この一年の間、多少の差異はあれど毎日代わり映えの無い、まあ、彼らにとっての日常風景であった。
厳しい言葉とは裏腹に、いつもレイブや子竜ギレスラを甘やかしている魔術師バストロは二十七歳、経験僅(わず)か十七年にして腕利き、そう評されている将来有望な『放浪者』であった。
『放浪者』とは一つ所に居を定める事無く、人生の殆(ほとん)どを様々な町を歩き巡り、その地に必要な治療を施して回る、言わば巡回医の様な存在である。
地を耕す事も、鉄を鍛える事もしない、只、自分と契りを結んだ竜、魔獣が齎(もたら)す救いを人々に分け与える事で、対価である食料や道具を手に入れ日々の生活を為している人族、それが魔術師以外の人々の認識である。
旅人、そう言っても良いかも知れないが、令和の時代に生きている皆さんが思う、旅とは、この時代のそれは大きくかけ離れている物なのである。
この時代の人間、いいや、ヒト族は基本、旅、等と言う『冒険』をする事は無い。
理由は単純にして明快である、死ぬからだ。
生まれたその日から臨終を迎えるまで、五十年に満たない人生の殆ど、いいや全てを人々は壁の中で過ごすのがこの時代の常なのである。
その上、都市、そう呼んで良い場所は皆無であった。
街や町すらも存在しない、村と名付ける事さえも憚(はばか)られる規模の、原始的な集落、それがこの時代の人間、ヒト族の居場所だったのである。
魔術師バストロも、そんな小さな集落の一つ、バイキトに生を受けた極ありふれた少年であった。
世界は村の中で収束していた。
年に二回の祭りと、それ以外は代わり映えのしない日常、畑仕事と冬が訪れる前の野獣狩り、たまに見つける事が出来る蜂の巣退治に目を輝かすだけの純朴な少年だったのだ。
彼の人生が急激な変化を余儀なくされてしまったのは九歳の誕生日である。
北西の大きな村、人口六百人を越える山岳の集落、トゥトンチャニ…… その地を守っていた魔獣、ヒュージフォックスのココノエが臨終の時を迎え、死と共にその身に内在していた生命力、魔力を周辺に撒き散らした事が起因となった。
九つの尾を持ち千年以上に渡ってこの地の魔力を制御し続けて来た偉大な魔獣の死、その影響は二百キロ近く離れたバイキト村に迄、その死に付き添い殉ずる命を求めたのである。
バストロの父は弓の名手と近隣に聞こえた狩人であった。
この時代の狩人は皆さんの想像する農民や漁師と同義、つまり第一産業に従事する人の事を指している。
農民や漁師の分類から、養殖と言う言葉が排除されて久しい時代である。
養殖、酪農、それはモンスターを生み出す忌み事に他ならない。
自然人々の食卓から消え失せた獣肉や魚肉の代わり、特別な日のご馳走は、進化の枝分かれで哺乳類と近しく、よりモンスターや魔獣に変わり難かった鳥類、空を駆ける翼を持つ命の肉に集約されていったのである。
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