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「俺もさ、描いてる途中のやつ見られるのって、なんか落ち着かないし。分かるかも。恥ずかしいよな」
「…天馬くん、も…絵、描くの……?」
蚊の鳴くような声で問い返すと、彼は少しだけ照れくさそうに鼻の頭を擦った。
「そ。めちゃくちゃ下手だから余計に、って感じだけど。……っていうか、俺も一応、美術部だし」
「……っえ、そ、そうだったんだ……」
耳を疑った。
運動部のエースや、生徒会でバリバリ活動している姿なら想像がつく。
でも、この静かな
少し浮世離れした美術室の空気に、彼のような存在が混ざっているなんて。
驚きで固まる僕の前で、天馬くんは「あっはは!」と、静まり返った室内を震わせるほど豪快に笑った。
「意外だよな。自分でもそう思うもん。サッカー部とかバスケ部とかにいた方がしっくりくるだろ?」
彼は自嘲気味に肩をすくめ、長い脚をぶらつかせながら、少しだけ寂しそうに視線を落とした。
「周りにもよく言われんだよ。そんな下手なんだから、描く時間だけ無駄だろって。運動部入って体力でもつけた方がマシだって。……まあ、実際その通りだよな。センスねーし。だからさ、実はもう退部届、書こうと思ってたとこなんだ」
天馬くんは、まるで今日の天気の話でもするかのように、あっけらかんと笑い飛ばした。
けれど、その笑顔の裏側に、鋭いナイフで削られたような、薄い痛みが見えた気がした。
「水瀬の顔見たら分かるわ、正直嫌だろ。こんなうるさいヤツが、聖域の美術室に居座ってんの。悪い、すぐ帰るわ」
彼は机から降り、背を向けて立ち去ろうとする。
その背中が、かつてスケッチブックを破られて「描くのをやめよう」と蹲っていた自分と重なった。
無駄、センスがない、向いていない。
他人が投げつける無責任な言葉が、どれだけ深く、その人の「好き」を切り裂くか。
僕は知っている。
痛いほどに、知っているんだ。
「…そ、!んな…こと……っ」
喉が、熱い。
震える声で、僕は彼の背中に向かって言葉を絞り出した。
「そんな、こと…ないよ」
天馬くんの足が止まった。
彼は不思議そうに肩越しに僕を振り返る。
「…え?」
「上手いとか、下手とか…そんなのは、後から誰かが勝手に決めることで……“描きたい”って思った時点で、その人には……描く理由が、ちゃんとあるから。だから、無駄なんて……絶対に、ないと思う……」
一気に喋ったせいで、心臓がバクバクと暴れる。
僕は再びスケッチブックを強く抱きしめ、視線を泳がせながら、それでも逃げずに続けた。
「天馬くんが……何を描きたかったのか、僕は知らないけど。描きたいと思った気持ちまで、捨てないで、ほしい…から……」
沈黙が美術室を支配した。
しまった。
調子に乗った。
僕みたいな陰キャに、こんな風に諭されて、不愉快になったかもしれない。
恐る恐る顔を上げると、そこには驚いたように目を見開いた天馬くんが立っていた。
夕焼けの光を反射して、彼の瞳が金色の絵具を散らしたように輝いている。
「…ごっ、ごめん…っ、!その…何も知らないのに、偉そうなこと言っちゃって…」
「…ははっ、別に謝ることじゃないでしょ」
やがて、彼は今日一番の、そしてこれまで教室で見てきたどんな笑顔よりも柔らかい表情で笑った。
「水瀬、めっちゃいいこと言ってくれんじゃん」
「え……っ」
その言葉が、僕の心の奥底に溜まっていた冷たい澱みを、少しだけ溶かした気がした。