日が落ちた。
昼間の涼しげな気温とは打って変わり、夜の空気は冷たい。
「……今日は、この辺りで野営にしましょう」
お姉様の声に、私とアランは同時にうなずいた。
幸い、道の外れには古びた礼拝堂がある。
一晩だけ風をしのげれば、それで十分だ。
「お姉様、足元にお気をつけて」
先頭に立ち、魔法で足元を照らしながら声をかける。
背後では、アランが黙ってお姉様を守っていた。
……お姉様の安全は、アランに任せよう。
「ワン!」
腕の中で、子犬が小さく吠える。
「こら、静かにしなさい」
小声で窘めながら、
私は周囲の闇へと、そっと視線を走らせる。
礼拝堂の中は、外見から想像していたほど荒廃してはいなかった。
もちろん、床には枯葉が散り、壁の隅には蜘蛛の巣も張っている。
けれど、窓ガラスやステンドグラス、パイプオルガンは、今なお形を保っていた。
「……なかなか、綺麗な所なのね」
子犬を抱え直し、周囲を見渡しながら呟くと、
お姉様も小さくうなずいた。
「そうね……この騒動が落ち着いたら、もう一度ここへ来たいわ」
その瞬間、
月明かりがステンドグラスを透かし、色彩を帯びた光となって
お姉様の足元へと静かに降り注ぐ。
「……綺麗」
思わず、声が漏れた。
その時のお姉様は まるで、月の女神のようだった。
白い光に包まれ、 現実から切り離された存在のように、そこに立っている。
背後から、かすかに息を呑む気配がする。
……振り返らなくても分かった。
アランもまた、 その光景に目を奪われていたのだ。
「……あまり、お姉様を見つめないで」
思った以上に、不機嫌な声が出た。
自分でも驚くほど、棘を含んでいる。
「あの人を見るのは、私だけでいいの」
まるで、拗ねた子供のような言い方だった。
「……申し訳ありません」
アランは、すぐに視線を逸らした。
「レイラ様が、あまりにも…」
「……不愉快よ」
被せるように、きっぱりと言い切る。
理由なんて、説明する必要もない。
分かる必要もない。
お姉様は、私の世界だ。
誰かに見惚れられるたび、
その世界が、少しずつ遠ざかっていく気がして 堪らなく、怖くなる。
「……」
アランは、何も言わなかった。
言い訳も、反論もない。
ただ一歩下がり、従者としての距離を取り直す。
その態度が. かえって胸に引っかかった。
……なによ。
「……ワフ」
腕の中で、子犬が小さく鳴く。
まるで、場の空気を和らげようとするみたいに。
月光は、いつの間にか雲に隠れ、
ステンドグラスの色彩も、静かに失われていた。
そして
礼拝堂の奥から 、微かな物音がした。
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